八之三 生姜糖

 二日ほど戻り伊予いよの港に入ると、港の手配方を通して綱を頼み、ついでに水や菜っ葉、それこそ芋なども頼んでおく。どうせ幾日かは出られない。なら積めるものは積んでおきたい。次に船人を甲板に集めた。


「綱ができるまで、しばらくは暇になる。荷積みが始まるのも明日からだ。ここで久々陸に上がって、骨休めをせよ。もう今から降りてよい。船には俺とアサル、津見彦が残る。残りは明日の昼まで好きにせよ。旨いものを食い酒を飲み、女を買え。銭を渡す」


 袱紗ふくさを配った。


「こんなに……」


 中を覗いて写楽が呟く。


「いいか、皆。ひとつだけ命じておく。安い女は買うな。やまいを持ち込まれては困る。それだけの金を持たせている。高い女にしておけ。くれぐれも忘るるな」


 夜儀やぎはにやにやしている。いつものなにを考えているかわからない笑みとは、少し異なる。


「まだ髪がほとんど伸びていませんな」


 自らの頭を撫でている。


「これでは女御にょごに受けませんが……」


 今度は苦笑いだ。


「陽高、私達は下りられないのか。津見彦と三人で団子でも食おう」


 アサルが訴える。


「俺もそうしたいが無理だ。木花このはなを空にはできん」

「……そうか。それもそうだな」


 悔しそうな瞳となる。


「だが大綿が明日、お前と津見彦に菓子を買って帰って来る」

「そうか。まことだな、大綿」


 顔が輝いた。


「任せておけ、アサル」

「ならば羊羹ようかんもたくさん頼む。あれは人を幸せにする。陽高が泣いたときにも食わせる」


 甲板こういたの上は、いわく言い難い気配となった。しくじったという顔つきで、アサルは俺を上目遣いに見る。俺は素知らぬ顔だ。夜儀が俺達をじっと見つめていた。


「……まあなんだ。もしそのような事になったら、という仮の話だ」


 アサルは余計なひと言を漏らし、さらに雲行きを怪しくさせた。


「なにやらわからんが……」


 大綿が頭を掻く。


「とにかく羊羹も買ってきてやる。それでいいんだな」


 赤くなったまま、アサルは黙って頭を下げた。


「よし、お前ら、船長ふなおさの話を聞いたな」


 大綿が続ける。


「守って遊べ。服など好きに替えて出掛けてよい。では動けっ」


 それぞれ楽しげに談じながら、船人が船腹ふなばらに消える。俺と奴隷を見ながら、大綿はしばらくにやにやしていた。無精して剃っていない顎髭をさすりながら。やがて軽く手を上げると船縁ふなべりにゆっくり近づき、船を降りてゆく。着替えた船人達が、それに続いた。虎毛皮をところどころに配した着物を羽織って現れ、夜儀は津見彦を呆然とさせた。そんなものを持ち込んでいたとは知らなかったが。


         ●


 皆が降りると、急に静かになった。昼が近いので、海風が強くなってきた。風は潮の香りを運び、陸へと消えてゆく。空を見上げて、津見彦はぼうっとしている。女は俺の顔の色を窺って黙っている。


「ふたりとも、そこにいろ」


 先程の件をアサルが気に病んでいるようなので、船頭ふながしらの間から、生姜糖しょうがとうを持ち出した。


「これを見た事があるか」


 皿に入れて見せてやると、瞳が丸くなった。


「なんだこれは、食い物か。白と紅と緑で、板のような。……菓子だな、これはっ」

「わかったか」

「わからいでかっ」


 嬉しげに笑い出した。


「津見彦は知っているか」

「アサル様、俺、知らね。こんなに綺麗な菓子など」

「アサル、匂いを嗅いでみよ」


 ひと欠け手に取ると、匂いを嗅いでいる。


「これは……棧紫微に似ているな」

「ざんしびとはなんだ、アサル様」

繪琉波蘭えるはらあんの薬味だ。……食べていいか、陽高」

「ああ、試してみろ」


 黙って、紅色のひと切れを手に取って口に放り込んだ。津見彦も続いて食べる。


「甘い」


 にこにこしている。


「……しかし溶けてくると辛いな。なんというか鼻に抜けて」

「生姜の味だな、頭」

「そうだ。生姜糖という菓子だぞこれは」

「しょうがとう……。扶桑ふそうにも菓子は多いのだな。少しこれは変わっているが。緑のも食べていいか」

「好きなだけ楽しめ」

「かような菓子をこっそり頂けるなら、皆がいない日もいいな。……たまには三人で留守を守ろう」

「そうだな」


 奴隷の頭を撫でてやる。アサルは楽しそうに笑って、「緑の奴は茶の味がする」などと俺に教える。


 昼餉も三人で、言葉少なにしっぽりと済ませた。ふたりには昼寝をさせておいて、俺は船縁からひと通り周囲を見て回る。桟橋には何人か男が立って前後ろを睨んでおり、俺の姿を見ると手を上げた。大綿が手配した男達だろう。海にも伝馬船てんまぶねが幾つか、木花このはなを囲むように漂っている。これなら今宵は心配なさそうに思える。


 明日の船積みに関して、港の手配方が話をしにきた。アサルに茶を淹れさせ、ふたりで段取りを取り決めてゆく。手配方は、神木船噂の胡人こじんをじろじろ見ていた。


 そうこうするうちに、陽が傾いた。煮炊き場脇の飯座敷で夕餉にした。人もいないので、簡単な煮物のみだ。それに加え、アサルに照り焼きを作らせてみた。俺に作りたいと言っていたし、少しは飯の種を増やさないと、いずれ船人がうんざりする。その試しのために。今宵なら失敗しても三人だけこらえれば済む。


「どうだ、陽高。照り焼きはうまいか」

「うまいぞ、アサル」

「そうか。作った甲斐があったなっ」


 照り焼きにしたさわらを匙で崩して、自分でも食べている。


「うん、甘辛でうまいのう、我ながら」


 俺が味付けしてやったわけだが。


「鰆は春が旬。身が柔らかくていい魚だ。……焦がさなかったのは良かったな、アサル。照り焼きは焦げ易いからな」


 奴隷は楽しそうだ。


「おうよ。魚の火加減はもう台所方に任せておけ」

「アサル様、俺、こんなうまいもんは食べた試しがありません」


 津見彦が呟く。


「母ちゃはいつも飯を作ってくれたけど、みんなで食べると少ししかなかったし。自分では食べなかったりとか。父っつぁが持ってくる、値が付かなかった小魚と、俺や利助が採ってきた貝や亀の手ばかりで。こんな味の飯、初めてで。母ちゃに食べさせてやりたい。母ちゃ……」


 涙ぐんでいた。


「もう口減らしをするしか……。あのときの母ちゃ……」


 アサルも黙ってしまった。津見彦を哀れとも思い、また自らの父母や流された身の上なども改めて思ったのだろう。俺達は静かに飯を食べた。津見彦はしばらく泣いていたが、そのうち箸が動き出す。


「津見彦、家に戻りたいか」


 頃合いを見て訊いてやる。


「……いえ、かしら。船出のとき、父っつぁも母ちゃもみんなも来てた。俺をほまれに思ってくれている。だから俺は行きます」

「そうか」

「それに、この船は凄い。これまでこんな船に乗った事はない。いろいろ覚えて帰ったら、利助やみんなに聞かせるのが楽しみです」

「これを食え、津見彦」


 アサルが、紅色の生姜糖を津見彦に手渡した。夕餉に出してはいないから、昼の菓子をくすねていたのだろう。


「アサル様……」

「遠慮するな。うまいぞ。それにまだある」


 袖からじゃらじゃらと生姜糖を出しながら、横目で俺を窺う。俺は知らぬ顔で芋汁を飲んでいた。


「私はこの紅色の奴が好きだ。どれ……うん、うまい」

「アサル様、俺は緑のが好きです」

「そうか。たんと食べろ」


 ついでに俺にも生姜糖を試せと迫った。三人で菓子を味わううちに、陽もすっかり落ちてしまい、暗くなった。それぞれもう寝るように促すと、ふたりとも歯を磨き始める。俺は船まわりをもう一度見て回った。ひと通り調べて木花板このはないたに戻ると、ちょうど女が湯浴みを終えたところだ。


「……では寝る」


 いつもの藍襦袢あいじゅばん姿でそう言う。


「ああ、おやすみ」

「おやすみ」


 俺の手を一度握ると顔を見て、それから逃げるように自分の部屋に消えていった。




■注

袱紗ふくさ 金封を包む布

生姜糖しょうがとう 生姜の絞り汁に砂糖を加え煮詰め、固めた菓子

棧紫微ざんしび 南西アジアの薬味・スパイス

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