失恋によく効くお薬

「今日は! 飲むわよ!」


 ビールを掲げ何度目になるか分からない宣言。

 白い肌をアルコールでほんのりと赤く染め、掲げたビールが不安定に揺れる。なみなみと注がれたビールはたまらず泡をテーブルに零した。

 そんな綾香の様子に、洋平は肩を竦めこっそりとため息を吐く。


 既に綾香は大層酔っていた。


「はいはい、程々になー」


 今更気をつけたところで、明日の朝一の講義は二日酔いで欠席だろうなと内心思いつつ、綾香の宣言に合わせ軽くジョッキを掲げた洋平は一口だけ飲んでテーブルに戻した。

 既に2軒目。時間にして4時間弱。

 然程アルコールに強くもないうえに、大して酒が好きなわけでもない洋平からすればとっくにお腹いっぱいである。


「今日飲まないでいつ飲むのよ!」

「楽しい時かな」


 テーブルにドンッと置かれたビールは既に半分ない。

 飲むのはともかくそろそろペースだけは落とさせたいと、洋平がさり気なく差し出した水のグラスは気づいたらテーブルの端に追いやられていた。

 変なところで冷静さを残している綾香の難儀さに苦笑しつつ、皿を片付け、相槌をうち、程よく流す。

 気だるげに返事しつつも、できる男である。

 明日の講義の単位は落としそうだが。


「病める時も健やかなる時もお酒は裏切らない! お酒だけは! 裏切らない!」


 イマイチ話が通じない。

 酔っているのか、聞く気がないのか。

 どっちもだろうなとひとりごちている間に、綾香のジョッキが空になった。


「楽しそうで何よりだな」


 減らない洋平のジョッキをジッと。何故飲まないのかと言わんばかりに睨む綾香の視線を無視しながら、火に油を注ぐ。


「これが楽しそうに見える!?」


 本日、失恋のヤケ酒である。

 浮気、言い訳、逆切れのクズ男コンボを乗り切り、傷だらけの心を癒すための呑み会である。

 そんな飲み会に男である自分を選ぶのもどうなんだと思わなくもないが、野暮なことは言わない。

 吐き出せるところに吐き出せばいいと思っている。

 胃の中のもの以外は。

 

「大変元気そうに見える」


 と、内心はどうあれ口から出るのは皮肉であった。

 タイミングよく皿を下げに来る店員のお姉さんが「優しくしてあげなよ」とばかりに洋平を非難気に見るが、そんな目で見られても困る。

 追加のビールを頼んで洋平は何にも気づかなかったフリをした。


「お酒の力ね!」

「お酒って偉大だな」

「そうよ、お酒は偉大なの!」

「感謝してじっくりいただこう」

「お酒の神様に乾杯!」

「はい、酔っ払いに乾杯」


 皮肉屋な洋平と、話を聞かない綾香の、通じているようで通じない会話。

 洋平はさっきのお姉さんの視線を後頭部に感じていた。  


 大変気まずい。 


「さっきから馬鹿にしてる?」

「いや、別に?」

「何でそんな素面なのよ」

「そりゃさっきからウーロン茶だからな」


 ジョッキに揺れる、ノンアルコール。

 なお、それも大して飲んでいない。

 洋平からすれば、小柄な綾香の身体のどこにそんな量の酒が入るのかの方が疑問である。


「ウーロンハイ頼んでたじゃない」

「こっそり店員にお願いした」

「何で!」


 綾香は憤慨した様子で洋平を睨む。

 後ろからは「そうだそうだ、女の子ひとり酔わせてどうする気だ」と言わんばかりの視線を感じる。目が口より物を言うタイプのお姉さんらしい。


「この酔っ払いを誰が連れ帰ると思ってんだ」

「素面で持ち帰り宣言?」


 頬に手を添えてシナをつくった綾香に、洋平はこれ見よがしにため息を吐いた。


「いや、ホテルに転がして帰る」


 時間が止まった。

 ギギギ、と音でもしそうな首で洋平へ顔を向けた綾香へもう一度宣言する。


「ホテルに転がして帰る」


 明日の講義は単位がマズいし、と時計を確認しながらぼやいた。


「……ついてる?」

「最低の発言だな」

「だって男なんてそんなものでしょ」


 お姉さんが後ろで猛烈に首を縦に振っている。

 いったいお姉さんの過去に何があったのか。

 洋平は気づかないフリをした。

 後ろには何もいない。


「下半身にしか脳みそがついてないようなやつと一緒にするな」

「私そんな男しか知りません」


 唇を尖らせわざとらしく不貞腐れた顔をしているが、揺れる目は必死に涙をこらえていた。

 だからと言って優しい言葉をかけられるような人間でも関係でもない。


「自分の見る目のなさを恥じろ」


 俺も含めて、とまでは言わない。

 どう考えても慰めるのに適した人間ではない。何を考えて綾香が自分を選んだのか、甚だ疑問だった。


「もうちょっと励ましてくれても良いと思うんだけどどう思う?」


 とてもそう思う。

 思うだけだが。

 思ってそれが言動に繋がるかはまた別問題である。


「こんな酔っ払いに付き合ってやってる優しさを理解するべきだと思うけどどう思う?」


 洋平は、素直にならない自分の口にうんざりしていた。

 お酒を入れて、目の前には傷心した綾香が居て、優しい言葉をかけるべきだと考えていて、それでこのザマ。

 どこまで行っても皮肉屋。


 段々とイライラしてきた。 


「こんな隙だらけなのに手出さないよね」


 だからだろう。

 からかうような綾香に、ポロリと言葉が零れた。


「素面じゃないと嫌だし」


 たいして好きでもない酒に梯子してまで付き合っている理由とか。

 慰めるのに不適切な相手だと自認しつつここまで付き合っている理由とか。

 こんな今更な自分の性格に悩む理由とか。


 でもそれはお酒を入れてないと出てこなかった言葉だろう。


「……ん?」


 綾香の脳が言葉を反芻してショートする。

 洋平の顔がやらかしたとフリーズする。


「あ、え?」


 後ろでお姉さんがガッツポーズしていた。

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