七之三 水樽の猫

 大崎島を出た木花このはな甲板こういたで、存分に船人の動きを見て取った。木花の操りを大綿に任せ、俺は船頭ふながしらの間に戻った。少し休みたい。眠る事はできない。眠ればまた地獄が待っている。


 寝床に横たわりしばらくぼんやりしていると、外から源内の怒鳴り声が聞こえてきた。溜息をついて寝床から起きると、外に出た。例の水樽みずだるの前で、アサルに文句を言っているようだ。


「だからお前の猫が、儂の魚を狙っておるのだ。――今もそれ、ふちに立って手を突っ込み動かしておる」


 樽を掴んで手を振って、源内が猫を追いやっている。猫は魚樽の縁に乗っていた。源内の手から少しだけ逃げると、黄色い魚の動きを、それでもまだ目で追っている。アサルはその隣で、呆れたように腕を腰に当てていた。


「気にするな源内よ。まだ仔猫ではないか。自分とそう変わらない大きさの魚など、かじれるわけもなし。それにほれ、河豚ふぐのほうが気にして深くに潜っておるぞ。猫は泳ぐのも嫌いなものだ」


 たしかにアサルの言う通り、河豚が食われる恐れはなさそうに思える。


「あっほら、水などぺろぺろ舐めおって」

「水ぐらい平気だというに。喉が乾いておるのであろう」

「いいから連れて行け」

「細かいのう……。早くに老けるぞ、それでは」


 ぶつぶつ言いながらも、抱いて胸に収める。アサルに抱かれて、仔猫はにゃあと鳴いた。


「儂はもう老けておるわ、気にするな」


 まだ睨んでいる。


「……ふたりとも、もういいのか」

「天津殿か。あの猫をなんとかしてくれんと困る」

「陽高よ、気にしすぎの源内に、なにか言うてやってくれ」


 両側から詰め寄られ、俺は手を上げた。


「見たところ、この猫が河豚を食うはなかろう。だが河豚が大事は、源内の気持ち。アサルよ、もう少し気を遣え」

「わかった。猫が水樽に乗っているのを見たら、下ろすようにする」

「それでいいであろう、源内よ。乗っていようが、どうせ魚は食われん」

「さにあれば」

「そうよ。猫よりアサルに気をつけよ。昨日も河豚を食いたがっておったぞ」

「なんとっ」

「陽高よ、その話は……」


 真っ赤になって、アサルが思い切り俺を叩く。


「元気な奴隷よのう……、船長に向かって」


 感心したかのように源内が呟く。毒気を抜かれた顔だ。


「たしかに猫よりは魚を齧りそうな顔をしておるわ」


 大声で笑い出した。仕方ないので、アサルも笑っている。俺はふたりを軽く叩くと、茶に誘った。


 甲板の日陰で車座になって飲む。源内は、アサルの故国が粟特そぐとでなく聞いた事もない繪琉波蘭えるはらあんと知り、高ぶっていろいろ尋ねている。アサルは小娘がわかるなりに、精一杯答えている。今は俺が猫を抱えて番をしている。口を挟む隙がない。

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