手を洗ってテーブルにつくと、兄がペンを持って絵を描きながらビールを飲んでいた。

 家は家で憂鬱なことが多い。最初はテレビの音声だと思っていたものが隣家の住人の笑い声だった。夕方以降、我が家の西に位置するトイレに入るとしょっちゅう聞こえてくる。不思議なことに、私以外は家族の誰も聞いたことがないと言う。お隣は我が家よりずっと大きな邸宅を構えていて、庭もそこそこ広い。それを乗り越えてくるヴォリュームだというのに。


 手を洗ってテーブルにつくと、兄がペンを持って絵を描きながらビールを飲んでいた。兄はオリエンタル料理店で見習いコックをしていた。包丁さばきが認められたとかで、早くもフルーツ盛りの準備を任されているらしい。

「こういう断面が並んでいるのを見せられたら、やはり美しいと感じるだろう?」

 兄がペン先で紙に描いた絵をつんつん指しながら訊いてきた。なので、積み重なっている白い図形を果物だと思わなければならなくなる。

「フルーツというよりオブジェみたいね、美術館の」

「美観でこうしているわけじゃない。舌触り、それから味も、えらく変わるんだよ、切り方でね」

 料理のこととなると兄は、苦情を並べ連ねる客のように早口になり、怒ったような調子になる。芸術家や職人の偏屈さはこうしてできあがっていく──その例を見せられているようだった。

 母が夕飯のおかずを運んでくる。「果物って、あんまり空気に触れるとよくないんじゃないの? 色が変わるじゃない」

「デザートをただぼんやり眺めておくだけにする客はそういないよ」言いながらビールの缶を口に当てる。「それにそんなことちゃんと考えてあるに決まっているじゃないか。変色を防ぐためにレモン汁を振ったり、ゼラチン入りシロップを刷毛で塗ってコーティングしたりするんだ。ナパージュっていうんだけど」

「いつかあんたのフルーツを食べにいくよ」母の、話を終わらせるための眠たげな声色だった。

 食事がはじまると、今度は母が饒舌に変わり、ここに引っ越してきたときに五本あった包丁のうち一本がまだ見つからない、と話しはじめた。

 兄は「そんなもん知らん」と煮物を口に送り続け、包丁がなくなったら心配でしょ? と言う母に、

「ひとりで出歩いて犯罪を犯すわけじゃないだろ」とにやにやして返した。



 行方不明の包丁と比べれば、三日月なんてかわいいものだ。人を殺すような見た目でもないから、自分の倫理観もだましながら、着々と、粛々と、計画を進めていける。   

 でも、非現実的過ぎて、うまく行きそうにない──自分の中の反対意見が私に冷静さを与え、同時に心地よい陶酔を送ってくる。裕福な男性とのどうにも実現しない結婚を夢見ている少女のような陶酔だ。

 それから暇を見つけては紙とペンを手に、おとぎ話的凶器のイメージ図を何度も描いた。

 頭の中にしまっている、私だけの秘密の武器──今にも消え入りそうな極細の月。何度も何度も擦り切れるくらいリフレインする栃原の表情や声色、メールの文面もまるで記念碑に刻まれた詩のように思い出しながら、苦しみと一緒に研ぎ澄ましていく。


 何も知らない彼が帰宅する時間を狙って蛇の舌のように動く蒼い月光。地上へ降りていくと、背後から忍び寄り、縫い針が厚い生地を貫くように襟元を捕らえ、栃原の体は宙へ躍る。

 足をばたつかせながら夜空にのぼっていく栃原。

 あの日くれた言葉って、あの出来事と結びついているわけ? 私にとっては突然だったけれど、あなたはいつからそう思っていたの?

 可能ならば山ほど浴びせたい質問。だが、私もウサギも残酷な月の世界からは離れていたいから、それはできないことにした方がいいだろう。

 遠い昔、幼かったころに観た海外の幼児向け番組の一場面のようにしたい。

 ただ「不安で眠れない」というような、少年少女のいたいけな悩みの解決方法が提示されて、そのアニメーションは幕を引く。そういう静かな、たった五分くらいでさっと終わるようなコマーシャル的殺人ストーリーが理想だ。実際釣り上げた後に息の根を止めるといった行為が行われるわけじゃないから、本当の意味では殺人ではなく、誘拐といったところか。私としては街からいなくなってくれるだけでいい。その事実で私の胸は安らぎを取り戻せる。



 翌日、市が開催しているアップサイクルの教室にいた。なぜこんな講座に通おうと思ったのかと自分を疑うくらい退屈なものだったが、「趣味」というものは人生では途切れさせてはいけない。何か一つは必ず持っているようにしないと不安で仕方なくなる。特に三十代で独身の、特定のパートナーもいない人間としては。それに不用品の活用術をいろいろ知れて、実際は結構役に立つものだった。

 休憩時間に入り、講習生らは長机についたまま、おやつを分け合ったりおしゃべりに花を咲かせたりしている。私は彼らから少し離れた場所で、メモ帳を使ってほぼ無意識といった感じで落書きに勤しんでいた。すると同じ講習生の佐郷さごうさんが近づいてきた。

「それは、なんの絵ですか? 恐竜の角とか?」

 佐郷さんは、私の推定では二十代後半くらい。シルバーフレームのシャープなデザインの眼鏡をかけていて、中身もその外見を裏切らないだけの、ちょっとした会話だけでふんだんな知性を覗かせる男性だった。

「ああ、これ……」私は思わず赤面した。赤面する資格もないほど戴けない動機を含んだ絵であるのに、なんでもない、ただの落書きなの、と恥じらう乙女のように。

 三日月の光が地上へ伸びていき、夜道を歩いている人を掬い取るのよ、というファンタスティックな説明を試みたところ、「月ですか……」と顎に指を添えて、真剣な表情になる佐郷さん。


 しばらくして佐郷さんは口を開いた。「物理的に『掬い取る』というのは無理かもしれないですが、光に導かれてそこへ吸い込まれていく、ということならあり得そうだ」

「光に導かれる? ロマンティックね」

「どうでしょうか。ロマンと言えるかどうか」佐郷さんは、私の向かいの空いた椅子に腰かけ、本格的に愚かな殺人計画者の話し相手をはじめてしまう。「走光性ってご存じですか? 僕ならその物語に走光性を借用しますね。ほら、蛾のような昆虫って光に向かって飛ぶでしょう?」

「ああ、そういえばそうね」私の頭に、夜の自動販売機や公衆電話ボックスにたかっている羽虫が浮かんだ。

「生物の行動にはむだがない。生存のために必要な行動を取っています。走光性もそうらしいですね。人工の光を太陽だと思い込んでいるのでしょう。真夜中に光があるなんて、自然界にとってはたしかにおかしな状態で、その行動を僕たちは笑うことはできません。また逆に、光に弱い虫というのもいて、それらは暗い方へ暗い方へ向かって動いていきます。ですから、松浦まつうらさんが絵に描かれたように月が人間をさらっていく、ということでしたら、人間の方が光に誘い込まれる、という形が現実的で自然な感じがします。人間も虫と同じように走光性があるといわれているんですよ。僕も暗闇は苦手ですね。怖いですから」

「なるほど、光に誘い込まれる……」私は首肯して、考えを巡らせた後、微笑んだ。「ありがとう、佐郷さん。こんなお遊びに真剣につき合ってアイディアを出してくれて」

「いえ、いいんですよ」佐郷さんも笑う。「絵本かなんかを描いていらっしゃるんですか?」

「そこまで立派なものじゃないのよ。イラストを描くのが好きなの。で、適当な物語をでっち上げる。単なる暇つぶし」

「へー、イラスト、いいですね。物語ができあがったらぜひ見せてください」

「そんな、わざわざ見せるほどのものじゃ……」私はメモ帳を畳んだ。

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