第九章 沖乗り
九之一 姫と奴隷
いよいよ
速さより細かな操りが求められるので、張るのは先帆だけにさせた。
「
「錨を上げよーっ」
船を後に進ませ錨を緩めると、
「陽高よ、なぜ木花は錨を三丁も備えるのだ。形も違うではないか」
「
「大きな船でも、同じ形を
「それぞれ異なるのは、海の底の形で使い分けるからだ。砂とか岩とかな」
「それで艫に一丁、舳先に二丁なのか」
「そうだ」
「面白いのう、異国の船は」
瞳が笑っている。
甲板の決められたところに錨が留められた。夜儀はそのまま舵棒を持ち、津見彦が待つ先帆まで、写楽が走った。
俺は潮見の間に下り、星辰櫓にはアサルと大綿が残った。源内は潮見の間の脇に立ち、いつでも動けるように備えている。
木花は、そろそろと進み始めた。宇和の
「大綿、このまま真南だと危うい。もう少し東に進ませろ」
「わかった」
潮の流れが入り組んでいて始終変わるので、その度に舵を当て直した。浅瀬と潮で難しいところでは、俺の見立てを伝えに、アサルが時折先帆や舵に走る。船の操りと進み方を調べるかのように、アサルはじっと木花の動き方を見ていた。
四刻も掛けて速吸瀬戸を抜け切った。皆へとへとだ。抜けたすぐ先、
次の朝はわずかに進み、
風呂敷一杯の菓子を抱えて戻ってきたアサルを見て大綿は苦笑いし、入れ替わりで女を買いに船を降りてゆく。
その夜、いつものように気まぐれに、俺の寝床に
いい頃合いなので、アサルについて訊いてみた。
「姫、繪琉波蘭の娘が木花に乗った因縁を教えてくれ」
俺を癒し終わり胸に手を置いて寄り添ったまま、木花咲耶姫は瞳を細めた。
「世の因果や縁起は陽高よ、わしにも全ては読み取れん。観て取れたところをここで伝え聞かせたとしても、現身のお前では読み解けはせんだろう。……ただ、これだけは言える。あの娘は陽高よ、お前にとって
毎度このような調子だから、なにか尋ねても、答えでむしろ惑うだけ。女神は癒してはくれるのかもしれないが、俺の悩みを解いてはくれない。
●
あくる朝、津見彦や写楽がまだ起きてこないうちに、アサルが船頭の間をそっと訪ねてきた。夜の責め苦から解き放たれ俺の心が現に戻ると、これを見よと猫を差し出す。
「毛が伸びておるな」
「そうなのだ。少し前から伸び始め、とうとうこんなになってしまった。心配でならぬ……」
顔を曇らせる。俺の寝床で無邪気に寝転がる仔猫は、たしかに総身の毛が伸び、長く垂れている。撫でてやると脚で俺の手を蹴り、じゃれて噛みついていくる。
「どうにもただの毛のようだが。引っ張っても抜けんし」
「なにかの病ではないだろうか。かような猫など見た事もない」
「毛が抜けるならまだしも、伸びる病など聞いた試しもないが……。まあ、源内が女郎買いから戻ったら、尋ねてみるとしよう」
「そうだな」
いったん心安らいだように微笑んだが、急に不審げな
「ところで陽高よ、この寝床は女臭くないか」
「別に……そのようなはずもないが」
俺がとぼけると、奴隷は寝床に顔をつけ、眉を寄せた。
「いや、女だ。どうにも……。まさかとは思うが、宵に女を連れ込んだのか、港から。皆が女郎を買うのを見て」
「そんなわけないのは知っておろう。お前も寝るまで見ていたはずだ」
「それはそうだが……」
それきり黙ってしまう。気まずい静寂が続いた後、急に抱きついてきた。
「ならば抱け。女が欲しいのであろう」
「誰もそのような話はしておらんではないか。お前の匂いだろう、寝床のはきっと」
「いいから抱け。私がそうしてほしいのだ、我が主様よ。もう髪もだいぶ伸びたぞ、お前の好きな。ほら」
髪を掴むと束を俺に押し当てる。
「しかし夜伽の順が……」
「いいからっ。主様よ、奴隷の申し出には従うものだ。それが
構わず俺の服を剥ぎ取ると、自らも脱いでしまう。そのまま俺の胸に吸い付いてきた。
「こらこら、なにをする」
「黙って言うがままになれ、主」
息も荒く俺を押し倒して手を伸ばすと、いいように身体をいじり始めた。俺と奴隷が絡み始めるのを、目を見開き驚いたように、毛の伸びた猫が眺めている。
■注
四刻 約八時間
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