一之三 出会い
「お前、船の頭か」
奴隷女だ。ずっと離れていたのに、今は俺に近づき、柵を握っている。
「だったらどうした。俺が船の長だ」
「西に往くのか」
瞳が輝いている。
「そうだ」
「
「ずっと先、伝え聞く
「そうか……」
今初めて見るかのように、俺の顔をまじまじと見つめた。そして口を開く。
「お前、私を買え」
俺は権之助を見やる。奴隷の商人は、黙ってへつらった笑みを浮かべている。余計な事を言いたくはないようだ。
「どうして気が変わった」
「なんでもだ」
「気まぐれで
「気まぐれではない」
訴えるような目をする。
「……それに猛々しくもない」
瞳を落としてしまった。
「ふん。……いずれにしろお前は載せない。薄銅色の髪に緑色の瞳などと。
権之助は顔を歪めた。女が叫ぶ。
「私のどこが不吉だ。言われた事はないぞ、
「黙れ」
言葉を飲み込み、悔しそうな顔で俺を睨んだ。
「……へえ、だから売れないんで。ここのところ
権之助は食い下がってきた。
「でも旦那、この度の海渡りは命懸けだとか。それも見込みなきほど。悪い運を吹き飛ばす吉祥を得たらどうです。この不吉で生意気な小娘を奴隷として、なんでも言う事をきかせ
相変わらず適当な事を言う奴だ。
「
「いやごもっともで。無粋な口出し、失礼いたしました」
唇を舐めてから、権之介が続けた。
「天津様、お願いしますよ。こいつを手に入れるには、それなりに高い見返りを払ったんですから。それなのに、どこに持ち込んでも不吉と断られて。いよいよどこか田舎の
「……お前、飯は作れるのか」
権之助を無視して、奴隷に問い掛けた。
「もちろんだ。任せろ」
嬉しそうに、女が言い切る。
「権之助、
「へえ。そりゃ売りもんですから当たり前で。そこらの百姓女より、よっぽど体を磨かせておりやす」
「検分する」
「ご存分に……」
奴隷商人が、
「足先を見せろ」
裸足の足先を、代わる代わる前に出す。
「口を開けて歯を見せろ」
女は言われた通りにする。
「前をはだけて体を見せろ」
近づくと、左、右と胸を揉む。大きくはないが、形はいい。まだ硬いが、若いせいだろう。これなら船人も喜ぶはず。左右にしこりはなく、体は丈夫そうに思える。女は目を
「足を拡げろ」
女が肩幅より広く足を開いて立つ。俺は股に手を差し入れた。体はぴくりと動くが、黙って俺の指が動くままにさせている。
「
「……そうだ」
下を向いたまま答える。
俺は指の匂いを嗅いでみた。これなら病はなさそうだ。船に積む女としての求めは満たしている。
「飯盛の相場に、二両と三分銀だ」
柵の中から言いやる。権之助は上を向いた。
「天津の旦那も厳しいなあ……。三両と一分ではどうです」
「嫌ならいらん。俺は船人を先に決めるのが流儀だ。お前も知っているはず。売れ残りの女など、今買う義理はない」
奴隷商人の顔が歪んだ。
●
権之助から城内の動きをあらかた聞き出すと、店を出た。襦袢の上にぼろを着せられた女が、おずおずとついてくる。
「いいのか、奴隷の縄を打たないで」
後ろから声を掛けてきた。
「お前は目立つ。ここで逃げれば、恐ろしい幕引きを導くのは
「そうか……」
俺達は、しばらく黙って歩いていた。
瞳の強い光が気に入った――。長い船旅では、女は
「お前の船には、幾人乗るんだ」
また後ろから、奴隷が訊いてくる。
「まだわからん。お前を入れて、せいぜい十人だろう」
「そんなに小さな
「伝馬船ではない。廻船だが、
「
「なんだそのがれいおぶねとかいうのは。聞いた事がないぞ」
黙ってしまった。
「船をよく知っているな。小舟で流されていただけある」
「……そうだな」
船を知っているのは
「お前の名を聞いていなかった」
そう問うと、女は俺の手を取って停まらせ、前に回り込んで正面に立った。
「パリーサー・マルジャーン・ナスタラーン・アサル・サーガル・シーヴァー」
初めて笑った。暗い柵につい先刻まで押し込められていたとは思えない、明るい笑顔だ。
「異国の名前は、よう覚えん」
「では好きに呼べ」
俺は少し考えた。長い名だが、幾つか気に入ったところがある。中でも……。
「じゃあ、アサルだな」
「……そうか」
瞳を覗き込んできた。
「よりにもよってお前、アサルを選んだのか……」
下を向いてしまった。ときどき俺の顔をちらちら見ている。やがて心を決めたかのように顔を上げ、はっきりとした口ぶりで告げた。
「……これも
「アマツとなぜわかった」
「権之助がそう呼んでいたではないか」
楽しそうに笑う。
「ヒダカと呼べ。俺の名は、天津陽高だ」
女が不思議そうな顔になる。
「もののふでない卑しい身ながら
「いずれわかる」
「そうか……。陽高、船に行くのか」
「いや、まず人に会う」
「私も行っていいのだな」
「来いアサル。お前を見せてみたい」
歩き出した俺の後を追い、小柄なアサルは、早足でついてくる。
■注
もののふ 武士
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【ネオ時代劇×恋愛ファンタジー】天津陽高 神木船 波路道行 猫目少将 @nekodetty
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