五之三 船出道中
船出の日。明け六つに寝所を出ると集まった。からっとした好天。まさに船出に相応しい朝だ。調べの補佐役がひとり庭に控えていて城主、
今日はこの後ゆっくり飯を食えるかわからん。なので
食事が終わると、塩で歯を磨き身を清めさせ、船人を集める。
いよいよ刻が来た――。
「よし。皆、船出の
口々に「おうっ」という頼もしい声が上がった。
「全て脱げ。足元に
奴隷がおろおろしているので声を掛けると、皆が笑った。
「奥に行け。万事手はずを頼んである」
「わ、わかった」
アサルが消える。
真新しい晒を六尺褌に巻くと、身も魂も洗われるようだ。気持ちが締まる。
「足元の衣を着よ。船出の誂えだ」
「これはこれは……。船出道中が楽しみですなあ」
着物を持ち上げしげしげと見ながら、
「玉依さん……」
「支度万端、有難い。これまで渾身に支えてくれ、恩に着る。……そして大綿を遙か海に連れ去る件、すまない。大綿が戻れるよう、全ての力と心得を尽くす」
俺の目の奥をまっすぐ覗くと、
「天津様……。大綿と天津様の
「過分なる心遣い、有難い」
「それにアサルさんの事、大事にしてあげてください。あの娘は強いですが、硬い殻の中の身は、本当に無垢ですよ。天津様が気遣ってやらねば、いずれ壊れましょう。大綿にはその役は無理です。……なんだか娘に思えて、奴隷の身の上が不憫でなりません」
瞳が濡れている。
「……わかっている。
その言葉を心に刻みながら、皆の元に戻る。
「船出の杯を交わす」
縁側に並ぶ船人達に唐物の白く薄い盃が手渡され、木花神社で満願成就の祈祷を受けた
固い顔つきで、皆が盃を持っている。
「
願いを込め、盃を高く突き上げた。船人も続いて天に盃を掲げ、言葉なく祈っている。……静かだ。海から山に渡る風の音だけが聞こえてくる。
「盃を空けよっ」
俺の船人の顔を見渡す。大綿、アサル、夜儀、源内、写楽、津見彦、そして俺。この七人を生きて帰す。
「では皆で、ちょいと
「いよーおっ」
俺のひと言をきっかけに、庭に控えていた楽師連が掛け声を掛け、調子を整えて
庭に下りると列を整えさせ、静々と進み始める。誰かが門を大きく開くと、俺達は港に向かい歩き出した。
すでに道々には人が集まっており、船人の姿を見て仰天している。だがまだだ。まだ勝負どころではない。大綿の屋敷を出立の場に選んだのは、家人がいて手配に利があるからもあるが、真の狙いは、港に進む折に、安芸竹原一の通りを抜けるからだ。
そこには、竹原のみならず安芸のそこここから船人や町人、百姓などが集い、神木船木花の船出を一目見ん、城主小早川宗徳の姿を一目見んと右往左往しているに違いない。
ゆっくりと進み、いよいよ一番の通りに曲がり出た。角を曲がると、白っ茶け埃舞う大通りの両の端、店先や路地のそこここに、人が鈴なりになっている。凄い人出。まるで正月参りの木花神社のようだ。俺達の姿が見えると、大きなどよめきが人々から立ち上がった。
「見ろ。皆が覚悟の白装束だっ」
「死に装束じゃ」
「あの洒落者の夜儀様まで、坊主になっておる」
「そこな異国女を見よ。鮮やかな着物に猫を抱いておるぞ」
地鳴りのような、尋常ならざる響きだ。
道中の並びは、全て抜かりなく考えて決めたものだ。頭にアサルと大綿。大男と小娘の組み合わせが皆の目を見張らせる。次が夜儀こと鼠小僧次郎吉と、平賀源内。安芸にそれぞれ名立たるふたり。そして写楽と津見彦。
短髪にしたアサル以外は皆、頭を丸めさせ、白い絹の
白装束にしたのは、死を賭して辺境へと船出する俺達の覚悟もあるが、城主と集まった民に「命懸けの旅」を際立たせるためだ。その働きを狙っている。それほど厳しい務めである事を訴え、報奨手形にふさわしいと思わせなくてはならない。頭を丸めたのもその目論見と、あとは
アサルには、例の
猫については、随分考えた末、木花に乗せる事にした。玉依さんに言われるまでもなく、俺は航海のとき、特に女に気を配る。女をうまく使えなくて狙いが成就できなかった船をたくさん見聞きしてきたし、自らしくじった事も何度かあるからだ。
この長旅で一番魂が寂しく気が伏せるのはアサルだ。奴隷の務めからして、それははっきりしている。猫が奴隷を癒せれば、それは皆にとって得な話だ。餌は食べ残しの骨や魚の頭で済む。どこぞの港で
船人の後ろには、船出の曲を流し謡い、さらに舞い踊る楽師がぞろぞろと続く。アサルと大綿の前には、夜儀の組の
派手な着物に漆黒の大籠、それに続く真紅の小袖に死に装束ども――。鮮やかな道中が歌舞音曲の粘るような
集った男や女がその艶やかさに
人々は争うように紙を拾い、字を読める者が声に出してまわりに説き始めた。
■注
六尺褌 晒の反物を六尺(約百八十センチ)で千切って腰に巻き、褌(下着)としたもの
判じ物 文字や絵図で作った謎解き。洒落や皮肉などの図柄が多い
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