三之二 第五の船人

「いえ行灯部屋もなかなか乙なもので……。ところで天津様、おあしを払っていただいたそうで。有り難いことです」


 夜儀やぎこと鼠小僧次郎吉は、目を細めて微笑んでいる。


「若い衆も、俺がお前を身請けしに来たと笑っていたぞ」

「ふふん。身請けされたも同然ではないか」


 微笑みを崩さないまま、夜儀が言った。


「私はここから身請けされ、天津様の言う事はなんでも聞いて海渡りに加わる。神木かみき蘇りの鍵を握る異国女を連れ帰るという務めを果たしに。成し難き長旅にて、扶桑に戻る事、あたわずと伺っております」

「そうならないよう、力を尽くす」


 探るように、俺の目をじっと見ている。俺も相手の瞳から、嘘偽りのない真を読もうと努める。しばらく座敷を静寂しじまが包み、まだ飯に食らいついているアサルの匙の音だけが響いていた。


「……っ」


 こらえ切れず、夜儀が噴き出した。女のように伸ばした髪を掻いている。


「どうにもいけませんな、天津様。そこな野良猫、ちと調子が狂います。今、きもを確かめ合う、大事な勝負どころでしたに」

「ふん……。俺達は戻る。この手形を使うためにもな」


 城主の手形を投げ渡す。手に取ると、夜儀はそれに目を走らせた。


「……これほどの褒美ほうびがあるとの噂は聞かなんだが」

「手形の件は、話してはおらん。木花このはな船人ふなびとは欲しいが、報奨目当ての食い詰め者が押し掛けても困るからな」

「なるほど。これはどれも大したものだ。……少し悪戯いたずらが過ぎたようで、私も安芸あきは次第に居づろうなって参りました。ほまれを挙げ、召し抱えの身となれば、また顔も利くようになりましょう。それにこの金子きんす。召し抱えの俸禄ほうろくと合わせれば、地獄のお迎えが来るまで女郎屋より木村城に登城できますな、天津様」

「どこの世に、女郎屋から城に通うもののふがいるものか」

「それもそうでございますな。ところで、これほどの褒美があれば、船人ふなびとも選び放題ではありませんか。……どちらの御仁ごじんが、ご同行で」

「なかなかそうは行かん、長き沖渡りすらある此度こたびでは。お前もわかっていようが。船人として決まっているのは、知っての通り大綿おおわただ」

要石かなめいしですね」

「あとは平賀源内――。お前と同じ船になった波路なみじはないと思うが」


 上を向いて考えている。


「ええ。ただ存じておりますとも。源内様は、安芸津々浦々まで知られたお方だ。難しい灌漑かんがいも手掛けられて、民に敬われている。……ちと変わり者らしいですがな」

「それに俺とお前、アサルだ。さらに増えても、あとひとりだろう」


 俺がそれきり口を開かないのを見て、目を細め、楽しそうに笑ってみせる。瞳の奥は別にして。


「なるほど、この度の厳しき海渡りでは、人集めも針の穴を通すが如くか。これは甲斐かいのある航海だ。神木船木花かみきぶね このはななら、進むだけなら三人でも難なき事でございましょう。ただ異国で掛け合い、いさかい、さらには見知らぬ海で沖渡りしていく旅を考えると……」

「夜儀よ、この天津を信じてくれるか」


 背を伸ばし、夜儀は俺の目をまっすぐに覗き込んだ。


「天津様、私は、退屈が一番嫌いでございます。そも胸の高まりを求めての泥棒稼業。そこから足を洗った今は、気の詰まらぬ日々にござります。それゆえおかではかようにひょうげております。しかしいかな喧嘩けんかに明け暮れようが、はただの暇潰し。値打ちなどありはしない」


 ほっと息を吐くと続けた。


「泥棒稼業から足を洗ってからは、私も船人。海にこそ、男が命を懸けるだけのまことがある。ならばこそ、天下に名立たる天津様と木花咲耶姫このはなさくやのひめのご加護を受けたる神木船かみきぶね、これだけのお宝とほまれを求めての一世一代の大勝負に立ち会えるは、誠に船人の夢。ぜひ、おそばにて命を燃やさせていただければ、末代までの喜びと存じております。この夜儀、天津様を船長ふなおさと呼ばせていだきましょう、長」


 頭を深々と下げて、そのまま起こさない。これはまことか。あるいは利にさとい男の芝居なのか。それはわからない。それに人は日々誰しも芝居をする。芝居の中にも真があり、真の中にも芝居がある。どちらがどうと断じるのは、せんなき事なのかもしれない。


 ならば俺はこの男の真を引き出してみせよう。それすらできないのであれば、そも難儀な海渡り、ましてや沖渡りなど成し遂げられるはずもなし。天竺てんじくより遥かに遠い波斯はし目指し、五年で戻って来るなどと。


 頭を上げると、夜儀は、色男らしく微笑んだ。


「夜儀よ、よろしく頼む。……ほら、お前も頭を下げんか」


 傍らの小娘の頭を掴んで下げさせる。


「わ、わかった。私も頼む」


 皿と匙を持ったまま、アサルが頭を下げる。目を細めながら様子を見ていた夜儀は、すっと立ち上がった。


「これにて失礼。女郎じょろうが待っております故」


 座敷を出かかって、ふと足を止める。


「そうそう天津様。私の支度金は、この遊郭ゆうかくにお送り下さい。取引や争い事に必要な万端ばんたんを整えますので、大綿様がおっしゃっていた証文も置いて行かれますよう。それと、城内を探らせるのに、女郎に南蛮なんばん細工のかんざしを約束してしまいました。その金も払っておいていただければ」

「万事任せろ」

「ではいずれ」


 俺の声を背に、すっと出て行った。


「……面白い男だな、陽高」


 膳の飯を全て食べ尽くしたアサルは、箸を置いて茶を飲んでいる。白く細い指が、黒釉流れる湯呑みに映えている。


「そうか、アサルはどう感じた」

「たしかに食えない。あれほどの真を語りながら、城内を探るために女郎になにやら知らんが贈り物などという嘘もまた。ただ、不思議と楽しがっている風でもあったぞ。頭が切れ過ぎて、全てが遊びにしか見えんのではないか、夜儀には」

「そうか」

「なあ陽高よ、急いで帰る事もなかろう。先ほど膳に載っていた菓子を、もう少し所望しょもうしてはどうだろうか」


 緑色の瞳で、上目遣いに俺を見ている。俺は溜息をついた。


「わかったわかった。菓子をたんともらおう。土産みやげにもしてもらって」

「そうか、さすがは神木船の頭だ。胆が座っておる。なんなら次の間に布団を敷いてもらって、ふたりで昼寝していくのはどうだ、主よ」


 奴隷は、嬉しそうに俺の腕を抱え込んだ。

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