二之四 傾奇者、鼠小僧次郎吉

 兵糧ひょうろう、そして博物はくぶつ、さらにはつくろいの品――。遅々としながらも、木花このはな船出の支度したくは進んでいった。


 平賀源内が城内から商人、学者まで通じるその力を存分に振るい、この長き海渡りにうってつけの品々を誂え、あるいはまかない、木花に積み込んでいく。しかし初めに決めたいと願っていた人選びが、全く進まない。宦官かんがんどもに呼び立てられ、嫌味を言われて脅された。俺と大綿は焦っていた。


「やはりかなわんぞ、陽高よ」


 家の広間で酒をあおると、大綿は顎の髭をこすった。


「随分網を拡げて探ってみたが、優れた才と志を持つ男でも、やはり戻れない旅に乗ってくる奴はいない」

なぎはどうだ」

「お前は長い海渡りが多いから、今の安芸あき船人ふなびと事情には疎かろう。薙は、もう安芸におらん。長い船人暮らしで体を駄目にして、隠居してどこぞに行った」

櫛稲くしなだは」

「あいつは今、海に出ている。間に合うようには戻らない」

喜助きすけは」

「海で死んだ」

「そうか」


 大綿に合わせて、俺も酒を口にする。傍らのアサルには、酒は飲ませていない。全く進まない話を横目に茶を飲みながら、アサルは猫の喉など撫でている。


 牡丹ぼたん色の花喰鳥柄はなくいどりがら小袖こそでを、アサルは着ている。俺といるといつまでも汚い身なりだというので、玉依さんが誂えてくれたのだ。帯は鶯茶色うぐいすちゃいろ有栖川錦ありすがわにしきで、瞳と同じ淡萌黄うすもえぎ吉祥紋きちじょうもんが散らされている。


「もう後がない。これより先は諦めて、ほころびを残す男でも探すしかない」


 真面目な顔をして俺を探る。


「誰かいるのか」

「ひとりなら……」


 大綿は、また一口酒を放り込むと、酒肴の魚をアサルに渡してやる。アサルはそれを持って猫をからかい始めた。


「お前も知っておろう、次郎吉じろきちだ」

鼠小僧ねずみこぞうか……」


 細い目で人良さそうに微笑む顔を思い浮かべた。元を辿れば江戸日本橋、歌舞伎小屋で生まれ育った色男。餓鬼の頃から手癖が悪く、物心ついた頃には大泥棒。手下を率い大名屋敷に忍び込んでは金子きんすを盗み、貧しい職人におこぼれを巻いて義賊ぎぞくを気取る。土浦藩江戸屋敷に忍び込み捕まったが、数え十四とあまりに若く、知らぬ存ぜぬとごまかし逃げおおす。


 江戸はやばいと手下に鼠小僧の名を譲り、親が名付けた次郎吉も捨て夜儀やぎと名変えして。貯めた銭にものを言わせて裏道抜け。見事浪速に落ち延びた。そこで船乗りとなり瀬戸を行き来するうち、どこをどう気に入ったのか、安芸に落ち着き、海に惹かれて船人暮らし。


 それでも悪の心は収まらず。陸に上がれば片手間に、町人の傾奇者かぶきものたる町奴まちやっこの頭領に身を置いている。武家に通ずる力を用い、町奴と武家奴ぶけやっこいさかいをとりなすなどして頭目を現した。


 退屈しのぎの遊びのつもりか、夜儀は俺の船に何度も乗った。その折、俺と大綿にだけは、鼠小僧としての過去を白状している。


 人好きする豊かな気色を持ち、誰からも好かれる男。しかしそれこそが鼠小僧・夜儀の罠であって、その実、誰よりも食えない。なにを考えているのかわからない。うまく手玉に取ったつもりでも、後々振り返ると、あいつが必ず実を取っている。海千山千の男。


 それだけに、全く出方がわからない異国での掛け合い役にはもってこいだ。


「大綿、あの男は何度も木花に乗せている。乗りたがる事が多いからな。ただ、元が大泥棒だけに、おのが利にさと過ぎる。短い道行きならあつらえ向きとは思うが、命を懸けての海渡りとなると、どうか。利を捨て命を捨ててまで、船のために動くだろうか……」


 俺の顔の色を見ながら、大綿が続ける。


「夜儀は、異国での掛け合いに力を振るうだろう。それに争い事と舵取りに優れている。海渡りの間は舵取りさせ、港に入ったらはかり事、揉めれば大暴れしてもらえばよい」


 たしかにさまざまな働きができ、この度の船人のあるべき姿に沿ってはいる。蛮語も割と話すし、潮見の力は大綿並でもある。しかし……。


「陽高よ、俺達が長い海渡りに出られる奴を探しているのは、すでに城下の噂だ。あちらのほうから話をしに来た」

「夜儀のほうからか」

「ああ、お前と波斯はしに行けるなら本望だと抜かしおった。死ぬ覚悟はできているともな」

「そうか。とはいえ……」


 唸っている俺を見て、大綿は腕を組んだ。


「なんだ、たかが泥棒であろう。その程度の男を使えんでどうする。それでもおさか」


 アサルがぽつんと口にする。猫を抱えて万歳の形をさせたまま、こちらを見もせずに続けた。


「その男には、他にない力があるのであろう。ならば使え、陽高よ」

「おほっ。奴隷の小娘に説教されておるな、お前」


 大綿が大笑いする。いつまで経っても笑い終わらないほどに。


「……大綿、お前はどう考える」

「俺が船頭ふながしらであれば、乗せる。時間がない。それに知らない仲でもない。たちもわかっている。質がわかってさえいれば、それなりには使えるはずだ。揉め事を起こすようなら、そのとき海に放り投げればいい」


 まだ笑い足りない顔で、大綿は目尻を拭う。


「うむ……」

「ただし、決めるのは陽高、お前だ。俺はお前とは別の頭と魂として考える。そしてお前が判じた事を、命を振り絞り全ての力で支える」


 アサルと大綿の考えを頭の中で、しばらく反芻はんすうした。


「よし、乗せよう」

「……良いのだな」


 俺は頷いた。


「わかった。では俺から話を着けておく。……ところでアサル」

「なんだ、大綿」


 まだ猫の腹を撫でている。猫はだらしない形に伸び、喉を鳴らしている。


「木花に乗るのは止めて、俺の女になれ」




■注

花喰鳥柄はなくいどりがら 着物の柄。ペルシャ(イラン)起源

小袖こそで 袖口を小さくした着物

有栖川錦ありすがわにしき 直線模様に動物を織り出した生地。日本のアール・ヌーヴォー

淡萌黄うすもえぎ ライトグリーン

吉祥紋きちじょうもん 縁起のいい模様。アサルの帯の場合、こちらも花喰鳥

傾奇者かぶきもの 遊び人。舞踊劇「歌舞伎」の語源。戦国時代が終わり戦もないため家に居場所の無くなった武家次男坊などが、派手な格好で悪さをしたのが始まり。これが武家奴で、武士を笠に着た武家奴の狼藉に対抗するため発生したのが、町人の不良が徒党を組んだ「町奴」

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