八之五 夜伽

 用心綱が納められた。伊予神社で波路安泰の祈祷を受けた真新しい綱が運び込まれ、荷置き場に丁寧に安置される。綱には護符が貼られていた。綱を積むと、俺達は伊予の港を離れた。神木船かみきぶねの船出を見ようという野次馬が、桟橋に溢れ返っている。


 伊予を出ると、速吸瀬戸はやすいのせとを目指して進む。豊後と伊予を隔てる速吸瀬戸は、佐田の岬と高島の間が三里しかなく、流れは速い。刻を選んで、豊後に向かい潮が流れる頃合いに通る心積もりだ。そのため、瀬戸の前で一晩船を留める事にした。昼に着いて豊後の椎根津彦しいねつひこ神社の方角に向かい手を合わせ、道中の無事を祈願する。


 その夜。


「陽高、話がある。入れてくれ」


 船頭ふながしらの間の外で声がした。アサルだ。


「こんな夜にか」

「夜にしか話せない件だ」


 入れてやった。


「なんだ化粧をしてるのか。変な奴だな」


 夜伽用の鬱金うこんの着物を纏い、夜に映える化粧を施している。部屋に入ると、アサルはあたりを見回した。


「ここが陽高の寝所か。なんだ広いなここは。ちょっとした伝馬船てんまぶねほどもあるぞ」

「荷積みにも使うしな。大事の品はこの部屋に収めておく」

「それに、なかなかあつらえがいいではないか、お前にしては」


 寝床に座ると、含み笑いをする。俺の屋敷と同じように、片付いてはいてもそことなく荒んだ風が漂う部屋を、思い描いていたのだろう。


 船頭の間は、木花の中でも特に強く加護されている。木花咲耶姫このはなさくやのひめが、それとなく護り、赤珊瑚や真珠貝で部屋を飾ってくれている。それは呪いの運命を自ら与えた、俺への哀れみだろう。


「なぜここに柱が通っておる。これは木花帆の帆柱であろう。なんで部屋をぶち抜いているのだ」

「知らん。三百五十年前の船大工に聞け。なんでも屋号は増吉家と言ったらしいぞ」

「それに小部屋まで別にあるではないか。……知れば知るほど、なんとも不思議な造りの船だ」


 小部屋の戸を開いて中を覗き、感嘆している。


「それよりどうした。夜伽のときに誰かと揉めたのか」


 冷めた茶を飲ませてやる。船で茶は貴重だったが、尋ねてくる船人には振る舞うようにしていた。船頭の間に来るという事は、相当なにかで追い込まれている。もてなしで辛さが和らぐなら、それは船にとっても意義ある話だ。


「ああ、夜伽の件だ」


 アサルにじっと見つめられた。


「大綿に尋ねたのだ。安芸竹原を旅立ちすでに望月もちづきをひとつ見送ったのに、陽高は私を船人に与えるだけで、自らは伽を求めない。あれは女嫌いなのか、それとも私が駄目なのだろうかと」

「……大綿はどう言っていた」

「大笑いしていた」


 茶を一口含んで続ける。


「そして答えた。陽高も伽を求める夜はある。ただ普段はなるだけ避けている。それにはわけがふたつあると」

「ふたつのわけ……」

「そうだ。大綿は言っていた。ひとつは、船頭とできてしまうと、女が図に乗る試しがあると。船頭に媚を売り、他の男をないがしろにする。そしてなるだけ楽になるよう算段し、自らの務めを男に押し付ける」

「……どんな船でもよく聞く話だ」


 書見台の前に座り、自分でも茶を飲みながら、アサルに答えた。


「私はそんな災いはもたらさない。そう大綿に告げた」

「大綿は……」

「俺もそう思うと。女、お前はよくやっている。俺の見立てでは、陽高とできても船に厄介事を持ち込まぬだろうと」


 そうか。大綿はそう断じたか。あの男がそう思うのなら、おそらく間違いなかろう。船人は、俺の前では特に功利で動く。命取りたる災いが、俺には見えなくなる場合もある。大綿は持ち場ですべて見聞し、俺と異なる見取りを持って考えている。大綿と俺の見立てが合うのなら、それはまず間違いない。大綿の考えなら俺は乗ってもいい。


「もうひとつ。陽高には夜の顔がある。闇に紛れた、苦しいときがある。それを見せたくないのだ。そう言った」

「……そうか」

「大綿は私の頭を撫で、そして告げた。今宵、陽高の伽をしろと。苦しみを癒してやってほしいと。今後はおさも夜伽の順に入れると。そのために大綿は板書きを入れ替えていた」


 そうか、大綿。そんな事を言ったのか。


 アサルは俺の顔の色を読もうとしている。


 考えた。この小娘とは、まだ色事を試していない。いずれにしろ一度は持たねばならない。なぜなら女の味を調べ確かめる求めがあるからだ。良いならば良し。どうしようもなく駄目なら、扶桑ふそうを離れる前に、どこかの港でもうひとり夜伽女を仕入れておく入り用があるかもしれない。


 飯が駄目なのは見込み違いだったが、アサルは船と船旅をよく知っている。わずかな船人で見知らぬ海を進まなくてはならないこの船にとって、得難い手助けになれる質がある。アサルと船人のそりが良い事もわかった。


 ならばこそ、夜伽役を外しても船人に残す値打ちがある。それにこうすれば、生娘だったアサルを夜伽から解き放つきっかけにもなる。少しは俺も気が紛れる。


 夜伽と助っ人で役を分ければ、まして片方がアサルなら、女がふたり居てもつつがなかろう。望月ひとつ越えた今あたりは、これからの定めを吟味するのに、たしかにちょうどいい頃やもしれん。


「私の夜伽では意に沿わんか。嫌なのか」


 俺が長く口を開かないのを見て、悲しそうな顔になる。


「嫌なら私は帰る。気にせず寝るとよい」


 立ち上がりかけた。


「いや待て。そう言ってくれて驚いただけだ」


 腕を掴んで引き止めると、顔が輝いた。


「じゃあ、いいのだな。今宵」

「いい。こちらこそ嬉しい」

「そうか……」


 寝床の横を、アサルはぽんぽんと叩いた。俺が移ると、しなだれかかってくる。


「陽高、お前とは初めてだ。優しくしてくれ」

「わかっている」


 手を回すと、夜着の帯を緩めてやった。現れた白い胸が誘う。湯浴みした女は、心を和らげるいい匂いがする。口を吸い、胸をゆっくりもてあそぶ。アサルは熱い吐息を漏らしている。




■注

望月もちづき 満月

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