三之四 羊羹
夜、床に横たわり、はじめの関門である船出をいかに
危っ急の
今までに決まった船人は五人。船の操りと船人の
次に重き船人として、
さらに平賀源内。生き残るために
ここまでで、俺を入れて四人。加えて、アサルがいる。アサルには、気や
それに、アサルには船や海渡りの知恵がありそうだ。あの小娘をそのように使う心積もりはそも全くなかったが、船人が集まらない今となっては、これが役立つやもしれん。異国の知恵は、扶桑のそれとは違う場合もあろう。それはこの難しき波路に、大きな力となるはずだ。
これだけの陣があれば、
ただし帆が頼りだから、追い込まれ向かい風に逃げざるを得なければ、
となるとここはやはり、海渡りに「遊び」を持たせておきたい。船を建て造る際も、木の反り返り、鉄や銅の錆出しなど、「遊び」まで目配りして造らねば、その船は長くはもたん。船人の組み合わせも同じだ。それは、船人としての長い暮らしで身に付けた、生き延びる知恵だった。
「陽高、入るぞ」
返事も待たず、
「なんだアサル、眠れぬのか」
「いやこの
竹の皮にくるまれた羊羹を丸ごと齧りながら、口を動かしている。
「だから陽高、お前も食え。一緒に食べよう」
「なにをもぐもぐしている。そんなに沢山頬張っては、なにを言っているのかわからないではないか」
「いいから食え。甘い物は知恵も湧くぞ」
口に無理矢理押し付けてくる。俺は仕方なく食べてみる。
「どうだ。うまいだろう」
「ああ、うまい」
「扶桑と言えど、飯も菓子もうまい奴があるのだな。陽高とおると、いつまで経っても
あの食わせ物、羊羹一本で船人ひとり
俺は、呆れて奴隷の顔を見た。幸せそうな瞳で、アサルは羊羹に齧りついている。
まあいいか。この女は船人の中に味方や敵など考えそうもない。大丈夫だろう。それに一度会っただけだから、あいつもまだアサルの本分など見えてはいないはずだ。なら案ずるまでもない。それにしても今まさに船の大事を考えていたというのに、羊羹などと。
「なあ陽高、
俺の骨折りを知りもせず、呑気な事を言う。
「なんだ、
「そうではない」
緑色の瞳で、じっと見つめられた。
「ただ同じ床で共寝したいだけだ。……春だというに、この屋敷は寂しい。なにか魔物がいるかのように、気が荒れておる。権之助の奴隷市の寝床より酷いぞ。気がくさくさするのだ。疲れを癒し力を生み出すのは、眠りと夢よ。この屋敷の夜には、癒しも力の蘇りも感じん」
異国の小娘でも、この屋敷を
「悪いが疲れている。ひとりで眠りたい」
「そうか……」
眉を寄せ、下を向いてしまった。
「わかった。ならばこの羊羹という菓子を食え。少しは気も紛れよう。私はもうたんと頂いた。残りは陽高が食べるとよい」
それだけ言うと立ち上がり、奴隷は襖を閉めて消えてしまう。俺の傍らには、齧りかけの羊羹が、悲しげに取り残されていた。
★次話より新章。史実ではわずか10か月しか活躍せず、革新的画風「大首絵」大評判のまま正体すら明かさず忽然と消えた謎の浮世絵師、東洲斎写楽が登場!
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