三之四 羊羹

 夜、床に横たわり、はじめの関門である船出をいかに成就じょうじゅさせるか、そのすべを考えていた。俺は船長ふなおさ船頭ふながしらだ。誰よりも考え、皆を生きて安芸あきまで連れ帰る算段をせねばならない。


 危っ急の悶着もんちゃくは、船人ふなびとをさらに増やすかどうかだ。


 今までに決まった船人は五人。船の操りと船人の要石かなめいしとして、大綿おおわた。潮見と風見、星見、帆張りや舵取りの判じ事、そして船の中の采配を万事頼める。いざとなれば掛け合いやいさかい事も大丈夫だ。


 次に重き船人として、夜儀やぎこと鼠小僧次郎吉。舵取りや帆張りを任せる。さらに異国での掛け合いと荒事あらごとという、務め成就に最も大事の任も。


 さらに平賀源内。生き残るためにおそろかにはできない、医術の技を持つ。加えて蛮語ばんご通辞つうじも。星見や漁労にも詳しく、日頃は大綿や夜儀の支え役ともなろう。


 ここまでで、俺を入れて四人。加えて、アサルがいる。アサルには、気やはらの力の素となる飯と夜伽よとぎを頼む。それに……。


 それに、アサルには船や海渡りの知恵がありそうだ。あの小娘をそのように使う心積もりはそも全くなかったが、船人が集まらない今となっては、これが役立つやもしれん。異国の知恵は、扶桑のそれとは違う場合もあろう。それはこの難しき波路に、大きな力となるはずだ。


 これだけの陣があれば、木花このはなで海を渡る大本はなんとか得たはずだ。途上、蛮族との争いが起こらないとすれば、そして波路が無事であるとすれば、たしかにこの務めを果たせるかもしれない。しかし五年にも及ぶかもしれぬ海渡りでは、海も荒れるだろう。もちろん蛮族や海賊が襲ってきもしよう。病で倒れる船人が出るやもしれん。


 大筒おおづつも持たず少ない船人で全てをまかなう木花では、いくさはご法度はっとだ。勝てるわけがない。蛮族が戦の構えを見せたら、神木船かみきぶねの速さを生かして逃げるだけ。回り込まれたりせず運が良ければ、助かるだろう。


 ただし帆が頼りだから、追い込まれ向かい風に逃げざるを得なければ、船脚ふなあしは著しく遅くなる。とても危うい。蛮族が狼煙のろしや音で知らせて風上から助っ人が来て挟まれたりすれば、万事休す。木花に人死にも出るだろう。たったひとりでも人死にが出れば、残った船人に過分な務めを負わせねばならん。


 となるとここはやはり、海渡りに「遊び」を持たせておきたい。船を建て造る際も、木の反り返り、鉄や銅の錆出しなど、「遊び」まで目配りして造らねば、その船は長くはもたん。船人の組み合わせも同じだ。それは、船人としての長い暮らしで身に付けた、生き延びる知恵だった。


「陽高、入るぞ」


 返事も待たず、寝所しんじょにアサルが入ってきた。寝間着ねまきはなにも買ってやってないので、奴隷の市に放り込まれていたときの、藍染めの短い襦袢じゅばんのままだ。


「なんだアサル、眠れぬのか」

「いやこの羊羹ようかんとかいう菓子はうまいぞ。夜儀やぎが使いに持たせてきた」


 竹の皮にくるまれた羊羹を丸ごと齧りながら、口を動かしている。


「だから陽高、お前も食え。一緒に食べよう」


 胡座あぐらを組むと、食べかけを俺に突き出す。


「なにをもぐもぐしている。そんなに沢山頬張っては、なにを言っているのかわからないではないか」

「いいから食え。甘い物は知恵も湧くぞ」


 口に無理矢理押し付けてくる。俺は仕方なく食べてみる。


「どうだ。うまいだろう」

「ああ、うまい」

「扶桑と言えど、飯も菓子もうまい奴があるのだな。陽高とおると、いつまで経ってもろくなものが食えん。夜儀が気を利かせたのであろう」


 あの食わせ物、羊羹一本で船人ひとり手懐てなづけ味方にするつもりか。安上がりな小娘だ。


 俺は、呆れて奴隷の顔を見た。幸せそうな瞳で、アサルは羊羹に齧りついている。


 まあいいか。この女は船人の中に味方や敵など考えそうもない。大丈夫だろう。それに一度会っただけだから、あいつもまだアサルの本分など見えてはいないはずだ。なら案ずるまでもない。それにしても今まさに船の大事を考えていたというのに、羊羹などと。


「なあ陽高、今宵こよい一緒に寝てはくれぬか」


 俺の骨折りを知りもせず、呑気な事を言う。


「なんだ、とぎでもしたくなったのか」

「そうではない」


 緑色の瞳で、じっと見つめられた。


「ただ同じ床で共寝したいだけだ。……春だというに、この屋敷は寂しい。なにか魔物がいるかのように、気が荒れておる。権之助の奴隷市の寝床より酷いぞ。気がくさくさするのだ。疲れを癒し力を生み出すのは、眠りと夢よ。この屋敷の夜には、癒しも力の蘇りも感じん」


 異国の小娘でも、この屋敷をべる宵闇よいやみの呪いを感じているのか――。申し訳なく思ったが、一緒に寝れば、さらにアサルが恐れる事となる。


「悪いが疲れている。ひとりで眠りたい」

「そうか……」


 眉を寄せ、下を向いてしまった。


「わかった。ならばこの羊羹という菓子を食え。少しは気も紛れよう。私はもうたんと頂いた。残りは陽高が食べるとよい」


 それだけ言うと立ち上がり、奴隷は襖を閉めて消えてしまう。俺の傍らには、齧りかけの羊羹が、悲しげに取り残されていた。



★次話より新章。史実ではわずか10か月しか活躍せず、革新的画風「大首絵」大評判のまま正体すら明かさず忽然と消えた謎の浮世絵師、東洲斎写楽が登場!


■注

大筒おおづつ 大砲




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