三之三 船出の求め
木村城、
「船出の支度は進んでおるようじゃな」
「はい、沙衛様。今日はその件、お報せに参った次第で」
「しかしどうだ、
嘘を見逃すまじと、切れ者の
「景監様、長い年を経たりと言えども、
「ふん。たしかに多勢乗りて、
幼さを
「昌光様、神木船の
「そも船頭の間は、いかように加護されておるのじゃ」
退屈そうな声で、沙衛が訊いてきた。
「女神のご加護により、天津の許しなき折は、何人たりとも部屋に入れないのでございます」
「仙術の鍵で護られているわけか。……しかし神の加護がただそれだけとは」
「沙衛様、木花は船の全てが護られております。船頭の間を護る求めが更にあるとすれば、
「なるほど、たしかにそうだの」
景監が気持ち良さそうに笑い出す。
「木花咲耶姫に船を護ってもらう代わりに、船頭たるその方は、呪いを受けているのだものな。
「景監殿、天津は辺境への海渡りにて
猫が鼠をからかうような残忍な笑みを、沙衛が浮かべる。
「なに残り六十ばかり、あと五十年もあれば解ける勘定ではないか。まあせいぜい長生きして、呪い解きに
「沙衛様の温かなお言葉、この天津、痛み入るばかりにございます」
頭を下げてやった。
「そのような瑣末な事はどうでもよい。――それで、いつ立つ」
昌光が、苛立った声で促す。
「ご要望の五葉よりは早く、次の三魚の朝に」
「ふむ。潮目が悪くなる前か」
満足気な色を、瞳に浮かべている。
「雨風の日和も良さげなれば。……もちろん雲行きによっては数夜ずらすやもしれませんが。いずれにしろ決まり次第、すぐにお伝え申す所存」
「……まあ、そんなところであろうな」
「ときに沙衛様、この天津、波斯への海渡りを成就に導くため、ひとつお願いの議がございます」
「なんじゃ。言うてみい」
ひと息置いて、三人の顔の色を伺った。静かな茶室に、茶釜の湯が沸く音だけが響いている。
「船出の折には、ご城主、
沙衛は、俺の目をじっと覗き込んでいる。
「……なぜ望む、天津よ」
「この度の海渡り、この天津の心得と経験を持ってしても、成就できるかわかり申さぬ」
もう一度、言葉を切った。宦官どもは、俺の口上を待っている。
「この天津は、なんとしても旅を成就させて戻る所存。これがありますれば」
襟を開いて、存分に
「しかし、船人はどうでありましょうか。たしかに過分な報奨手形を頂いております。しかしそれも命あっての物種。途上にて怖気を持ち、逃げたり謀反を企てる者が出ないとは限りませぬ」
「それと宗徳様に、どのような交わりが」
景監が、不機嫌そうに呟く。
「景監様。船出の折に、この海渡りが安芸にもたらす値打ちを、しっかと胸に焼かせ、釘を刺さねばならぬかと。万万が一にも、謀反など考えぬように。そのためご城主に、ひと言お声を掛けて頂ければと存じます。さあれば、皆その恩と喜びを幾たびも思い出し、海渡りの道中を通じて忘れじと考えまする」
「ふん」
沙衛は、皺だらけの顔で天井を見て、しばらく黙っていた。
「……たしかに、その方の申す事にも一理ある。
「有難きお言葉」
俺が深く頭を下げると、沙衛の声が上から降ってきた。
「天津よ、最も良い形にて船出し、務めを成就させるよう、全ての力を用いるのじゃ」
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