五之四 芝居

 派手な着物に漆黒の大籠、それに続く真紅の小袖に死に装束ども――。鮮やかな道中が歌舞音曲の粘るような拍子ひょうし韻律いんりつに乗り、うねるように進んで行く。


 集った男や女がその艶やかさにぼうとする。それを見て取ると、傾奇者は書付を左や右に広く放り投げ始めた。この海渡りの本懐ほんかいと、城主小早川宗徳が約束した報奨手形の中身を全て書き連ね、木花神社にて開運祈願を受けた神撰米しんせんまいをひとつまみ、袋に入れてくくりりつけてある。全て撒き終わると、後ろに控える男の黒籠からまた書付を取り出して続ける。


 人々は争うように紙を拾い、字を読める者が声に出してまわりに説き始めた。


「なんとっ、神木かみき蘇りの女を連れ帰るとは」

「これは難しい波路となるに違いない。……ところで波斯はしとはどこじゃ」

「なんでも天竺てんじくより遥か先らしい」

「……それにしても豪儀な褒美よのう」

「くそっ。これなら俺も天津様にお願いし仕えればよかった」

「お前など、たちまちふかの餌になるが落ちじゃ」

「さすがはご賢政で名高い城主、宗徳様だ」

「これだけの報奨を約し守るとは、まつりごとかがみ、もののふの鑑よっ」


 口々に言い募る。もちろん中には手の者を紛れ込ませてある。彼らは大げさに城主の広い心を褒め称えながら、報奨の中身を事細かく大きな声で説いている。夕七つまでには、ここ竹原だけでなく安芸のそこここの港で、書付の束を「竹原でもらった」などと、それとなく配る手はずだ。


 見た人々は歌舞音曲や派手なしつらえに去り難く感じそのままついてくるので、船出道中が港に差し掛かる頃には、大通りは足の踏み場もないほどになった。すでに店先や路地から溢れた人垣が幾重にも俺達を取り囲み、そこここで浮かれた大騒ぎが始まっている。船人達は皆、そこここで励ましを掛けられ、体を叩かれていた。


 人垣を掻き分けるようにのろのろ進み、ようやく港に辿り着いた。


 向かいの渡り茶屋の窓から、城主、小早川宗徳が顔を出す。そのとき、集まった人々のたかぶりが頂きを迎えた。うおーっという大きな音の塊が通りを埋め港を抜け、遠い島々まで木霊こだまする。


 城主の背に例の三宦官かんがんが皮肉な笑みを浮かべながら控えているのを見て取り、俺と大綿は目配せし合った。俺が手を上げると、皆が次第に静まってゆく。一世一代の気合いを入れ、頃合いを図った。


「宗徳様ぁ」


 肚の底から黄泉まで届けとばかり張り上げる。宗徳は軽く首を傾けた。


天津陽高あまつひだか以下、大綿、源内、夜儀、写楽、津見彦、アサル――船人七人、これより宗徳様のご恩に報い、安芸のため、そして扶桑ふそうのため、波斯まで往き、必ずや豊穣の生娘きむすめを連れ帰る所存っ」


 船人が頭を下げると、また喝采が巻き起こる。


「なんと男気のある船人達じゃ」

「さすがは神木船の船人だけあるのう」


 城主が手を上げると、すっと騒ぎが収まる。


「天津よ、長きに渡る奉公、大儀たいぎである。此度こたびの海渡りも、必ずや木花が成し遂げると信じておるぞ」

「ははっ」


 集まった皆がまた騒ぎ出す前に、急いで続けた。


「宗徳様が花押かおうを印してお約束下された、金子千両、召し抱え、仙宝せんぽうのご下賜かしなど過分なるご報奨の手形、宗徳様の豪儀ごうぎなお心遣いに、船人一同、来世までの忠誠をお誓い申す次第」

「有難き幸せっ」

「有難き幸せっ」


 申し合わせに従い、船人皆が頭を下げた。手の者が人に紛れ、「宗徳様っ宗徳様っ」とあちこちで叫び出す。それはやがて野次馬の賛同も呼び、皆が声を揃え城主を称える始末となる。やむなく城主が立ち上がり茶屋の窓から身を乗り出すと、また静かになる。


「遠慮するな。安芸の民草たみぐさの奉公には、この宗徳、できうる限りの褒美で応えようぞ」


 人垣に一層大きな熱狂が広がった。喜びの叫びと人が足を踏み鳴らす地響きで、港は尋常ならざる有り様になっている。


 これで報奨の言質げんちは取った。津々浦々の民まで、それを知った。いくら城主と言えども、無下むげに破るわけにはいかないだろう。城主背後の宦官どもが、苦々しい顔でこっちを見下ろしている。


 頃合いや今か――。そう考え、俺はことさら伸び上がった。


「船人は、木花にいっ」


 叫ぶように言い渡すと、溢れ返った人々から、また怒涛どとうが湧き起こる。もはやなにも聞こえないほどのとどろききの中、俺達は木花の甲板こういたに上がると、この日に備えて決めておいた、竹原船出だけの別誂えな持ち場につく。


 俺と大綿とアサルは、船縁で小早川宗徳に向き合ったままだ。港の下働きの者どもが、もやいを次々に解いて木花を陸から解き放つ。


先帆さきほを張れえーっ」


 芝居がかった口調で命ずる。船人は見ず、港の人波を見たままで。どんな船でも、船出は、港に暮らす人々の心をそそる。ましてや神木船だ。歓呼はひとりでに巻き起こった。


「先帆を張れえーっ」


 大綿が、大男ならではの大音声で繰り返す。


「先帆を張れえーっ」

「先帆を張れえーっ」


 船人が皆、復唱する。


 写楽と津見彦が勢い良く先帆を張る。風を見ながら、写楽が先帆の向きを決めてゆく。半ばだけ下ろした舵に取り付いた夜儀が帆の向きに舵を合わせると、扶桑最後の神木船木花は陸のくびきを離れ、鏡のように穏やかに輝く海を、ゆっくり進み始めた。


 どよめきが伝わってくる。俺が目配せすると、大綿は星辰櫓せいしんろに移った。特に入り用ではないのだが、そこは高いので、野次馬からよく見える。大男は腕など組み、大げさに海を睨んでみせる。その男丈夫おとこじょうぶぶりに、陸から感嘆の声が上がる。


 アサルに命じて、手を振らさせた。なにしろ厳しい顔で眉を寄せた、船頭ふながしらの脇だ。可憐かれんな異国の小娘が猫を抱いたまま手を振ると、木花の厳しい波路をおもんばかって溜息が漏れる。泣きながら手を振っている娘すらいる。


「アサルよ、笑いながら手を振り続けよ」


 人垣に顔を向けたまま言うと、アサルもこちらを見ずに答える。


「わかっておる陽高よ。これも務めだ」


 終いには猫を持ち上げ、陸に向かって振り回し始めた。それを見て、また人波が揺れる。仔猫は目を丸くしているが、アサルを信じてされるがままになっている。


 俺はそのまま、次第に遠くなる小早川宗徳をじっと睨み続けた。育ちの良さそうな瓜実顔うりざねがおは船出の儀にすでに飽きたようで、投げやりにこちらをちらちら見ては、酒などやっつけている。追従ついしょうの笑みを浮かべて、三宦官が城主に酒を注いでいる。


 木花は次第に陸から離れ、連中は、どんどん小さくなった。


 騒ぎの音も遠くなってきた。人ももはや蟻のように見えるだけだ。こちらの顔など見分ける事もできないだろう。


「アサル、もういいぞ。よくやった。猫をお前の部屋に連れて行き、一緒に少し休んでおれ」

「そうか。実はもう腕が疲れて困っておったところだ」


 ほっとした顔で、アサルが猫を優しく抱え直した。にゃあと鳴いて、仔猫はアサルの胸に顔を埋める。


 星辰櫓の大綿の隣に、俺は陣取った。並んだまま黙ってふたり、木花が進む海を見ていた。瀬戸内は島が多い。多くの島が競い合うように海を埋める奇景は、何度見ても美しい。俺も大綿も、餓鬼の頃から慣れ親しんだ故郷ふるさとの眺めだ。そしてもう見られないかもしれない眺めでもある。


 木花のまわりには、神木船一世一代の船出を見守らんと、多くの船が取り囲むように並び進んでいる。それぞれの船頭ふながしらがこちらを見て、自船の無事を木花に祈り、木花の無事をまた神に祈っている。海の厳しさを知る彼らこそが、俺達のまこと朋輩ともがらだ。俺は連中に手を振り、感謝の意を告げる。


 船出の芝居は終わった。ここからが本当の船出だ。俺と船人達の命を懸けた。



★次話から新章。護り神「木花咲耶姫」顕現!



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