二之四 傾奇者、鼠小僧次郎吉
平賀源内が城内から商人、学者まで通じるその力を存分に振るい、この長き海渡りにうってつけの品々を誂え、あるいは
「やはり
家の広間で酒をあおると、大綿は顎の髭をこすった。
「随分網を拡げて探ってみたが、優れた才と志を持つ男でも、やはり戻れない旅に乗ってくる奴はいない」
「
「お前は長い海渡りが多いから、今の
「
「あいつは今、海に出ている。間に合うようには戻らない」
「
「海で死んだ」
「そうか」
大綿に合わせて、俺も酒を口にする。傍らのアサルには、酒は飲ませていない。全く進まない話を横目に茶を飲みながら、アサルは猫の喉など撫でている。
「もう後がない。これより先は諦めて、
真面目な顔をして俺を探る。
「誰かいるのか」
「ひとりなら……」
大綿は、また一口酒を放り込むと、酒肴の魚をアサルに渡してやる。アサルはそれを持って猫をからかい始めた。
「お前も知っておろう、
「
細い目で人良さそうに微笑む顔を思い浮かべた。元を辿れば江戸日本橋、歌舞伎小屋で生まれ育った色男。餓鬼の頃から手癖が悪く、物心ついた頃には大泥棒。手下を率い大名屋敷に忍び込んでは
江戸はやばいと手下に鼠小僧の名を譲り、親が名付けた次郎吉も捨て
それでも悪の心は収まらず。陸に上がれば片手間に、町人の
退屈しのぎの遊びのつもりか、夜儀は俺の船に何度も乗った。その折、俺と大綿にだけは、鼠小僧としての過去を白状している。
人好きする豊かな気色を持ち、誰からも好かれる男。しかしそれこそが鼠小僧・夜儀の罠であって、その実、誰よりも食えない。なにを考えているのかわからない。うまく手玉に取ったつもりでも、後々振り返ると、あいつが必ず実を取っている。海千山千の男。
それだけに、全く出方がわからない異国での掛け合い役にはもってこいだ。
「大綿、あの男は何度も木花に乗せている。乗りたがる事が多いからな。ただ、元が大泥棒だけに、おのが利に
俺の顔の色を見ながら、大綿が続ける。
「夜儀は、異国での掛け合いに力を振るうだろう。それに争い事と舵取りに優れている。海渡りの間は舵取りさせ、港に入ったら
たしかにさまざまな働きができ、この度の船人のあるべき姿に沿ってはいる。蛮語も割と話すし、潮見の力は大綿並でもある。しかし……。
「陽高よ、俺達が長い海渡りに出られる奴を探しているのは、すでに城下の噂だ。あちらのほうから話をしに来た」
「夜儀のほうからか」
「ああ、お前と
「そうか。とはいえ……」
唸っている俺を見て、大綿は腕を組んだ。
「なんだ、たかが泥棒であろう。その程度の男を使えんでどうする。それでも
アサルがぽつんと口にする。猫を抱えて万歳の形をさせたまま、こちらを見もせずに続けた。
「その男には、他にない力があるのであろう。ならば使え、陽高よ」
「おほっ。奴隷の小娘に説教されておるな、お前」
大綿が大笑いする。いつまで経っても笑い終わらないほどに。
「……大綿、お前はどう考える」
「俺が
まだ笑い足りない顔で、大綿は目尻を拭う。
「うむ……」
「ただし、決めるのは陽高、お前だ。俺はお前とは別の頭と魂として考える。そしてお前が判じた事を、命を振り絞り全ての力で支える」
アサルと大綿の考えを頭の中で、しばらく
「よし、乗せよう」
「……良いのだな」
俺は頷いた。
「わかった。では俺から話を着けておく。……ところでアサル」
「なんだ、大綿」
まだ猫の腹を撫でている。猫はだらしない形に伸び、喉を鳴らしている。
「木花に乗るのは止めて、俺の女になれ」
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