第四章 東洲斎写楽

四之一 童

 長い航海に入り用な「遊び」として、下働きを入れる事にした。


 しっかりした船人ふなびとでなく下働きにしたのは、俺の考えからだ。まず、これ以上、まともな船人は探せそうもない。次に、いずれも才と力を物差しに探したので、船人の肌合いが強過ぎる。


 辺境船へんきょうぶねの作法は皆知っているので、無闇なぶつかり合いは少ないだろう。だが、それぞれが直に野暮用やぼようなど言い付け合っていては、船にいらぬ厄介事やっかいごとを招きかねない。ここは、誰もが気軽に軽口を叩き下用を言い渡せる男が、和らげ役としても欲しい。


 それに、いずれにしろ下らぬ用事や夜番よるばんの事を考えると、自らたのむ気持ちを変に持たず、淡々と言いつけをこなす裏方がいる。それには下働きで十分、いやむしろ下働きでないと困る。


「お前が求める下働きは、素直な童でいいというのか」


 大綿おおわたは、大きな目で俺を見ている。膝の上にいつもの猫を乗せて。大綿の広間。今日はアサルは連れて来ていない。あまりに飯飯うるさいので、銭を渡して近くの茶屋で菓子を食わせている。今頃団子を頬張って喜んでいるはずだ。


「そうだ。素直なたちの童がいい。世渡りなど考えず、言われた事だけをやっつけてくれれば。気の利いた事を思い付く鋭さはいらん。むしろ海渡りの妨げになる」

「ふん」


 腕を袖に入れて上を向き、大綿はなにか考えている。


「大綿よ、童であれば、皆が気兼ねなく使える。いかな下らぬ用件であれ。それに、下働きは考えの鋭さや知恵、力に劣る。他の船人の手前、女を与えるつもりはない」

「ふむ」

「とはいえこの度は、五年に渡るかもしれぬ海渡りだ。その間、他の船人が女を得ているのを見ていては、いかな下働きとは言え、いずれいさかいを呼ぶ。五年経っても精のない童であれば、その点も問題ない。下働きにはそれなりの支度金しか出せぬ。手形も見せられん。身に余る金が貰えると広まっては危うい。だがもちろん無事に戻れば、約束の手形を渡そう」

「なるほど」


 顎を掻いている。


「となると、多少頭が弱いくらいでもいいやもしれん。親が貧しく、口減らしでどこぞの悪党まで酷い奉公に出す間際の所帯はいくらでもある。そこに声を掛ければ、宗徳むねのり様の御用という話で、親も童も喜ぶだろう」

「心当たりはあるか」

「ない事はない。幾つかな」


 茶を一気に飲み干す。


「万事、この大綿に任せろ。これならすぐに決められる」


         ●


 たしかに下働きはすぐに見つかった。アサルを連れ、大綿の広間で、その童と顔を合わせた。名を津見彦つみひこという。


「歳は……」

「数えで九つです、頭」


 津見彦は、あたりを見回した。アサルは俺の隣で猫をからかっている。大綿も下働きを検分している。向かいにいるのは、津見彦ひとりだけだ。名立たる船人ふたりと異人に見られていても、特に居心地が悪そうな気配は見えない。

「この異人さんは、頭のおかみさんですか」


 アサルの手が止まった。


「違う。アサルも木花に乗る船人だ」

「そうですか。わかりました、頭」

「長、津見彦は、童のくせに大力おおぢからで名高い。役立つと思う」


 大綿が言う。津見彦は大きな童だった。たしかに力仕事には向いていそうだ。振り分け髪にせず、伸ばしているのが珍しい。裏のなさそうな瞳で、笑みはどこまでもまっすぐ。親は漁師。津見彦は竹原の港で荷運びの下働きをしている。親の小舟に乗るので、近くならば海を知っている。


「五年にも及ぶ海渡りになる、気にならないか」

「聞いています、頭」


 瞳が輝いている。


「父っつぁも船を操ります。俺は、船に乗るといつでも嬉しいです。それに船を見送るのも。山の上から沢山の島に隠れていく船を見るのが」

「うむ」

「それに、長い船旅が楽しみです。それに、宗徳様の御用とか。それに、父っつぁは喜んでいます。母ちゃも、利助やみんなも……」

「良かったな。兄弟は何人だ」

「はい頭、八人です」

「津見彦、よく聞け。この波路は長い。しかも帰って来れるかはわからん。死ぬかもしれん。恐ろしい魔物や海賊、嵐で船が打ち壊されるやもしれん。帆柱が倒れて腕がもがれるかも。痛いぞ。……怖くはないか」

「よくわからん、頭。痛いのは嫌だ。でもいつ痛いかわからない。だから痛いときに怖がる」

「そうか。ならよろしく頼む。皆の言う事をよく聞くのだぞ」

「わかった、頭」

「すまんな津見彦。お前の命を俺が取ってしまう事になるかもしれぬ。まだ童であるのに」

「なにを言う、頭。父っつぁが言っておった。海で死ぬるは漁師と船人のほまれ、父っつぁが死んでも泣くでないと。俺が海で死ねば、父っつぁは悲しい。でも俺の誉れと喜んでくれるだろう」

「そうか……」


 津見彦が言っている事は、船人なら皆当たり前の思いだ。その点、同じはらを共に持つ仲間として受け入れる事ができる。たとえこの務めで死のうと、夜儀やぎも源内も俺を恨むまい。しかし、津見彦はまだ童だ。この先、別の思いを持ち、己の信じる生き方をして暮らしていく機を、俺が潰してもいいものだろうか。


 全て知りつつ決めた事とはいえ、後味は悪い。いかに口減らしされそうだった童だとしても。大綿に頼み、残された家に、いろいろ気を配ってもらう様にしよう。


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