七之二 安茂名貝

 朝餉あさげには、俺が命じた通り、茹でた芋や菜っ葉、焼いた干魚と蜜柑、茹で汁が並んだ。あと津見彦の友という童が、小指の先ほどの大きさの安茂名貝あもながいを、山のように塩茹でにして差し入れてきた。


 奴隷は、心細そうに縮こまっている。


「では食べるか」


 大綿がそう言うと、皆、黙々と箸をつけ始めた。


「おっ食えるぞ」


 余計な事を言って、津見彦が大綿にはたかれた。皆、苦笑いしながら箸を進める。食が進むに従って、アサルの顔が次第に明るくなっていった。自らも匙ですくってぱくぱく食べ、なにやら首を捻りながらひしおなどなすっている。


「……それにしても安茂名貝とは」


 写楽が首を振る。


「餓鬼の頃、生きるために死ぬほど獲って食べたわ、この小さな巻き貝を。そうこの味よ。思い出しても惨めな……」


 針のように尖った貝を爪で折り、口から中身を吸い出して食べている。辛かった頃を思い出すのだろう。眉が寄っている。たしかに安茂名貝は餓鬼のおやつだ。飢えない限り、いい年して食べる者はあまりいない。


「そうぼやくな」


 夜儀やぎが笑う。


「すぐに瀬戸内せとうちを出る。お前はこの先、五年はその貝を食べられまい」

「夜儀様、仰せの通りで。これはしたり……」


 皆が笑い合う。今朝はなんとか食える飯になったからか、船人ふなびと気色けしきも戻ったようだ。魚の骨がわずかに残っただけで、飯は全てなくなった。嬉しそうに皿を振り回しながら、アサルが津見彦と片付けていく。


 朝餉のあとは、荷積みがまた始まった。写楽がせわしなく走り回る。源内は荷置き場に篭り、足らぬ物がないか調べている。久し振りに乗る木花このはなの勘所を取り戻そうと、夜儀は帆やかじをあちこち触り試している。


 俺はあちこち移り皆の様子を探りながら、船人の考えや焦りを感じ、うまく使えるように次の手を考えていた。


 アサルは部屋で猫と昼寝していたかと思うと、夜儀や大綿おおわた達について回り、神の加護で軽々と帆が上がる木花の仕組みに舌を巻いていた。


 船出に間に合わなかった品のうち、この島で済むものはなるだけ積んでおきたい。今宵は蒲刈ほかりの沖にいかりを投げる。明日早くくれに入り、そちらで大事の品を載せる手はず。これで積み残しはない算段だから、あとはゆっくり流しながら足りぬ物、抜けている物を調べ考え、瀬戸内を出る前にどこぞで手配する肚積もりだ。その後は、水や兵糧の補いが主になるだろう。


 荷積みが終わると、昼餉の頃合いだ。菜っ葉と芋を真水で煮た物だ。アサルに茹でさせ、俺がつきっきりで味噌を入れた。アサルに存分に味見させ、覚えさせる。


 昼餉が終わると大崎島の港を出た。昨日ほどではないが、まだまわりを囲む船々がいる。


「いいか津見彦、これから二刻ふたときばかり地乗りで進む。山を見ながら場所を読み取るのだ。もちろん舵を下ろさずに」


 大綿が指差すと、小僧は真剣な面持ちで目を細め、山を遠く見通す。


「底が浅いからだな」

「そうだ、もう覚えたか。安芸あきは島がやたらと多いから、底も浅く危ない。だから張るのは先帆さきほだけだ。小さな帆だから船足が速過ぎない。それに船の前に帆があるので、追い風ではもっとも据わりよく木花を進められる」


 先帆に取り付いて操り船を進めているのは、荷積みが終わり暇になった写楽だ。俺は星辰櫓に陣取り、先の海の浅さに気をつけながらも甲板の隅々を見渡して、船人の動きを追った。


「わかった。大きな一の帆は、速く進むときに使うのだな」

「そうだ。帆の広さが先帆の倍よりも大きい。辺境征きの船だから、速さに重きを置いている」

「へえ……」

「ただしこの船型にしては、一の帆は大き過ぎる。他の帆まで合わせると、とんでもなく釣り合いが取れていない。他の帆や舵の操りとうまく繋がりを持てないと、木花は腹を見せて沈む」

「腹を見せて……」


 津見彦は蒼くなっている。


「どじを踏まなければ平気だ」


 大綿は笑った。


「一の帆は船の半ばにあるので、傾ければ向かい風や横風でも安らかに進める。さらに先帆と一の帆を共にうまく使わば、素早く回る事もできる。舵を使えば余計にだ。……ただし舵に大きな力が掛かるから、折れてしまう危うさも出る」

「舵が折れる……」


 津見彦は、心細そうに大男を見上げた。


「なに、折れないぎりぎりを知るのも船人の勘よ。ほれ、そこにおる夜儀は、それにけておるぞ」


 大綿の声に、木花帆このはなほ帆布ほぬのを調べていた夜儀が、津見彦に手を振る。傍らにアサルがしゃがんでおり、帆を持って抱えたり放り投げたりしている。まだ雨にはならないが、風は強くなってきた。先帆でもそれなりに速く進めるだろう。


「木花帆はいつ使うのだ」


 津見彦が尋ねる。


「それは私もぜひ訊きたい。正直、この帆はよくわからん」


 立ち上がると、アサルが大声で呼び掛けてきた。


「かように甲板こういたの後ろに帆など掲げては、追い風では船が背から押されて据わりが悪い。もちろん向かい風や横風でもともばかり先に横を向くので、木花の操りが難しかろう。……それに帆柱も低過ぎる」

「この船は特異の竜骨りゅうこつを持っておって……。まあいいわ面倒だ。そこが神木船かみきぶねの不思議なところと思っておけ」


 訳有り顔でアサルを焦らすと、大綿は耳など掻いている。


「あの帆は特別だ。使うときが来れば、船長が命ずる。その折にお前にもわかるだろう、生き残ればだが」


 津見彦は首を縦に振り、星辰櫓せいしんろの俺を見上げてまぶしそうな顔になる。だがアサルはまだ不満顔だ。


「……なんだ、もったいぶりおって。勝手に帆を掲げてしまうぞ、私が」


 ぶつぶつ呟いている。それを見て大綿がにやにやしている。悪趣味な奴だ。




■注

安茂名貝あもながい ウミニナの地方名

気色けしき 機嫌

二刻ふたとき 約四時間


●辺境往き船「木花」の航行

地乗じのり 陸地を見ながら自船位置を理解して進む

沖乗り 陸地をあまり頼りにせず、主として海や空、風や潮で自船位置を推測して進む。主として大海の島々を巡るときに用いる

沖渡り 周囲に陸地のない大海を何十日も横断する。船人の経験と勘が頼り。危険。食料や水の補給ができず気晴らしもなく、メンタル面でも厳しい

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