第五章 船出

五之一 謀反の香り

 船出の三日前、長留守に備えて屋敷支度を整えると扉を閉じ、アサルと共に大綿おおわたの許に転がり込んだ。すでに城内との段取りも済んでいる。源内や夜儀やぎなど、船人との約束事も。あとは細々した用向きをこなし、旅立つだけだ。


 だがしかし、この雑事が馬鹿にならない。片付けても片付けても湧いてくる。ある事柄を詰めている最中、別の野暮用が割り込んでくる。そちらの話をつけていると、また別の用向きが、急ぎだと言って転がり込んでくる。これでは気も体も休められない。


 大綿とふたりであらかた決めてゆく。細かな用は、安芸あき船人ふなびと仲間に頼む。意外とアサルが役立った。使いを頼めば走って行くし、支度したくや取りまとめにほころびが生じれば、知恵を出して助けてくれる。胡人こじんの娘は、早く海に出たくて仕方ないかのようだった。


「大綿、船人はこれで全てだ。それぞれの気のたちや関わりを考えたとき、謀反むほんの事をどう考える」


 アサルが使いに出た合間に、大綿に問い掛けた。


「そうさな……」


 大男は、懐手ふところででしばらく考えていた。


「平賀源内は裏切るまい。あの男は、世の秘密が知れるなら、命などなんとも思わん。もちろん銭金など、気にもしない」

「それにもう歳だ。還暦を過ぎて十年以上になるはず。此度こたびの海渡りは、命を捨てての旅になる」

「そうさな」


 頷いた。


「源内自らの望みを考えるなら、裏切ることわりがない。アサルも俺も大丈夫だ。……となると危ないのは、銭金ぜにかねに汚い写楽しゃらくが、夜儀、つまり鼠小僧次郎吉を口説いてつるんだときだ」


 言い切った。


「もう盗みに興味はないとは言っている。鼠小僧は暇潰しに盗みに入って、銭をばら撒いていた。だから、その言葉に偽りはなかろう。……とはいえ元が大泥棒だ。転ぶかも。津見彦はふたりにいいように言いくるめられるやもしれん」

「写楽と夜儀がつるんだら、どうすると思う」


 大綿は、眼を細めた。


「飯に毒を入れて、俺達を眠らせるか殺す。そして船頭ふながしらの間から掛け合い用の金銀を運び出し、我が物とする」

「俺を殺したら、木花このはなは動かせん」

「そう言えばそうだったな。船頭が死んだ神木船かみきぶねは、次の船頭をまた見つけるまで眠りに就くとか」

「そうだ」

「となるとお前は眠らせるか。……しかし、船頭の間は仙術で守られている」

「俺の許しがないと入れん。もちろん金銀など持ち出すのは無理だ」


 無精髭をさすると大綿は、冷めてしまった茶を、無造作に口に放り込んだ。


「ではお前には毒を盛らず、脅して部屋を開けさせる」

「俺の命は勾玉まがたま次第。もし金銀を失えば破斯はしで頼みの女を得られず、務めのしくじりは決まりだ。どこに逃げても、宦官かんがんどもに仙術で呪い殺される。金銀の件で言う事を聞くはずがないのは、夜儀ほどの切れ者ならわかるはず」

「なるほど」


 空と庭とを、大綿がふと眺めやった。つられて見ると、庭では、何人もの男達が支度のためせわしなく動き回っている。急に雨がぱらりと降ってきて、怒鳴り合いがそこここで起こり始めた。アサルの奴、使い先で雨で困ってなければいいが……。


「となると危ないのは、写楽が知恵の足りぬ考えを元に、ひとりで謀反を起こす事だけだ。船頭の間が開いた様子をどうにか作り出し、皆を薬で眠らせる。仲間が船で乗り込んでくる。荷物を運び出してその船に積み替える。しまいに、寝ている俺達を全て殺して逃げればよい」


 大綿の気掛かりを、しばらく考えてみた。


「そうだな。それはあり得る。……だが大綿よ。あいつの馴染みを考えるなら扶桑ふそうの、特に瀬戸内せとうちの中だけだろう、危ないのは」

「そう思う。ならば瀬戸内におる間は、あの男から目を離さぬようにせんといかん。……それにアサル、あの奴隷に寝物語で鎌を掛けさせてはどうか。それで写楽の心根もわかろうというもの」


 俺の目の色を窺っている。


「いや、アサルを使うのは止めよう。もし写楽に謀反の気持ちがなかったときに、要らぬ厄介事やっかいごとの種になるやもしれん」

「陽高がそう決めるなら、それでいい。さほど入り用な案でもない」


 さすがに疲れが覗く声色で言うと、湯呑みをあおって冷めた茶を含んだ。


 雨は止んだが、春というのに妙に蒸し暑い。ふたりともしばし黙ったまま、団扇うちわで涼を取る。


「あとは銭金の話でなくなったときだ。……大綿よ。いよいよ自らの命が危ない、一文無しでいいから船から逃げたいとなったら、どうだ。異国の海で。魂が壊れ、無闇に俺達に手を掛けてどこぞの港に逃げ出すという謀反は」


 上を向いて息を大きく吐き、大綿はぽんと膝を叩いた。


「それはもうわからん。あり得ん話とは言えん。人は強く、そしてまた弱い。誰かがそうなっても、不思議ではない。もちろん俺がなるやもしれん。お前だってそうだが、その勾玉があるからなあ……。お前が逃げるのは、やけくそで死にたいときだけだろう」


 俺の胸の蒼褪めた勾玉を見て、眉をひそめた。


「まあせいぜい奴隷に癒してもらえ。お前が狂えば皆が死ぬる。それは確かだ」


 そのときアサルが戻ってきた。雨に降られた事に関し、天に文句を言いながら。


 難しい顔をして腕を組んだ俺と大綿を見ると、黙って横に座る。猫の脚を持って、俺の膝を爪でひっかかせて遊び始める。庭からはまだ事柄ことがら摺り合わせの、荒っぽい談義が聞こえていた。

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