一之三 出会い

 「お前、船の頭か」


 奴隷女だ。ずっと離れていたのに、今は俺に近づき、柵を握っている。


「だったらどうした。俺が船の長だ」

「西に往くのか」


 瞳が輝いている。


「そうだ」

爪哇じゃわか。それとも天竺てんじくか」

「ずっと先、伝え聞く波斯はしだ」

「そうか……」


 今初めて見るかのように、俺の顔をまじまじと見つめた。そして口を開く。


「お前、私を買え」


 俺は権之助を見やる。奴隷の商人は、黙ってへつらった笑みを浮かべている。余計な事を言いたくはないようだ。


「どうして気が変わった」

「なんでもだ」

「気まぐれで猛々たけだけしい奴隷を、俺が船に積むと思うのか」

「気まぐれではない」


 訴えるような目をする。


「……それに猛々しくもない」


 瞳を落としてしまった。


「ふん。……いずれにしろお前は載せない。薄銅色の髪に緑色の瞳などと。緑錆ろくしょうの不吉さだ」


 権之助は顔を歪めた。女が叫ぶ。


「私のどこが不吉だ。言われた事はないぞ、故国くにでは。むしろ――」

「黙れ」


 言葉を飲み込み、悔しそうな顔で俺を睨んだ。


「……へえ、だから売れないんで。ここのところ飢饉ききんやら流行り病やらで、皆様吉凶には殊の外うるさくなっておられまして。これも土地神とちがみ様の陰り衰えのためとか」


 権之助は食い下がってきた。


「でも旦那、この度の海渡りは命懸けだとか。それも見込みなきほど。悪い運を吹き飛ばす吉祥を得たらどうです。この不吉で生意気な小娘を奴隷として、なんでも言う事をきかせぎょせば、運気も開けるってもんで」


 相変わらず適当な事を言う奴だ。


べる悦びなど、どうでもよい。お務め成就じょうじゅに欠くべからざるものであるから、女を求める。歯車として、船人として入り用なだけだ」

「いやごもっともで。無粋な口出し、失礼いたしました」


 唇を舐めてから、権之介が続けた。


「天津様、お願いしますよ。こいつを手に入れるには、それなりに高い見返りを払ったんですから。それなのに、どこに持ち込んでも不吉と断られて。いよいよどこか田舎の飯盛めしもりにでも損出して売っぱらうしかないまでに追い込まれてましてね。……どうでしょうねえ、あっしと旦那の仲だ、飯盛の相場に五両だけ足してくれれば、お渡ししますんで。ここまで裏を話したんだ、長い間尽くしたあっしの恩を、少しは考えてくれてもいいじゃないですか」

「……お前、飯は作れるのか」


 権之助を無視して、奴隷に問い掛けた。


「もちろんだ。任せろ」


 嬉しそうに、女が言い切る。


「権之助、身綺麗みぎれいにさせているんだろうな」

「へえ。そりゃ売りもんですから当たり前で。そこらの百姓女より、よっぽど体を磨かせておりやす」

「検分する」

「ご存分に……」


 奴隷商人が、丁稚でっちに柵を開けさせる。柵に入って女と相対した。小さい。俺の首くらいまでしかないだろう。幼いせいか、異国の質なのかはわからない。俺の前に立ち、精一杯胸を張って強く見せようとしている。丈の短いあい染めの襦袢じゅばんを着せられており、腿があらかた見えている。


「足先を見せろ」


 裸足の足先を、代わる代わる前に出す。


「口を開けて歯を見せろ」


 女は言われた通りにする。


「前をはだけて体を見せろ」


 刹那せつな斜め下を見たが、また顔を上げ、ひるまず睨む。そのまま黙って胸紐むねひもの結びを解き、襦袢をはだけた。紺の襦袢に白い肌が映えている。線が細く、悪くはない体だ。


 近づくと、左、右と胸を揉む。大きくはないが、形はいい。まだ硬いが、若いせいだろう。これなら船人も喜ぶはず。左右にしこりはなく、体は丈夫そうに思える。女は目をつぶったまま、じっとしている。


「足を拡げろ」


 女が肩幅より広く足を開いて立つ。俺は股に手を差し入れた。体はぴくりと動くが、黙って俺の指が動くままにさせている。


生娘きむすめか」

「……そうだ」


 下を向いたまま答える。


 俺は指の匂いを嗅いでみた。これなら病はなさそうだ。船に積む女としての求めは満たしている。


「飯盛の相場に、二両と三分銀だ」


 柵の中から言いやる。権之助は上を向いた。


「天津の旦那も厳しいなあ……。三両と一分ではどうです」

「嫌ならいらん。俺は船人を先に決めるのが流儀だ。お前も知っているはず。売れ残りの女など、今買う義理はない」


 奴隷商人の顔が歪んだ。


         ●


 権之助から城内の動きをあらかた聞き出すと、店を出た。襦袢の上にぼろを着せられた女が、おずおずとついてくる。


「いいのか、奴隷の縄を打たないで」


 後ろから声を掛けてきた。


「お前は目立つ。ここで逃げれば、恐ろしい幕引きを導くのはのがれられまい。見たところ賢そうだ、そのくらいはわかるはず。それに俺の船に乗りたいのだろう。今さら田舎の飯盛になりたがるわけもなし」

「そうか……」


 俺達は、しばらく黙って歩いていた。


 瞳の強い光が気に入った――。長い船旅では、女はゆるがせにできない。だから他が固まった後に選ぶ。それが俺のやり方だった。破ったのは初めてだ。瞳の光が気に入ったから手順を破るとは……。俺も老けた。強さをこんな小娘から得ようなどと。こんなに弱気で、この海渡りを成就まで導けるだろうか。


「お前の船には、幾人乗るんだ」


 また後ろから、奴隷が訊いてくる。


「まだわからん。お前を入れて、せいぜい十人だろう」

「そんなに小さな伝馬船てんまぶねでは、波斯はしなど無理に決まっておる」

「伝馬船ではない。廻船だが、弁財船べざいぶねよりもずっと大きいぞ」

我玲央船がれいおぶねを、その人数ひとかずで。荒れ風での帆張ほはり帆下ろしすら無理だろう」

「なんだそのがれいおぶねとかいうのは。聞いた事がないぞ」


 黙ってしまった。


「船をよく知っているな。小舟で流されていただけある」

「……そうだな」


 船を知っているのは吉兆きっちょうだ。そのような才は全くたのんでいなかったが、この奴隷、多少は役に立つかもしれない。


「お前の名を聞いていなかった」


 そう問うと、女は俺の手を取って停まらせ、前に回り込んで正面に立った。


「パリーサー・マルジャーン・ナスタラーン・アサル・サーガル・シーヴァー」


 初めて笑った。暗い柵につい先刻まで押し込められていたとは思えない、明るい笑顔だ。


「異国の名前は、よう覚えん」

「では好きに呼べ」


 俺は少し考えた。長い名だが、幾つか気に入ったところがある。中でも……。


「じゃあ、アサルだな」

「……そうか」


 瞳を覗き込んできた。


「よりにもよってお前、アサルを選んだのか……」


 下を向いてしまった。ときどき俺の顔をちらちら見ている。やがて心を決めたかのように顔を上げ、はっきりとした口ぶりで告げた。


「……これも運命さだめだ。わかった、そうしろ。私はアサルだ。――お前はアマツでいいのだな。それとも頭と呼ぶか。主様や旦那様がいいのか」

「アマツとなぜわかった」

「権之助がそう呼んでいたではないか」


 楽しそうに笑う。


「ヒダカと呼べ。俺の名は、天津陽高だ」


 女が不思議そうな顔になる。


「もののふでない卑しい身ながら帯苗たいみょうを認められているお前が、なぜわざわざ苗字を避ける」

「いずれわかる」

「そうか……。陽高、船に行くのか」

「いや、まず人に会う」

「私も行っていいのだな」

「来いアサル。お前を見せてみたい」


 歩き出した俺の後を追い、小柄なアサルは、早足でついてくる。




■注

緑錆ろくしょう 銅の錆

成就じょうじゅ 成功

飯盛めしもり 宿屋の給仕女。事実上の売春婦

丁稚でっち 下働き

襦袢じゅばん 着物用の下着

生娘きむすめ 処女

伝馬船てんまぶね 小型の作業船。現実では「てんません」と読む

弁財船べざいぶね 大型の作業帆船。現実では「べざいせん」

我玲央船がれいおぶね ガレー船(人力軍艦)に似た、大型船のことのようだ

もののふ 武士

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2024年12月2日 07:08
2024年12月3日 07:08

【ネオ時代劇×恋愛ファンタジー】天津陽高 神木船 波路道行 猫目少将 @nekodetty

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