第16話 大事な学び 

 男爵家には、直属の騎士が幾人も出入りしていた。

 執事もいたが、なぜか、クロエの事に関しては、騎士たちのまとめ役である、ロイダース卿に一任されていた。

 いまは外出しているクロエの部屋にルークは通されて、やるべきことを伝えられる。


「お前がやることは三つだ。お嬢様が戻られたら、真っ先に玄関に行き扉を開け、それからお部屋に入られるまで後ろをついて歩いてこい。その後、呼びかけられるまで部屋の外でずっと待つんだ。扉の前で、何時間でも立っているんだぞ。お嬢様は一日に、何人か来客の約束をもっていらっしゃる。その方々にお茶を出しもてなしをして食器を片付ける。最後に、その日お嬢様が使われた全ての道具類を元あった場所に戻す」

「道具を戻す‥‥‥その、使われたものの補充などは、どうするのですか」

「ほう?」

 

 ロイダースが意外そうな声を出した。

 ルークが思ったよりもやる気なのに、感心したのかもしれない。

 書棚の隣にある、物入れの扉を開けて、そこを示してくれた。


「ここだ。分かるか?」

「……もし、迷った時はどうすれば、宜しいのですか」

「そのときはそのまま置いておけ。仕事終わりに出るのは裏口からだ。そこにはこれから案内してやる。文字は書けるか?」

「母から一通りは教わっております‥‥‥」


 自信の無さげなルークの返事に、彼は「やる気があるのか?」と厳しく質問する。


「貴族の子弟だと聞いていたが、文字も書けないなら用がない。いますぐに帰ってもいいんだぞ?」

「あ、いいえ。違います、文字は書けます。ただ‥‥‥」


 ここで職を失ってはたまらないと、ルークは弁明する。

 自信がない理由を彼なりに分かりやすく説明した。


「その、家庭教師などというものに教えてもらうのが、世間では当たり前ですが。僕は、その‥‥‥」

「馬鹿か、お前は。誰に教わったからと関係ない」

「あ、はい……」

「文字にせよ、知識にせよ、習った後にどう使うかが大事なんだ。誰に教わったのは重要じゃない。そんなことより、紙を置いておくからそこに何が出来なかったかを書いて帰れ」

「あ、分かり‥‥‥ました」

「裏口には常に誰かがいる。紙に書いて、そこにいる誰かにこれがわからなかったと伝えておけ」

「はい、ロイダース卿」


 彼の言葉は新鮮で鮮烈な印象をルークに与えてくれた。

 どう使うかが大事なんだ。

 その言葉をルークはしばらくの間、心の中で大事な宝物のように抱きしめることになる。

 道具類とは、壁にしつらえられた書棚いっぱいに詰まっている、古代文字の分厚い革の背表紙である本であったり、上質な東大陸から輸入されてきたという手触りのよい真っ白な紙の束であったり、インクやペンの補充であったりそんな簡単なものだった。


「何か質問は?」

「え、あの‥‥‥やることはそれだけでよろしいのですか?」

「そうだ。食事と休憩とトイレに行く時以外、お嬢様のそばから離れるな。この屋敷のどの部屋にも足を踏み入れるな。決められた玄関からこの部屋までの往復以外、絶対にするな。それだけだ」

「わかりました」


 家の近所にある平民向けの食堂で母親と食事をするときに、見かけた給仕の女性たち。

 あんな風に自分のきびきびと働けるだろうか?

 こんな簡単な仕事でずっと雇ってもらえることができるのだ。


 あとはただ扉の前に立ち、彼女からの指示を待てばいい。

 でも本当にそんな簡単なことで‥‥‥いいのか?


 一抹の不安を心に抱きながら、ロイダース卿の質問に、ルークは大きくうなずいた。

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