第8話 付喪神


 宇都宮市うつのみやしのごく普通の住宅街、建坪三十六坪の田舎なら、ごく一般的な、ごくごく普通な二階建ての一軒家が國枝家くにえだけだ。

 

 ごく平凡な家庭、ごく平凡な生活。

 ただ一つ……、二階の俺の部屋に全く平凡じゃないがいること以外は……。


 俺は自分の部屋の前で立ち尽くしていた。


 ──さて、どうしたものか……。

 メリーくらいの大きさだったが、どう見てもメリーじゃない。

 ていうか、あいつはどこに行った?


 俺はもう一度ドアを数センチだけ開けて、その隙間から謎の少女の様子を伺う。


 頭からは、猫っぽい大きな耳が二つ。

 身長は百から百二十センチくらい。

 見た目は十歳くらいの童女。

 尻尾が浴衣から少しはみ出て見える

 目は猫のようにキリッと大きくてまん丸。

 真っ白な肌。

 髪は真っ黒で千鶴のように肩くらいまでのセミロング、前髪は日本人形のようにパッツリ切り揃えられている。


 ──怪異……だよな?

 猫の怪異? 獣霊ってやつか?

 何故、俺の部屋に?

 でも、なんだかヤバそうな奴には見えねぇな。


「にゃ、にゃにゃにゃ〜、にゃん、にゃん、にゃん〜」


 それは聴いたことがない歌を口ずさんでいる。


 ──間抜けな歌だな。弱そう……だよな?


 うつ伏せになり、足を幼い子供のようにバタつかせ、泳ぐような姿勢で雑誌を眺める。

 よく観察して、こう来たらこうッ! とかこうしたらこうッ! とかイメトレを頭の中でしっかり練り対策を講じる。


 ──怪異に打撃は通じるのか?

 うっし! 乗り込むか。

 勢いよく飛び出て行ってビビらせてやる。

 こーいう時は第一印象が大切だ。

 なめられちゃいけねぇ……。

 國枝一護の眼力見せてやるぜ。


 意を決して、ドアをバンッ──、と大きな音を立て弾くように開ける。

 前のめりになりながら、部屋に勢いよく飛び込んだ。


「にゃ?」


 音に反応し、耳をピクピクさせて童女は俺の顔を見た。

 俺は喧嘩相手を見るように、眉間に思いっきりシワをよせて、目を大きく見開きすごむ。

 童女は何事もなかったかのように再び、雑誌に目を向けて

 

「帰ったかにゃ、ドア壊すにゃよ。もっと静かに開けにゃいと……」

 と妹の小言のように言った。

「お、おう……」


 ──な、なんだこいつ……。

 全然ビビんねぇーぞ。

 

「まぁ、適当に座りにゃよ。狭い部屋で申し訳にゃいが」


 ──ここ、俺の部屋なんだが……。

 おーし、この野郎。

 ずいぶん舐めてくれてんじゃねーか。

 とりあえず、余裕こいてるこいつの面を拝んでやるぜ。


 ポッケに両手を突っ込み、幅を効かすようなガニ股で、ガンを飛ばしながら、怪異らしき童女の方に歩み寄った。

「んにゃ?」と顔を見上げて俺と目が合う。

 

 猫のようなキリッとした長細い瞳孔どうこう。ちょろっとした眉毛とおチョボ口が印象的でよく見ると可愛いらしい。


「にゃんだよ?」

「いや、にゃんだよ、じゃないだろ……お前、だれ?」


 俺は単刀直入たんとうちょくにゅうに切り出した。


「にゃんだ。お前さん、にゃーがわからにゃいの?」

 猫娘は首をかしげながら言う。


「人間じゃねぇーって事はわかる」

「にゃるる、いきにゃり、にゃーみたいな可愛い娘に「お前、誰?」にゃんて言えるのは、童貞くらいなもんにゃね。お前さん童貞だにゃ」

「勝手に童貞扱いすんなッ!」


 ──童貞だけど……。

 

 怪異は起き上がり、ベットの上で胡座あぐらを組んだ。

 ポンポンッと自分の横に手を二回着く。

 そでから見えた手は、ポテッとした猫のそれだ。

 座れという意味らしい……。俺は指示通りに腰を下ろした。


「さて、ここで問題にゃ」

 猫娘は偉そうに腕を組んだ。


 ──問題? なんだ唐突とうとつに……。


「この部屋にあって、この部屋に今日は、にゃいモノはにゃんだ?」


 ──謎謎? この部屋にあって、にゃいモノだって?


 俺はぐるっと自分の部屋を見渡す。

 机、椅子、ベット、チャンプロード、

 転生マッスル全巻、一番くじのフィギュア達、

 カバン、スケボー、一つ一つ確認していく、

 メリーはいない、その隣のいったん……。


 ──あれ? いったん? タンスの上のいったんがない。


「いったんがない……」

 俺はボソっと呟いた。

「正確にゃ! 褒美に童貞一回プレゼントしてあげるにゃ」


 ──童貞を……プレゼント?

 

「一応確認だけど、童貞を一回プレゼントってどう言う意味だ?」

「そのままの意味にゃ、童貞卒業しても、もう一回童貞のままって事にゃ」


 ──やめろッ! まったく、ありがたくもねぇよ!


「え? じゃぁ、お前はなのか?」

「さすがにゃ、わかったかにゃ? うんん……」

 といったんは、首を傾げ少し考え込んだ。

 

 ──なんだよ……。


「サービス問題にゃ、おまけで更に童貞一回追加してあげるにゃ」

「やめろッ!」


 ──童貞が三回になった。


「ところでお前の隣に飾ってあった、西洋人形はどうした?」

「メリーの事かにゃ? メリーは今朝、お前さんが学校に行った後に【私も今日からは、付喪神ね……ちょっと新しい自分を探してきます】とか言って出かけたにゃ」


 ──怪異が、自分探しの旅……。

 とりあえず、色々聞かなきゃならねーな。


「お前、いつからその姿になれたんだ? それっていわゆる付喪神つくもがみだよな?」

「その通りにゃ、付喪神だにゃ。正解した褒美に──」

「やめろッ! 童貞はもう沢山だッ!」

 俺は思わず叫んだ。


 いったんは、目を細め「ふぅー」とかぶりを振る。


「いつからかと言うと、お前さんが最初にメリーに触った日にゃね」

 唇に手を当て、思い出すような素振りでいったんが言った。

「はぁ!? んじゃメリーに襲われた時に助けてくれても良かったんじゃねーの?」


 ──こいつ……、ただ見てただけだったのか?

 

「冗談言うにゃね。にゃーは、所詮しょせんお前さんだけしか知らにゃい付喪神にゃ。下位の下位にゃ、メリーのような誰もが知ってるよーにゃ、ましてや世界を渡り歩く上位の呪いに叶うわけにゃいよ」


 ──怪異にもランクがあるのか?

 メリーも確か、上位の怪異とか言ってたな……。

 けど、こいつ俺達を見殺しにするつもりだったのか? 信用できねぇやつだ。


「上位や下位と言うが、怪異にもランクやクラスがあんのか?」

「もちろんにゃ、基本的にメリーのように制約が付きまとう怪異は上位にゃね」


 俺の考えた怪異制約論かいいせいやくろんは、やっぱ正しかったらしい。


 ──ん? 基本的に?


「って事は、制約から外れた怪異もいるのか?」

「そうにゃね。にゃーも制約の外れた怪異やね」


 いったんは、詳しい詳細を語ってくれた。

 制約には二種類ある。

 一つは存在の制約。

 

 怪異の発祥はっしょうや認知のレベルによって存在ができる領域の範囲が変わる。

 いったんの場合は発祥が、幼い頃の愛情であるため、この家の中か、俺の側でのみ存在の制約が成立する。


 メリーのように噂が世界中に及び、認知範囲が広いと世界中どこでも生存が可能らしい。


 二つ目の制約は、力の制約。

 怪異の怨念や呪いが発揮されるには、予想通りその怪異独特の制約があるみたいだ。

 メリーの場合はやっぱり、背後に立つ前に電話をかけて、背後に立ち、振り返ると──。

 と言う手順が必要らしい。

 

 それと恐怖感の与え方により、より即効性のある呪いが発揮されるという。

 だから制約前に何度も電話をかけて恐怖感をあおっていたようだ。


 二つ目の制約のない怪異は、基本的に力が弱い怪異と見なされている。

 呪いや怨念が、発揮されるには長い時間がかかる。

 制約の手順や工程が複雑なほど、より怪異の怨念や呪いの力が強くなる。


「が──、まれに二つ目の制約を無視できる規格外の怪異もいるにゃ」

 いったんの深妙な面持ちに影が差す。


「規格外……だと?」

神格しんかく伝説でんせつに匹敵する怪異にゃんね」

 両手を顔の前でブランブランさせ、お化け感を匂わす。


 ──神格? 伝説? 名前からしてヤバそうな感じがプンプン匂うぜ。


「日本で言ったら、玉藻前様たまものまえさま早良親王様さわらしんおうさまの方々にゃんね」


 いったんは間を置き、右手で猫のように自分の顔を撫でた。


「他にも何人か名前を出すだけでも、やばいお方もいるにゃんね。お前さん如きが触れる事もありえにゃいと思うけども」


 とにかくやばそうだし、俺から近づく事もまずないだろう。そんな恐ろしいものがこの世にあると思うとゾッする……。


「お前さん、今までの話を聞いてあんまり驚かにゃいのね」

 いったんは、不思議そうな顔をする。


 ──そりゃ昨日までだったら、その話どころかいったんの存在すら否定したさ……。

 今は、メリーに遭遇しちまった後だ。

 今更、受け入れる以外の選択肢なんてない。

 それに──。


「世界には、鼻メガネに度を入れて生活する奴もいるし、バイクよりも速いママチャリだってあるし、昼休みにしか現れないスーパーギャルもいる、今更、何も驚くような事はねぇーよ」


 ──世界というか、とある学校に全てが詰まっているのだけども……。


「ふ〜ん」

 いったんは、どうでも良さそうに相槌あいづちをうち雑誌に向き直った。


 ──つーか、こいつさっきから何見てんだ?


 覗き込むとキャンプの雑誌だった。

 アウトドア好きの俺の影響を受けている?


 ブンブンブンブン──、ポケットのスマホが振動している。着信が来た。


 ──電話? 誰だ?


 電話を取り出し画面を見る。

 さっきまで一緒に遊んでいた「鈴蘭 渚」の文字が、電子画面に青白く浮かぶ。


 ──鈴蘭?


「はい」

 電話に出る。

「…………」

 相手は無言だった。

「おい、なんだよ」


 何度か話かけても言葉は返ってこない。

 よく聞くと「はぁ……はぁ……はぁ……」と息を荒げている。


 ──なんだ? 今、そう言うプレイでも流行ってんの? エッロ……。


 と思うが一瞬で考え直し、状況を知ろうと音に集中を傾ける。


 タンタンタン──

 靴底が地面を激しく早いリズムで叩く音がする。

 車が通り過ぎる音。

 ボボボボ──

 風がスマホのマイク部にぶつかる音。

 カンッ──カランカラン──

 空き缶のようなものを蹴り飛ばす音。

 ゴォォォォ──

 電車が通過するような騒音。


 ──外を走っている? 追われている?


「おい、どうしたッ!」

 俺は電話越しに叫ぶ。

「ハァ……ハァー……國枝っち……」

 電話の向こう側から緊迫した雰囲気が伝わってくる。

「鈴蘭ッ! どうしたッ!? 何かあったのか!?」


「──助けて──國枝っち!!」

 鈴蘭の恐怖に震えた声が鼓膜を揺さぶる──。

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