八之六 生娘
堅い芯ならではの詰まった木目を眺めながら、それがなんの模様に似ているのか、俺は思い出そうとしていた。たしかに覚えがあるのだが、心覚えはすっと逃げていってしまう。
……そしてこの女だ。これまでの海渡りで見聞きした試しのない厄介の種を、もしかしたら今まさに、俺はこうして腕に抱え込んでいるのだろうか。
裸になり俺に横からしがみついたまま、奴隷は荒い息をついている。瞳からは涙が流れ、体に汗の玉が浮かんでいた。
「アサル……」
アサルは、気だるそうに溜息をついた。
「なんだ……陽高。私は気に入ったか」
俺を抱く手に力を込め、胸に頭を置いて満足気に呟く。深い緑色の瞳で、俺を覗き込んだ。
「お前、生娘だったのか」
「そう言ったではないか、大黑屋の柵の中で。お前もしっかり触ったろう」
「いや違う。今の話だ」
「それは……どうでもよいではないか」
「いや、それでは済まん。どうなんだ」
ぷいと横を向くと、アサルは上を向いてしまった。形のいい胸が天を仰ぐと、それはずいぶん小さく感じられる。
「……生娘だ。今宵、我が主様に女にしてもらったが。痛くて死ぬかと思った……」
はあ……と、また吐息を漏らした。
「まさか、伽をしていないのか」
「伽はしている。大綿とも夜儀とも。……まあ源内のあれは、伽と言えるかわからんが」
くすくす含み笑いをする。
「ならなぜ生娘だ」
「
なにを当たり前の話をといった、軽い口ぶりだ。
「玉門を……」
「そうだ」
「それでは船人が納得せんだろう」
「いや。皆、喜んでいる」
アサルは起き直って、俺の目を見た。
「男を喜ばせる
「男を喜ばせる……術、だと」
俺も寝床に起き直った。細い体を掴み、奇妙な奴隷の瞳の奥を探ろうとする。しかしそこからは、一片の悪意も害意も見えてこない。
「しかし今宵、そのような秘術を用いなかったではないか。まっさらの生娘としているような気になったぞ」
胴を抱かれたまま、アサルは笑い出した。白い胸が揺れている。
「特別だ。陽高にだけは、
女の台詞の意味を、俺はゆっくりと反芻した。
「アサルお前、漁師村の生まれと聞いたが、岡場所で
「違う」
「間者の類か」
「それも違う」
「では、お前の真の姿はなんだ」
瞳を伏せた。
「今は言えない。……でも信じてくれ、私は決して陽高に害をなしたりはしない」
それきり黙ってしまった。
「そうか……。俺の船人であるお前を信じたい。信じたいが……」
俺の頭に浮かんだ疑念は、アサルの瞳を覗き込んでいるうちに次第に和らいでいった。
これが定めなのかもしれない。謎の奴隷女に寝首を掻かれるのも、いいかもしれない。どうせこの海渡りで、俺の命は詰んだ。行き止まりだ。
奇跡を起こし務めを果たして安芸竹原の城下に戻っても、あの
それよりは、強い瞳の力を持つ、不思議な異国の女の手にかかったほうが……。
「陽高、なぜ泣く」
俺の顔にそっと手を当てて、呟く。
「気にするな」
「……また私が悪いのか」
「違う」
頬を伝う涙を、アサルは舌で受けた。
「いい味だ」
「そうか」
「たまに飲ませろ」
「わかった」
微笑んだ。
「陽高はよく泣くから、飲むのが楽しみだ」
また俺の胸に顔を埋める。
「ところで初めて見たぞ、
首を飾る
「
「……」
わからないのだろう。困ったような笑みを浮かべたまま、アサルは勾玉を
「私の瞳の色に似ている」
「そうだな」
「陽高に玉門を許した事は、誰にも言うな、大綿にも。私がどのような伽をしているかも、皆に訊くな」
「どうしてだ」
「危ういからだ。お前も沖乗り船の作法は知っておろう。我が民も扶桑の船も、そこに違いはないはずだ」
「……そうだな」
「そうしろ。私が玉門を開くのは、これからも我が主様にだけだ」
抱きついてくる。
「大綿が認めた。今宵は陽高の伽の番だ。私はお前と朝まで眠ってやろう。……それとも、もう一度するか」
「止めておこう。生娘に二度するのは気の毒だ」
「そう言うとは思っていた」
嬉しそうだ。
「ひとつ言っておく、アサル」
「なんだ」
ただならず穏やかな俺の言い方に、アサルはかえって怪しさを感じ取ったようだ。
「今宵寝ていると、おかしな事が起こる。俺の体は震え、多くの汗が流れるかもしれぬ。苦しそうにうめくだろう。だが起こすな。なにがあっても起きない、朝まで。気にせず眠るといい。もし気味が悪く眠れなければ、おのが
「……大綿が言っていた、苦しい
「そう思ってくれていい」
「それはなんだ」
「お前には縁がない」
「そうか……」
悲しそうに眉を寄せた。
「ではせいぜい、今この一刻を、一緒に味わおうではないか。我が主よ」
そう言って、俺の体を抱き締めてきた。
●
朝、恐ろしい暗闇から解き放たれると、なんとか目を開いた。朝だというのに、すでに疲れ切っている。また今日も、ここから始める一日となる。毎日の事とはいえ、とても辛い。
抱きついたままの形で、アサルは俺の瞳を覗いていた。
「起きたのか、陽高」
体を引き裂くような苦しみ痛みからようやく解かれ、次第にぼんやりとものが見えるようになってきた。日々の考えが戻ってくる。
「夜、眠っている陽高の姿を見ていた」
「ああ……そう……か」
「固く目を閉じ歯を食いしばり、悪鬼の形相で血の涙を流していたぞ、お前。おこりのように、体も大きく震えておった、引きつけて。死ぬのではないかと怖くなった。……私であれば数刻も持たんだろう、あの奇っ怪な有様では」
俺は、天井の木目の事をまた考えている。いつか思い出せる日が来るのだろうかと。
「主様よ、あのような苦しみは見た事も聞いた試しもない。あれはなにかの呪いであろう」
「話してもどうにもならない」
「魂と
「いずれ……話そう」
「……わかった。では黙って乳を吸え。まだ夜伽の刻は終わっておらん」
アサルは、俺の顔に乳房を押し付けた。ひときわ柔らかな乳首が、否応なく口に入ってくる。
■注
岡場所 官許(吉原など)以外の遊郭
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます