まずは手から?
傾いた日に照らされて、瑞希と慶の影が伸びる。
ベンチに並んで、間に20センチ。
近いような、遠いような。
「……念願叶ったわけですが」
半ば独り言のように瑞希は呟いた。
「あー、おめでとう?」
慶は逡巡して、そう返す。
他に何と返して良いのか分からない。
「あー、うん。ありがとう?」
瑞希もしっくりこないのか首を傾げながら礼を言った。
慶もまた、困ったように声にならない声を漏らす。
「もう少しテンションどうにかならない?」
慶の無茶振りに、今度は瑞希が困ったように眉尻を下げた。
「お互い様でしょ。何か、こう……実感なさすぎて」
「分かる」
念願は叶った。
ずっとそうなりたいと思っていた。
でもそんなことはないだろうと思っていた。
「分かる?」
「分かる」
言葉少なにお互いの気持ちを共有する。
それだけで、嬉しい。
だが、それは上手く言葉にならない。
「お揃いだね」
語尾にハートでもつきそうな雰囲気で瑞希がわざとらしくはにかんでみせる。
「……それは違くない?」
少しドキドキはした。
でも違う気がする。
「分かる?」
「分かる」
手探りだった。
どうしていいか、どうしたいのか、自分でも分からない。
「恋人にはなりたかったんだけど……」
「ずっとね」
「うん、ずっと」
ずっと、そう願っていた。
瑞希も、慶も。ずっと。
なれるわけがないと思ってもいた。
だとするなら、今は夢なのか現実なのか。このふわふわとした温かい気持ちを手放しで受け止めるには現実味がなさすぎて。
「片想い期間が長すぎたね」
今更どうしていいか分からない。
いったいどんな話をしていたかすら、今はさっぱり浮かんでこなかった。
散々、馬鹿な話だってしていたはずで、どうでも良い話ばかりしてきたはずなのに。
「両片想いとか言う不毛な時間ね」
慶の言い草に、瑞希が少し眉を寄せる。
「不毛かな?」
「まぁ楽しい時間ではあった」
恋を満喫したとも言えるかもしれない。
でも、どうせなら。
「さっさと告白すれば良かった感はあるけどね」
「あるね」
不毛は言い過ぎた、と慶が頭を下げた。
瑞希も別にそれ以上言及しない。
「まぁとにかく、片想いが長すぎて……」
「付き合った実感は湧かないね」
「もっと歓喜溢れるものかと」
想像していたものとだいぶ違う。
それこそ、思わず歓声をあげてしまうとか、緊張が解けて膝から崩れるとか、そんなものを想像していたのだ。
こんな、ベンチに腰掛けて「どうしたものか」とぼんやりする絵なんて頭の片隅にもなかった。
じゃあ嬉しくないのかと言われると、勿論そうではないのだ。
「溢れすぎてちょっと処理落ちしている感はある」
端的に、脳の処理が追いついていない。
ずっと好きだった人と付き合えたという事実を、脳が処理しきれない。
「ある、分かる」
「分かるか」
「どうしようかな」
何をしたかったか。
寒そうに手をこすりあわせる瑞希を見て、ふと頭を過ぎった。
「……手とか、繋いでみる?」
恋人になった今、それを咎める者は誰もいない。
繋ぎ放題である。
「え、もう?」
だが、片想い中の、触れてはいけないという自制が妙に残ったままの瑞希は微かに抵抗があるのか、咄嗟に手を背中に隠した。
「恋人っぽいかなって」
確かに、と瑞希も自分の冷え切った手を見つめる。
夕方、ベンチに並んで手を重ね合わせる。茜色の世界、静かな時間、繋がる影。
それはとても恋人っぽい気がする。
でもその空気だと、と瑞希は恐る恐る切り出す。
「そのままキスとかしない?」
「しない」
慶は即答した。
真顔だった。
「しないんだ」
それはそれでちょっと傷つく。
「していいの?」
「困る」
「でしょ?」
心臓をこれ以上酷使してはいけない。
「でも嫌ではないかもしれない」
「ちょっと保留にしとこう」
淡々と。
内心ドキドキと。
これ以上は藪蛇の気がする、とふたりしてそれ以上ツッコまない暗黙の了解。
「手は?」
「それは今から検討しよう」
自分から提案したくせに、既に慶の腰は引け気味である。
キスなんて余計なことを意識したせいで、嫌でも唇に意識が向いてしまう。
「いや、勢いで繋いじゃおう。じゃないと本格的にタイミングを逃しそう」
踏み込んだのは瑞希だった。
「分かる」
既にタイミングを逃しかけている。
「分かってくれるか」
「分からいでか」
分かってはいる。でも動くことができるかどうかはまた別問題である。
沈黙が流れる。
20センチ。
手を伸ばせば、すぐそこに居る。触れられる。
拒まれることはない。
それでも、この距離が怖い。
「それじゃ……良い?」
「……うん」
そろりそろりと、ふたりの真ん中。
指が触れ合って。
恐る恐る手を重ねて。
顔が見れない。
握る。
こうじゃない。
握りなおす。
こうでもない。
1本ずつ指を絡めて。ぎゅっと握りなおした。
緊張がほどけて、吐息が漏れる。
「……あったかい」
緊張のせいか、冬のせいか。白い手はもはや青白く。かじかんだ指からじんわりと熱が伝わる。思っていたより大きい慶の手が、温める様に瑞希の手を包み込んだ。
「……冷たい」
小さな白い手を、壊れ物に触れる様に優しく握る。
緊張のせいか、冬のせいか。少し震える手が愛おしくて。
「冬だし」
どこか拗ねたような響きは、照れ隠しだ。
確かめるように、ふたりは無言で何度か握る手に力を籠める。
瑞希が力を入れれば、返すように慶が。慶が力を入れれば、応えるように瑞希が。
夢じゃない。
そこにいる。
それだけのことが、不思議で。
そして。
「……ねぇ」
「……何」
「思うんだけどさ」
「大丈夫、分かる」
「分かる?」
「分かる」
20センチ。
手を繋いで、隙間を埋める。
身体を預けはしない。
唇を交わすわけでも、愛を囁くわけでもない。
ただ、静かに手を繋ぐ。たったそれだけのことが。
「「これは思ったより幸せかもしれない」」
夕闇に、満足気なふたりの笑い声が響いた。
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