七之四 因果含め
その日は心得通り
何日か掛けて
その夜、アサルを訪ねた。船人には部屋がないが、女にはある。厚く遇しているわけではなく、もちろん夜伽に使うからだ。毎日辛い務めに追われ雑魚寝する船人達は、ひと夜ゆったりとした部屋で眠り、女を得て癒される。日頃と開きがあるからこそ、その一夜が夢のように感じられ、また務めに奮い立てるのだ。
「なんだ陽高。私の部屋にも来てくれるのか」
奴隷は嬉しそうに手を握って、指を絡めてくる。足元に猫がまとわりついている。
「アサル……」
気の重い務めだ。女に因果を含めなくてはならない。
「木花が船出して幾日か過ぎた」
「誰でもわかるぞ、かような事は。我が主様よ」
ふざけて、からかうような調子を帯びている。
「慣れるまでの日は終わり、これからは常の営みが始まる」
「わかっておる。飯はどんどんうまくなる。今宵も昨晩よりはましであったであろう。芋の茹で汁にも味噌を入れて味を付けたし……。もう少し時間をくれ」
「有難う。助かる」
「任せておけ、陽高よ」
俺の胸に体を寄せてきた。
「……常の営みとなれば、夜伽も始まる」
アサルは微笑んだまま急に固まり、やがてぎこちなく真面目な顔になると、下を向いてしまった。俺の胸に、短く切った髪の頭が当たる。
「……もちろんだ」
「夕餉も終わって、飯も片付けた。これから煮炊き場で湯浴みして、化粧をしろ。少し曇ってはいるが、姿見もある」
「……わかった」
「夜伽の順は、
「わかった」
「長い海渡りとなる。無理をさせたくはない。月の
もし寂しければ俺の部屋に来い、添い寝してやる――そう言いそうになって、ぐっと堪えた。わかっている。寂しいのはアサルではなく、俺だ。重い務めと呪いを背負い独り気を抜けない男の望みに、年端もいかない女を巻き込むわけにはいかない。
「わかった」
「毎日、そこにある源内の薬、
「……わかった」
下を向いたまま、異国の女は自分の足先を見ている。絡めていた指も、いつの間にか外してしまっている。猫が不思議そうに俺達を見上げていた。
「ここに夜伽の服が色々積んである。好きな物を着ろ。その日の男が好むものであってもかまわない」
急に顔を上げると、緑の瞳で俺を捕らえた。なんとも言えない顔の色をしている。因果を含めるなど単なる流れの俺でも、胸が痛くなる。小娘の強い眼力を胆で受け止めようと、肚を据えて見つめ返す。
「……わかった」
わかったしか言わなくなった。しばらくふたりを静寂が包んだ。やがてへなへなと下を向いてしまうと、アサルは俺の胸をどんと押す。
「もう
「……そうする」
あとじさりした俺が敷居を越えると、下を向いたまま、アサルは戸を引いた。刹那、俺の目を見て。
その夜は、船頭の間の見張り窓から、アサルの部屋をずっと見ていた。湯浴みを済ませて夜伽の服をまとい化粧を始めたようだ。やがて大綿が部屋に入っていった。戸の隙間にふたりの影が揺れ、灯りの油が落とされ暗くなる。特に騒ぎにならなかった事を風が薙ぐまで見定めてから、寝床に横たわった。
悔いた。
生娘など買わなければ良かった。夜伽なら、秘め事に慣れている女のほうが気が楽だろう。それにアサルは、図らずも船をよく知っていた。ただでさえ木花の船人は足りない。ならば大綿や俺、
それを考えなくはなかった。ただ危うさを感じ、避けてしまった。船人のそりがまだわからない長旅の往きという、その縛りを考え合わせたからだ。それは船頭、船長としての肚決めだったのだが、間違っていたかもしれない。
なぜせめて大黑屋に今一度足を運び、別の女を見ておくくらいはしなかったのか――。
肚の底から深く息を吐くと、目を閉じた。アサルだけに苦しみ痛みを与える事はない。これから漆黒の闇に取り込まれ、俺の奴隷と共に苦悶を味わおう。それがせめても船頭としての務めだ。
■注
月の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます