六之三 ふたりの誓い

 夕餉ゆうげの皿を囲み車座になったまま、船人ふなびとは皆、難しい顔で黙りこくっていた。心細そうに、アサルがきょろきょろ上目遣いに見回している。


「なんだこれは」


 津見彦が、頓狂とんきょうな声を上げた。


「まだ硬い。味もおかしい」


 船の飯に膳はない。必ず大皿に並べる。各々好きなように手を出し食べる手はずだ。皿に並んでいるのは、切ってもいない、生の菜っ葉。脇には炒めたつもりらしい半生の芋が、大きさもまばらにごろごろ。干魚ひざかなは煮てしまったようで、味が全て抜けてしまっている。芋は塩を振り過ぎて辛く、干魚はなんの味もしない。味噌がなすられているだけ、菜っ葉は救いがある。


「黙って食え」


 大綿おおわた一喝いっかつした。


「いいか津見彦、温かい飯を食えるだけましだ。海が荒れれば、地獄のきわから船を守り操るだけでいっぱいとなり、飯など食えん。せいぜい乾物をくわえるだけだからな」


 皆、静かに箸を使い出す。


「ま、まあなんだ。扶桑ふそう兵糧ひょうろうは……よく……よくわからん。あ、あの……。私の故国の兵糧でさえあれば……。それに……。それに我が民の薬味、随玲ずいれさえあれば、うまい物が……できるというに……」


 アサルはそのような事を口にするが、誰も相手にしない。各々持ち込んだ味噌や塩など使いながら食べ進む。静かな夕餉の座に、バリバリ、ゴリゴリという音だけが広がっている。


 辺境往きの船人は、滅多な事で飯を残さない。陸であれば捨ててしまう菜っ葉の芯や魚のわたでさえ食べてしまう。腐ったものは餌にして魚を釣る。船の荷積み場は限られる。わずかでも飯を無駄にする事は、長い波路では命取りにすらなり得るからだ。しかしこの夕餉が終わったとき、皿にはそれなりのものが残されてしまった。


 飯の間、俺はそれとなく奴隷を窺っていた。泣きそうな顔だ。自らはほとんど箸を付けない。夕餉が終わり津見彦とアサルが皿を片付け始めると、俺は船頭ふながしらの間にいったん戻ってから、煮炊き場に向かった。


「アサル……」


 皿を運び終えた津見彦が甲板こういたに消えふたりきりになるまで待って、声を掛けた。


「すまないっ」


 奴隷は抱きついてきた。泣いている。


「すまん陽高よ。お前に恥をかかせた。あの日……あの日、私を連れ合いに選んでくれた陽高に」


 緑色の瞳に、涙の粒が次々に湧き出してくる。大黑屋の檻の中、俺に買われたいがばかりに、飯が得意と嘘をついたのであろう。女の身の上を思えば、それは仕方のない話だ。


「気に病むでない」


 頭を撫でてやる。短く切った髪が、ざりざりとした手触りを残す。


「気にするなアサル。飯など、すぐにうまくなる。いいか。明日から津見彦に海の流れを汲ませ、それに芋や藻や菜っ葉など、なんでも一緒くたに放り込んでよく茹でろ。いちばん大きな芋の芯まで箸が通るようになったら、取り出して皿に盛れ。味付けはしなくていい。潮で味が付くし、足りなければ味噌なりなんなりで皆、好みの味にする」

「わ……わかった」


 まだ泣いている。


「干物は網で焼け。煙が多く出たら火が強過ぎる。脂が弾けるまで焼いたら、裏返せ。また脂が弾けたら、それでいい。並べろ。あと、大皿に蜜柑みかんを出しておけ」

「うん」

「それから芋の茹で汁は、鍋のまま津見彦に持たせろ。塩気が欲しい者は、それにも味を付けて飲む。いいか、それだけでいい」

「それだけで……」

「そうだ。なにも悩まず、毎度それだけしておれ」

「……ああ。それなら私でもやれる」


 ようやく泣き止んだ。俺を見て、涙を恥じて微笑む。


「よし、いい子だ。……ほら、これを食え。お前、ほとんど食べていないではないか。それでは力も出ん。そんな事では、俺が困る」


 俺は、部屋から持ってきた笹ぐるみの菓子を渡してやる。


「なんと。これは、いつぞや夜儀やぎが持たした羊羹ようかんとかいう菓子ではないか。しかもなにやら、うまそうなものが埋め込まれておるっ」

「それは栗というものだ。秋の栗を糖蜜漬けにして取り置き、羊羹に使っているのだ」


 泣いた事など忘れたかのように、アサルは顔を輝かせ、羊羹を睨みつけている。


「そら、食べてみよ」

「ああ任せろっ」


 言うが早いか、もうかぶりついている。ひとくちで笹ぐるみを半ばほど齧り切って。


「……うまい。うまいぞ陽高。特にこの、栗というのか。この栗の甘みと香りが……」


 あとはもぐもぐになって、なにを言っているやらわからない。


「うまい。うまいぞ、陽高……」


 また涙がこぼれてきた。


「うまい、ぞ……。うまい……」


 そのまま大声で泣き出す。俺はアサルを抱いて、背中をさすってやる。


 玉依たまえさんの諫言かんげんが頭をよぎった。まだ童のような歳でただひとり異国に流され、怪しい店の暗い奥で売られていたのだ。いかに心細かったであろうか。俺が護ってやらねばならぬ。奴隷とはいえ、アサルは俺の頼みの船人だ。この航海を成就に導くためにも。


 俺の体に手を回し固く抱き締めたまま、奴隷は泣き続けた。片手に羊羹を握り締めたまま。俺の胸に、熱い涙が染みを作っていく。


 異国の小娘にいいように抱かれながら、俺は自らの過ぐる日を思い返していた。十五で木花このはな船頭ふながしらに祭り上げられた頃を。船人は皆、紐付きで送り込まれた海千山千。もちろんそれぞれが敵方だ。その頃の波路では、心休まるときは一刻ひとときもなかった。今のアサルのように。泣く女があの頃の我が身のように感じられて、俺の目にも涙が浮かんできた。


 哀れアサル。哀れ昔日せきじつの陽高。涙が一筋流れると、アサルの顔に掛かった。


「……どうした陽高、泣いておるのか」


 俺の涙を頬に感じて、今度はアサルが驚いている。


「すまぬ。私のせいだな。私が女々しく泣いたから」


 顔を袖でごしごしと拭い去る。


「ほら。私はもう平気だ。お前の奴隷は元気だ。なにも気にするな」

「お前のせいではない」

「嘘をつけ。……そうだ。この羊羹を食え。これを食えば気が晴れるぞ」


 いつぞやのように、俺の口に羊羹を押し込もうとする。俺は口を開けて羊羹を食べてやった。


「どうだ。うまかろうが、陽高」

「うまい。俺も、もう元気が出たぞ」

「そうだろう」


 顔が輝き始めた。


「羊羹には人を幸せにする力がある。これも仙術せんじゅつの類であろう。私も故国の民に伝えたいほどだぞ」

「そうだな、いつかお前の国にも行こう」

「……まことだな」


 急に素の顔になる。


「いつの日にか陽高よ、木花に乗りて我が国に……」

「誓おう」


 初めは易きに流れた相槌のつもりだったのに、魂を深く覗き込んでくる強い瞳に吸い込まれ、自らも思いがけない言の葉がつい口を突いて出た。あっと思ったが、もう遅い。それになんだか心持ちが良い。


「ああ、誓いだ」


 もう一度ゆっくりと、今度はわきまえながら告げてやった。また抱きついてくる。


「誓ったぞ、我があるじ様……」


 俺の胸に顔を埋める。頭の隅に、誰かの笑い声が響く気がした。



■注

随玲ずいれ 南西アジアで使われるスパイス。ショウガやコリアンダーに似た風味を持ち、料理に深みと香りを加える

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