夏夜の幻
人には大なり小なり嫌いなもの、苦手なものがある。
そういったものに直面した時こそ、人間の本性がハッキリと映るのである。
「……なんてな」
隣を歩く皆川には聴こえないようにぼやく。
葉の擦れる音と、靴が砂利を踏みしめる音。耳を澄ませば隣を歩く皆川の呼吸すら聴こえそうな静寂。
繋いだ左手は緊張からか、どちらともない汗が滲む。それでも手を離すまいと絡められた指。
本来なら、幸せな時間だ。
本当なら、喜び勇んだはずだ。
だが手を繋いで女子と二人で夜道を歩く幸せを感じるには些か空気が悪い。
「この企画した奴は後で絶対に殺すわ」
何せこれである。
しきりにきょろきょろと……いや、ぎょろぎょろと辺りを見渡すその様子は鬼気迫るものを感じる。
仮に普段のお淑やかで高嶺の華な感じの皆川しか知らない人間が居たら別人を疑うだろう如き様子だ。
「まー、確かによくこんなの通ったなとは思うけどな」
夏の夜の定番と言えばそうなのかもしれないが、肝試し。
墓を通り抜けて、なんて企画が現実に成立するとは思わなかった。いったいこのサークルに何の権限があると言うのか。
曰く、ちゃんと”本人”に許可をとったらしいが、あの含みのある笑みの理由を突っ込んでは聞けなかった。
「皆殺しよ、全員埋めて帰ってやるわ」
手元の懐中電灯に照らされる顔はそれだけでも人の恐怖を増幅させるというのに、その顔がじわじわと狂気に汚染されていくとなったら、それはもうお化けより怖い。
「もういっそ皆川が憑かれてると言われても納得するわ」
お化けのせいなのか、皆川の本性がこうなのか。
できればお化けのせいであってほしい。
サークルの華の皮一枚下が狂人であったなど、誰も幸せになれない。何なら物語のお約束的に秘密を知った俺が一番最初に殺されそうだ。
「疲れてる? 当然でしょ、こんなことしてたらそりゃ疲れもするわよ」
「あー、うん。そうだな」
ボケなのか真面目なのか、あるいは怖いから誤魔化したのか。
判断するには普段と状況が違いすぎてあてにならない。
「ちゃんと若槻は右を警戒してなさいよ。何が出てくるか分かったもんじゃないんだから」
真剣な目で俺に命令する。
これがホラー映画なら皆川も皆川で早々に退場しそうな役だ。
「何も出てこないと思うけど」
「何か出てきてからじゃ遅いのよ!」
せいぜいがサークル仲間が悪ふざけに来るくらいだろう。
皆川が恐れているものが出てくるとは思えない。
「既に全てが手遅れだと思う」
主に皆川のイメージとか。
「何!? 何かいたの!?」
俺の言葉をどう勘違いしたのか、皆川の顔が引きつる。
いったいどこにそんな力があるのか根が生えたように足が止まる。
「どーどー、落ち着けー。何もいないぞー。ただの草の茂みがあるだけだー。後普通の墓」
「普通は墓なんてないのよ!」
「墓地なんだから墓はあるだろ」
「私の人生に墓はないの!」
「いや、それはあるだろ」
俺が知らないだけで不死身なのだろうか。
だとするならほとんど皆川がお化けじゃないか。
たぶんそんなこと言おうものなら更なる混沌に巻き込まれそうだが。
口は災いのもとだ。
「何でそんなに冷静なのよ!」
「隣で焦ってる人がいると一周回って冷静になったりしない?」
別に俺とてホラーが得意なわけでも好きなわけでもない。
ひとえに、今自分が女子と、しかも普段高嶺の花の女子と手を繋いで、更に相手は肝試しを怖がってる。自分がしっかりせねばと男の子の見栄が発動しているに過ぎないのだ。
流石に見栄張ってるなんていうわけにもいかないので適当に誤魔化した。
「私が無様だって笑いたいのね!」
しかし余計な嘘は余計な誤解を招いた。
「それはただの被害妄想なんだよなぁ」
「何で私の妄想趣味を知ってるの!?」
「……たぶん聞き流して聞かなかったことにしといた方が賢いやつなんだろうな」
高嶺の花、妄想趣味があった。
誰と誰なのか。あるいは何と何なのか。もっと別の何かなのか。驚く顔を見るに闇は深そうである。
「もうヤダ。私帰る。お家帰る。ここイヤ。もう帰るー」
そして幼児退行。
ちょっとそそられる庇護欲に自己嫌悪。
狂気が抜けると可愛いのだけど。
狂気さえ抜ければ。
「人間って情緒不安定になるとこうなるんだな」
ほんの数分でどれだけ新しい顔を見せてくれるのだろう。
ちょっと嬉しいのが自己嫌悪。
狂気さえ抜ければ。
狂気さえ。
「私は冷静よ!」
「ここまでの行いを見返してみろ」
微妙に食い違う会話の数々。
むしろ微妙に食い違い続けてる辺り、計算尽くなのだろうか。
「私は今日の記憶の全てを奥底に封印することにしてるから」
「全てなかったことにする気だ……」
別に計算でもなさそうだった。
「若槻も全部忘れるといいわよ」
「それはそれで勿体ない気がするけど」
怖がりなことは知っていたけど、ここまでなことは初めて知った。
いつもは何でも万能にこなすけど、焦ると微妙にポンコツなことも知った。
ぐずる姿だって可愛かった。
「こんな記憶に何の価値があるっていうのよ!」
「レアな皆川を見れてることかな」
どれもこれも、普段なら見れない姿で。
「私なんて見放題よ。存分に見るといいわ、私はこんな女よ。この程度の女よ。無価値だわ、もうダメ……」
幼児退行から戻ってくると今度はネガティブに全振りしだした。
忙しい人である。
思っていたよりも、手がかかる。
宥めなくては、そう思って。
「好きな人のレアな姿は無価値ではないだろ」
本音が漏れた。
別に今言うつもりでも、いつか伝える気があったわけでもない。
ただ心に秘めてそれで満足だったつもりの。
「え?」
間の抜けた声に、焦って皆川を振り返る。
言い訳をすべきか、いっそ全部伝えるべきなのか、何事もなかったかのように振る舞うか。
「あ、いや、今のは……」
まとまらないまま声だけ漏れて、しかし皆川の目は俺を見ていない。
俺の後ろを見て、俺を見て、数度口を開き、言葉にならず。
「キュウ」
「え、あ、ちょッ!?」
随分と間抜けな音を漏らして後ろに倒れ込んだ。
手を握っていて良かった。怪我しないように思わず抱きかかえ、後ろを見れば、白いシーツの雑なお化けがいる。
これをお化けと呼ぶのも躊躇うほどに雑なお化け役が。
「……何つーか、ごめん」
聞き馴染みのある声だった。
できたら聞きたくない声だ。
どこから聞いていたかは怖くて聞けない。
ただ、ひとつだけ言えることがある。
「起きた時に殺されないといいな」
気まずい空気が流れる。
「……確かに、出てきてからじゃ手遅れだったな」
お化けは俺の言葉に、不思議そうに首を傾げた。
全部が全部、聞かれていたわけでもないようだ。
警戒はちゃんとすべき。
警戒していたからってこれが何とかなったのかどうかは分からないが。
今回の教訓だろう。
ちなみに、起きた皆川に直前の記憶はなかった。
誰も救われないというか、誰もが救われたというか。
安堵しつつも俺は肩を落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます