「うまかったな。あそこのコットンキャンディ・アイス」

 栃原に新しい相手がいることはわかっている。そちらにスポットが当たり、私が暗になり、彼は生存本能に従いその女性の下へ飛んでいったのだ。

 急がなければならなかった。その相手とゴールへ向かっているかもしれない。さすがの私も、二人に婚姻関係が結ばれ、平和な街並を構成する一家庭として機能しはじめては、それを堂々と壊す勇気は持てなくなる。子どもまで生まれてしまったらもう完全に行動はできなくなるだろう。

 狂っているくせに、そういうモラルは考慮するなんて、タチが悪い。


 あの人だけを抹殺したい。あの人だけ消えてほしいのだ。私を苦しめているのは一人の平凡な男であり、それ以上の背後世界があっては困る──彼の両親、兄弟、友人のことは頭に浮かばなかった。そういう相関図を作れる関係を築けていたら、何か変わっていただろうか。


 何度考えても、何度絵に描いても、栃原を三日月の光へ誘い込む方法が思い浮かばなかった。私たち人間にも走光性があるとして、月を眺めるくらいは誰でもするだろうけれど──距離を詰める手段のところでストップしていた。

 栃原の今の恋の相手が月に住んでいるというなら、彼は喜んで飛んでいくだろう。しかし私は二人を月に置き去りにしたいわけじゃない。ふられた人間がそんなお膳立てをするなんてばかげている。

 月の牢獄に栃原一人を閉じ込めなければならないのだ。この街から消さなければならないのだ。



 私が無益な殺人計画と伴走している間に、友人が失恋仲間に加わった。彼は──男友達だ──六つ年下の彼女と遊園地で待ち合わせをしたのにすっぽかされたらしい。ドタキャンというやつ。それでもなにか避けられぬ事情があったに違いない、連絡があるはずだと信じて、友人・治也はるやは携帯端末を握りしめていた。そしてメリーゴーランドの白馬にまたがり、賑やかしい音楽にまとわりつかれながら回転していたという。

 彼は話した。「わかってる、メリーゴーランドが『幸福者専用車両』だってことは。おれ以外、子どもしかいなかったし、親子連れで埋め尽くされていて、写真を撮ってる親がおれのことを不審そうな目でずっと見てきた。いや、迷惑そうな──こいつどっか行ってくれないかなって目で。でも、おれだって客だ。メリーゴーランドからだと紗菜さなが来るだろう北駐車場がよく見えたから、そこで待ってるしかなかったんだ」

「いや、乗り物に乗る必要はないわ」私は非情にも冷静な意見を述べた。「彼女が来てから乗りゃいいじゃん。……治也から連絡はしたわけ?」

「しなかったと言えば嘘になる」

「なんだよ、その言い方。着信も無視されたんだ……。一人ぼっちでメリーゴーランド満喫しちゃったってわけ」

「うまかったな。あそこのコットンキャンディ・アイス」


 分かち合える失恋の痛み。気の合う二人──。それでも、ドラマみたいに私たちがくっつくようなことは起きない。それは、私を取り巻く世界の良心的なところを表していると思った。ナイフや毒では行われない殺人みたいな温かさ。私はこの現実が気に入ってしまった。この粗末なおもちゃ箱に投げ込まれるのに似合いの不幸と幸福をもっと味わわせて。安っぽいメリーゴーランドの響きやコットンキャンディ・アイスなどをもっと。薄っぺらな殺人動機と甘やかされ続けていく感情を。



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