踏んだり蹴ったり刺したり忙しい

 テーブルを挟んで座る彼女の萩から視線を逸らした。

 できることなら現実からも目を逸らしたいが、萩は逃がしてくれそうにない。

 ちょっと飲み物をとりに部屋を空けただけで、こんな地獄になるなら俺はカラカラに渇き死ぬべきだった。


「さて、被告人……どう思いますか?」


 静かに、それはもう静かに俺に問いかける。

 いっそ他人事のように「ここが地獄ですか」とか「これが修羅場ですね」とか言ってしまいたい。

 許されるわけないけども。

 火に油を注ぐだけになるけども。 


「あー……」


 結果的に、俺の口から漏れるのは言葉にもならない場つなぎ的な音だけだ。


「私とて鬼ではありません。言い訳は聞くつもりです。回答次第では許すこともあるでしょう」


 菩薩のような顔をした鬼がそう告げる。


「この状況が既に鬼畜の……」

「何か言いましたか?」

「いいえ、何も!」


 菩薩の裏に般若がいた。

 迂闊な発言は即アウトだが、この場を切り抜けるイカした一言が俺の脳から出てくるわけがない。所詮は18年しか生きていない経験値足らずの脳である。

 そもそも優秀な脳を搭載していたらこんな間抜けな状況になっていないのだから。


「で、言い訳はありますか。なければ死刑に処す予定ですが」


 発言は死亡を意味し、無言は死刑を呼ぶ。


「あー……いや、何と言うか……」


 多少の時間を稼いだところで、何か閃くわけもなく。


「ごめん」


 なればこそ、発すべきは謝罪の一言のみ。

 というか、それ以外に何と言えばいいのか分からない。


「私が何に怒っているか分かりますか」


 気持ちとしては、むしろ謝罪してほしいすらあるのに、萩はさらに詰問を続ける。


「こんなの持ってることじゃないのか」


 俺は諦観の念を込めながら、テーブルの上を見やる。

 並ぶのは、男のコレクション。

 所謂、Rがつくタイプの、子どもが見ちゃいけないタイプの、男の子の心の柔らかい部分なコレクションである。

 本当に何で俺は彼女を前に、アダルトグッズを並べられるという地獄を味わわなければならないのか。

 それとも見つかるような間抜けを晒した俺が悪いのか。

 隠すってこんなにも難しいのか。


「違います」

「え、違うの?」

「違います。そんなことで私は怒りません」


 うっすらと慈悲の笑みを浮かべるその様は「男の欲望に理解があるので」と言わんばかりだが。


「絶対嘘だ……」

「何か?」

「いいえ、何でも」


 余計な地雷を踏むものじゃない。

 例え、断言できるだけの理由があったとしても、証拠があったとしても、地雷は踏まないに限る。

 何故なら、萩は怖い。


「では他に何か思い当たる点は?」


 笑顔が怖い。


「……正直さっぱり」

「本当に」

「本当に」

「何も?」

「何も」


 幾拍かの沈黙が流れる。

 萩がそっと俯いた。

 吐いた息は、諦めとか、悲しみとか、そんな類のものではない。まるで武闘家が一撃を繰り出す前に整えるような。


「馬鹿!」

「いってぇ!?」


 綺麗なビンタだった。

 容赦のない一撃である。


「どう見ても女性の趣味が私と真反対ってことだよ!」

「え?」


 涙目で訴えられるが、完全に予想の斜めすぎて、思考が追いつかない。


「巨乳! 年下! 美人系! どの属性も私じゃないの!」

「そこ!?」


 どうりでやけに綺麗に並んでいるなと思った。

 属性で並べてたのか。

 つまり、属性で並べられる程度には確認されたのか。

 男の子の柔らかい部分がジュクジュクである。これはもうマナー違反である。


「由々しき問題だよ! 私、全く正人の趣味じゃないってことだよ!」

「そこかよ!?」


 バンッとテーブルを叩く萩。

 男の子の柔らかい部分に刺さった。

 こんな状況で思うことではないが、可愛いが刺さった。

 とは言え、そうも言ってられないのが目の前の状況である。


「つか……いや、そもそもそんなことは……」

「でもこのラインナップ見て!?」

「あんまり突き付けないで貰えると助かるなぁ……」


 片手にDVD、片手に本。

 すごい装備である。

 とんでもない絵面である。


「どうりで私に手を出さないわけだと! そういう事かと! 私は納得したわけですよ!」


 力説しているが、たぶん必死になりすぎて自分が何を言ってるのか、ちょっと分かってないと思う。

 おそらく自分が両手に何を持ちっぱなしなのかも理解してないと思う。

 いろんなダメージがすごいので、少し落ち着いてほしい。


「いや、だからだな?」

「嫌だ! 言い訳なんて聞かない!」

「言ってることがさっきと違う!?」

「問答無用で死刑に処す!」

「理不尽!」


 イヤイヤと首を振りながら、俺を睨んだ目は据わっている。

 たぶん自分が何を言ったのか、ちょっと自覚したっぽい。


「世の中はそんなものだよ! さぁ、貴様を殺して私は生きる!」


 さり気なく両手の装備品がテーブルに戻された。

 朱の差した頬が可愛いが、握りしめられた拳がだいぶ不穏である。


「あ、そこは生きるんだな」

「清々しく生きる!」

「清々しちゃってる……」

「裏切りの代償を払ってもらうからね!」

「殺意の波動に飲まれてる……」

「さぁ、覚悟はいい?」

「拳の構え方が堂に入ってんなぁ」


 おそらく怒ってる原因が既に最初と違っている気がするし、ただの照れ隠しになってきている気がするし、どうにかテーブルの上の物片づけたいし、萩が可愛いし、俺は羞恥心で死にたいし。

 とりあえず、とても大変である。

 覚悟などしている余裕はない。


「最後に言い残すことは……ある?」

「あ、聞いてくれるのね」

「……一応」


 言うべきなのだろうか。

 一応、理由はあるのだ。

 だがその理由を萩に告げるべきなのかどうか。俺の羞恥と萩のプライドが天秤に乗り、俺のプライドと萩の涙目が追加される。


 誤解を解くべきか、否か。


「萩に似た人が出てるのは、萩と被って罪悪感すごいから使えません」


 何かもう、いっそ殺してほしいくらいである。

 俺はいったい何の告白をしているのだろうか。

 そして萩よ、顔を真っ赤にして黙り込まないでほしい。

 俺のために。


「……何か言ってくれよ」

「……何か」


 そんな目で睨まれても困る。

 別に俺は望んでこんな羞恥プレイをしているわけでも、萩を恥ずかしがらせてやろうなどと考えているわけでもない。

 これはそう、事故なのだ。

 ほぼ萩の責任の気はするけど、事故なのだ。


「そうじゃなくて」

「丸め込まれてる」

「そうでもなくて」


 これで丸め込まれそうな萩が可愛い。 


「ズルだ」

「事実だ」

「タラシだ」


 もういっそ全てのコレクションと別れを告げて、禁欲してもいい気にすらなる。

 たぶん、捨てられないし禁欲もできないが。

 一瞬そんな血迷いをするくらいには、可愛い。

 これは現実逃避なのだろうか。


「萩が人生初めての彼女ですが何か」

「知ってる」

「知られてた」


 もうお互いに何を話すべきなのかも分からない。

 怒る空気ではなくなり、照れ隠しをする空気でもなくなり、かと言って素直になるには状況が悪すぎた。


「……何か、ごめん」


 萩が申し訳なさそうに頭を下げる。

 そもそも本棚に隠していたはずのコレクションをどうやって見つけたのとか、事の経緯を問い詰めれば、今なら立場が逆転する気もする。

 冷静に考えると、被害者は俺だし。


「いや、俺も変なの見せちゃってごめん」


 だが、そんなことより仲直りが優先だった。

 そうなってくると、立場がないのは萩の方で。


「あー、えっと……」


 気まずげに「あー」「うーん」と声を漏らして何かを言いそうに俺を見ては、赤くなって俯く萩に、俺の理性が削られていく音がする。


「ど、どっか出かけるか? ここ居ても何だし」


 余計なものがなければ良い空気にもなった気がするが、いかんせん状況はテーブルに並ぶコレクション。

 切実に、ここに居たくない。 


「そう、だね。うん。出かけようそうしよう地の果てまで行こう」

「いや、それは……まぁいいか」


 そして、それは萩も同じで。

 だが妙な距離感のまま、そそくさと家を出たところで空気は変わらず。

 並んで歩くその距離が遠いような近いような、どんな距離感で歩いていたのか分からない。

 暑いのか熱いのか、どこに出かけようか何としようか。 


「ねー、正人」

「はい」


 部屋とはまた違うパニックに襲われだした俺に、萩が小さく声をかけた。


「そんなに警戒しないでよ。ああいうのはともかく……」


 そこで言葉を切ると、萩は俺から目を逸らした。 


「手くらいは、繋ぎたい……」

「……頑張る」


 ちょっとだけ、距離が近づいて。

 手持無沙汰な手がプラプラして。

 偶然手を繋ぐにはまだ少し遠くて。


「頑張って」


 もう萩の方は見れそうにない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る