九之二 白猫長毛奇譚

 事を終えても、アサルは抱きついたままだ。身体に流れる汗を、猫がうまそうに舐めている。


「呆れたな」

「なにがだ……」


 目を閉じたまま、うっとりしている。


「これがお前の技か」


 首筋まで赤らめて、俺の胸に顔を埋めてしまった。


「恥ずかしい……。お前にはまだ見せたくなかったのに」

「身体の全てをなぶられたぞ。内側からもな」

「言うなというに……」


 深い溜息をついていたが、ふと顔を上げると、くすくす含み笑いし始めた。


「それにしてもいい男だ。逞しく、奴隷の身体を責め苛む。とても五十過ぎとは思えん。……陽高はもう、私の弱いところを全て知っているではないか」


 犯されたのは俺のほうだと告げたかったが、言わない事にしてやった。それにアサルとふたり、あの刹那、極楽に浮かんでひとつ身となった。それも確かだ。


「さあ、皆が陸から帰る前に部屋に戻れ」

「……それもそうだな、主様よ」


 そうは言ったものの、自らが満ちるまで存分に舌を這わせ唇で吸い、俺の上にのしかかると、もう一度交わりに導いた。


          ●


 例によって、昼までには皆戻ってきた。さっそく源内に猫を見せてみる。


「なんとっ……。奇っ怪な話よ」


 絶句して毛を引っ張る。仔猫は嫌がって暴れている。


「なあ、こんな病があるのか」


 アサルは心配そうだ。


「いや、聞いた試しもない」

「元々長い毛の猫なのではないか」

「そのような猫などおらん」


 猫を持ち上げ陽にかざすと、不思議そうに呟く。他の船人も集まり、わいのわいのと自らの説を説き始めた。


「木花咲耶姫のご加護で毛が伸びたのだ」

「鼠を獲らんと伸びるのでは。木花に鼠がおらんは吉兆だ」

「猫ではなく、話に伝え聞く獅子の仔なのでは」

「いや、獅子でなく神獣たる麒麟きりんの仔に違いない。すぐに首が伸びて火を噴くぞ」

「アサル様が毎晩毛を引っ張ったからでは。それか毛虫のたたりで」

「ええいっうるさい。皆黙れっ。気が散る」


 一喝すると、源内は津見彦に調べの道具を取りに行かせた。鋏でひとつまみ毛を切り、玻璃の拡げ眼鏡で大きく映している。


「どうだ、源内」

「天津殿。これはよくある猫の毛だ。なにも変わりがない」

「では、病かもしれんのか」

「まあ待て……」


 気掛かりなアサルを制すると、上を向いてしばらく唸っていた。それから急に首を振った。


「うん、水。そう……水だ」


 晴れ晴れとした顔になり、拡げ眼鏡を外して眼鏡を掛けた。


「繪琉波蘭の娘よ。猫が水を舐めておったろう」

「……水など毎日飲んでおるが」


 呆れたようにアサルが腰に手を当てる。


「違う違う。河豚の水だ」

「南蛮河豚のか」

「そう」

「そう言えばそうだ。たまに舐めているのを見掛けるぞ。お前に叱られないよう、その度に水樽から下ろしてやっておる」

「その水よ」


 答えがわかったからか、源内は喜び、無闇に撫で始めた。いつも怒られる男に優しくされ、猫が戸惑っている。


「あの水に仙宝を溶かし込んであるは、言うた通り。そのため猫に仙宝の力が及び、何故か毛が伸びたのであろう」

「そのような不思議が……」


 源内に撫でらるままになっている猫を、アサルはじっと見つめた。


「では、病ではないのだな」

「ああ」

「死んだりはすまいな」

「平気だ。ただの猫と同じに元気に生きるであろう。……むしろ長生きになっておるやもしれん、河豚を死なせん仙宝故」

「良かった……」


 源内から奪い取ると小さな胸にきつく抱き、涙を落とす。やはり猫が心の支えか……。酷く感じ、心が痛くなった。


 皆、口々に慰める。アサルは泣きながら礼を言っている。俺は急に感じた。この船人達であれば、務めを果たせるに違いないと。それはにわかに湧き上がった思いだったが、揺るぎなく胸を満たした。


 そう。俺達は務めを果たし、あの憎々しい宦官どもの鼻を明かす。皆、報奨を取り、幸せに暮らす。そのようなお伽話を夢見られるかもしれん。そのために、俺は全ての力を使う。常にも増して――。そう、誓い願った。

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