六之四 木花咲耶姫
船出の日の営みを全て終えると、独り真っ暗な
またここに帰ってきたか。毎度生きるか死ぬかのこの部屋に。
長く見慣れた部屋のしつらえに深く溜息を漏らすと、寝床に体を横たえた。
疲れた。船出の一日で、覚悟していたとはいうものの、あまりにも多くの事があり過ぎた。これは
ここには自分しかいない。気を遣い、考えに考えて使わなくてはならぬ
自らの合い口を、俺は知っている。多くの
思わず眉に力が入る。
「神木船など……。
「まあそう愚痴るな、陽高よ」
女の声が響いた。寝床の前に、いつの間にやら
「……来たのか」
「久方振りよのう……」
白く晒した
「姫……」
「会いたかったかや……」
意地の悪い微笑みを浮かべて。
「知らん。俺は疲れている」
「知っておる」
くぅくぅと笑う。
「またぞろ、質の悪い輩に責められておるようじゃのう」
「そう思うなら、あの
胸を開いて突き出してやる。
「それはできん。お前もわきまえておろう」
「それでも神か」
「神じゃ、神。しかし今は、この船の護りとしてここにほれ、かように封じられておる。かれこれもう三百五十年ほどもな。力を持つのは、この船を護る事だけ。人をぶち殺すだの、その勾玉をどうにかするなど、無理な話じゃ」
女神の訳知り顔が気に入らん。こちらは
「へそを曲げた考えを持つなというに……。申し訳なく思っておる。苦しみ多き船頭に選んだについてはな。……しかしお前が受けなんだら、この船はあのまま朽ち果てたであろう。それは
なにかを見通す瞳をした。
「知るか。遠い
怒りのあまり、寝床から飛び起きた。睨みつける。そんな俺を、姫は静かに見つめている。微笑みを浮かべながら。
「たしかに呪いを解く道はあった。――しかし四十年。そう四十年近く
黙って頭に腕を回してきた。
「すまぬと申しておるではないか。そう怒るな。……だからほれ、いつものようにこうして出てきておる。お前を慰めるためにな」
その体からは、気持ちを和らげ癒す
「お前も老けたのう、陽高よ。皺だらけになりおって。それに身体はまだ張り切っておるが、古傷だらけで痛むだろう。……しかし、わしにはわかっておるぞ。今ここにおるのが、若い頃の陽高と同じ気持ちを抱える男だとな。重き荷を幾重にも背負いながらも、精一杯優しく生きておる。だからこそ
姫の力で三十八年の時を
――わしを
それを聞いて、俺はろくに考えもせずに心を決めた。すでに世に親も家もなく、人に辛く当たられ世をはかなんでいた。名高い神木船の船長ともなれば、全てが変わる。下働きでこき使われるのも、もう終わりだ。これからは船長として大海原を駆け巡り、見た事もない宝を得、褒美で贅沢に暮らすのだ。夜寝るときの安らぎなど、いかほどの値打ちがあろうかと。
あれから四十年近い。顔も
「呪いに潰され、いずれお前は心が抜ける。それをせいぜい遅くしてやることしか、わしにはできぬが……」
木花咲耶姫は、衣の紐を解いた。いともたやすく衣は足許に落ち、滑らかな体が顕わになる。両腕を上げ花橘のかづらを外すと、島田が解けて長い髪がすっと落ち、匂いを拡げる。豊かな胸、薄撫子色の乳首が、顔の前に近づいてくる。俺は女神の柔らかな体を抱くと、乳首を口に含んだ。
「泣け。そして心を開け、陽高よ。奥の奥の痛みまで、姫にぶつけてこい」
■注
島田 日本髪の一種
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