三之三 船出の求め

 木村城、振り返りの茶室にて、俺は宦官かんがんどもと相対あいたいしていた。三宦官をまとめる長老役の沙衛さえいみやびやかに茶筅ちゃせんを使い、茶をてて俺に回す。


「船出の支度は進んでおるようじゃな」

「はい、沙衛様。今日はその件、お報せに参った次第で」

「しかしどうだ、船人ふなびと五人では足りまいとの声がある」


 嘘を見逃すまじと、切れ者の景監けいかんは、俺の顔の色をじっと見ている。


「景監様、長い年を経たりと言えども、木花このはなは神に護らるる神木船かみきぶね。五人もおれば人は足りまする。幾人か足すやもしれませんが、あまりに船人多くては、道中仲違いなどの憂いも増えようというもの」

「ふん。たしかに多勢乗りて、波斯はしで手に入れた女に手を出す不心得者など出ても困るでな」


 幼さを顔貌かおかたちに残す昌光あきみつは、懐紙ふところがみで口を拭っている。


「昌光様、神木船の船頭ふながしらの間は、木花咲耶姫このはなさくやのひめに特に加護されております。女は道中そこに収めます故、船人は手を出せないかと」

「そも船頭の間は、いかように加護されておるのじゃ」


 退屈そうな声で、沙衛が訊いてきた。


「女神のご加護により、天津の許しなき折は、何人たりとも部屋に入れないのでございます」

「仙術の鍵で護られているわけか。……しかし神の加護がただそれだけとは」

「沙衛様、木花は船の全てが護られております。船頭の間を護る求めが更にあるとすれば、は船人の謀反むほんからでありましょう」

「なるほど、たしかにそうだの」


 景監が気持ち良さそうに笑い出す。


「木花咲耶姫に船を護ってもらう代わりに、船頭たるその方は、呪いを受けているのだものな。五臓六腑ごぞうろっぷ、指から目玉まで身全て百八つに分けられ、死したほうが楽なほどのただならぬ責め苦を、夜毎よごと受けておるらしいのう」

「景監殿、天津は辺境への海渡りにて闇寝やみね仙宝せんぽうを探し、呪いをひとつずつ解いておるのじゃ。そうであったな、天津殿。なんでも三十八年の間で、四十幾つ解いたとか」


 猫が鼠をからかうような残忍な笑みを、沙衛が浮かべる。


「なに残り六十ばかり、あと五十年もあれば解ける勘定ではないか。まあせいぜい長生きして、呪い解きにいそしむ事じゃ」

「沙衛様の温かなお言葉、この天津、痛み入るばかりにございます」


 頭を下げてやった。


「そのような瑣末な事はどうでもよい。――それで、いつ立つ」


 昌光が、苛立った声で促す。


「ご要望の五葉よりは早く、次の三魚の朝に」

「ふむ。潮目が悪くなる前か」


 満足気な色を、瞳に浮かべている。


「雨風の日和も良さげなれば。……もちろん雲行きによっては数夜ずらすやもしれませんが。いずれにしろ決まり次第、すぐにお伝え申す所存」

「……まあ、そんなところであろうな」

「ときに沙衛様、この天津、波斯への海渡りを成就に導くため、ひとつお願いの議がございます」

「なんじゃ。言うてみい」


 ひと息置いて、三人の顔の色を伺った。静かな茶室に、茶釜の湯が沸く音だけが響いている。


「船出の折には、ご城主、小早川宗徳こばやかわむねのり様にご来臨頂きたい」


 沙衛は、俺の目をじっと覗き込んでいる。


「……なぜ望む、天津よ」

「この度の海渡り、この天津の心得と経験を持ってしても、成就できるかわかり申さぬ」


 もう一度、言葉を切った。宦官どもは、俺の口上を待っている。


「この天津は、なんとしても旅を成就させて戻る所存。これがありますれば」


 襟を開いて、存分に勾玉まがたまを見せつける。


「しかし、船人はどうでありましょうか。たしかに過分な報奨手形を頂いております。しかしそれも命あっての物種。途上にて怖気を持ち、逃げたり謀反を企てる者が出ないとは限りませぬ」

「それと宗徳様に、どのような交わりが」


 景監が、不機嫌そうに呟く。


「景監様。船出の折に、この海渡りが安芸にもたらす値打ちを、しっかと胸に焼かせ、釘を刺さねばならぬかと。万万が一にも、謀反など考えぬように。そのためご城主に、ひと言お声を掛けて頂ければと存じます。さあれば、皆その恩と喜びを幾たびも思い出し、海渡りの道中を通じて忘れじと考えまする」

「ふん」


 沙衛は、皺だらけの顔で天井を見て、しばらく黙っていた。


「……たしかに、その方の申す事にも一理ある。此度こたびの務めが安芸あきにとってゆるがせにできんのも確か。この沙衛から上進申し上げれば、宗徳様も、来席を是してくれるやもしれん。そのように配しよう」

「有難きお言葉」


 俺が深く頭を下げると、沙衛の声が上から降ってきた。


「天津よ、最も良い形にて船出し、務めを成就させるよう、全ての力を用いるのじゃ」




■注

茶筅ちゃせん 抹茶をかき回し泡を立てる道具。竹筒を加工して作る

五臓六腑ごぞうろっぷ 全身の意

仙宝せんぽう この世界のマジックアイテム。仙術が込められていて、多種存在する

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る