七之二 安茂名貝
奴隷は、心細そうに縮こまっている。
「では食べるか」
大綿がそう言うと、皆、黙々と箸をつけ始めた。
「おっ食えるぞ」
余計な事を言って、津見彦が大綿にはたかれた。皆、苦笑いしながら箸を進める。食が進むに従って、アサルの顔が次第に明るくなっていった。自らも匙ですくってぱくぱく食べ、なにやら首を捻りながら
「……それにしても安茂名貝とは」
写楽が首を振る。
「餓鬼の頃、生きるために死ぬほど獲って食べたわ、この小さな巻き貝を。そうこの味よ。思い出しても惨めな……」
針のように尖った貝を爪で折り、口から中身を吸い出して食べている。辛かった頃を思い出すのだろう。眉が寄っている。たしかに安茂名貝は餓鬼のおやつだ。飢えない限り、いい年して食べる者はあまりいない。
「そうぼやくな」
「すぐに
「夜儀様、仰せの通りで。これはしたり……」
皆が笑い合う。今朝はなんとか食える飯になったからか、
朝餉のあとは、荷積みがまた始まった。写楽がせわしなく走り回る。源内は荷置き場に篭り、足らぬ物がないか調べている。久し振りに乗る
俺はあちこち移り皆の様子を探りながら、船人の考えや焦りを感じ、うまく使えるように次の手を考えていた。
アサルは部屋で猫と昼寝していたかと思うと、夜儀や
船出に間に合わなかった品のうち、この島で済むものはなるだけ積んでおきたい。今宵は
荷積みが終わると、昼餉の頃合いだ。菜っ葉と芋を真水で煮た物だ。アサルに茹でさせ、俺がつきっきりで味噌を入れた。アサルに存分に味見させ、覚えさせる。
昼餉が終わると大崎島の港を出た。昨日ほどではないが、まだまわりを囲む船々がいる。
「いいか津見彦、これから
大綿が指差すと、小僧は真剣な面持ちで目を細め、山を遠く見通す。
「底が浅いからだな」
「そうだ、もう覚えたか。
先帆に取り付いて操り船を進めているのは、荷積みが終わり暇になった写楽だ。俺は星辰櫓に陣取り、先の海の浅さに気をつけながらも甲板の隅々を見渡して、船人の動きを追った。
「わかった。大きな一の帆は、速く進むときに使うのだな」
「そうだ。帆の広さが先帆の倍よりも大きい。辺境征きの船だから、速さに重きを置いている」
「へえ……」
「ただしこの船型にしては、一の帆は大き過ぎる。他の帆まで合わせると、とんでもなく釣り合いが取れていない。他の帆や舵の操りとうまく繋がりを持てないと、木花は腹を見せて沈む」
「腹を見せて……」
津見彦は蒼くなっている。
「どじを踏まなければ平気だ」
大綿は笑った。
「一の帆は船の半ばにあるので、傾ければ向かい風や横風でも安らかに進める。さらに先帆と一の帆を共にうまく使わば、素早く回る事もできる。舵を使えば余計にだ。……ただし舵に大きな力が掛かるから、折れてしまう危うさも出る」
「舵が折れる……」
津見彦は、心細そうに大男を見上げた。
「なに、折れないぎりぎりを知るのも船人の勘よ。ほれ、そこにおる夜儀は、それに
大綿の声に、
「木花帆はいつ使うのだ」
津見彦が尋ねる。
「それは私もぜひ訊きたい。正直、この帆はよくわからん」
立ち上がると、アサルが大声で呼び掛けてきた。
「かように
「この船は特異の
訳有り顔でアサルを焦らすと、大綿は耳など掻いている。
「あの帆は特別だ。使うときが来れば、船長が命ずる。その折にお前にもわかるだろう、生き残ればだが」
津見彦は首を縦に振り、
「……なんだ、もったいぶりおって。勝手に帆を掲げてしまうぞ、私が」
ぶつぶつ呟いている。それを見て大綿がにやにやしている。悪趣味な奴だ。
■注
●辺境往き船「木花」の航行
沖乗り 陸地をあまり頼りにせず、主として海や空、風や潮で自船位置を推測して進む。主として大海の島々を巡るときに用いる
沖渡り 周囲に陸地のない大海を何十日も横断する。船人の経験と勘が頼り。危険。食料や水の補給ができず気晴らしもなく、メンタル面でも厳しい
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