一之二 奴隷商人

 閉まった門を背に、少しの間、考えていた。目の前に広がる城下、その向こうの海から、優しい風が吹いてきて、顔と頭を冷やしていく。この匂いだと、明日は嫌な天象てんしょうになるだろう。


 俺を巡ってきな臭い動きがある事を、前から察してはいた。四十五年に及ぶ船人ふなびとの、そして三十八年の船頭の心得と人繋がりを頼りとして、避けるすべを探した。旅のかたわら学も積み、役人に口で負けないようにも努めてきた。


 これまでも政でいけにえにされそうになると、なんとかそれで逃れてきた。しかしこの度だけは通じなかった。安芸において木花という船がどれほど大きな値打ちを持つか説いても、ぬかに釘。


 土俵の際まで追い込まれ命が危うくなったときでも、それを持ち出し新たな仙宝せんぽう集めを申し出れば、徳俵とくだわらひとつを残してなんとか逃れられてきたものだが……。


 木花このはな建造以来三百五十年。船頭たる俺も、よわい五十三になる。すでに双方とも神通力は失せつつあるという事か。


 深く息を吐いて力を抜くと、歩き出した。


 扶桑の誰もが知らぬほど長く、しかも厄介な海渡りとなる。それなのに、旅立ちまでの縛りがきつく切られている。潮目があるからだ。俺が持つ全ての係累けいるい、力を用いて支度したくを進めねばならない。


 城から城下へと山を下っていくに従って、船頭ふながしらとしての長い心得が、方策を探るため動き始めた。黄泉路よみじを定められた辛さを、心のどこかに置き去ったまま。


 どのようなところから手を着けるべきか、ぼんやり考えながら歩き続けた。


 やはり、まず人の手当てだろう。廻船かいせんとしては、木花はかなり大きい。扶桑の船には珍しく、甲板こういたも持っている。帆も三十九反と広く、まず他に見ない。


 木花が海を進むと、瀬戸内の多くの船は波路を空け、船頭は手を合わせて自らの船の息災を祈る。木花が特に計らいを受けているわけではない。扶桑で唯ひとつ生き残っている神木船かみきぶねだからだ。


 神木船は、多くの不思議な力を持つ。大きな帆布ほぬのといえども、ひとりかふたりで軽々と操れる。そのため、わずかな船人ふなびとでも波路を進める。


 もちろん長い旅になるので、船人の損耗そんもうを考えると、多くを雇っておきたい。それだけの人数ひとかずを乗せる事はできる。天竺てんじくの商人に聞くところでは、大陸を渡り戻る船旅では、船人の半ばが死ぬと言う。戦もあるが、ほとんどは病と怪我だ。


 この度も、大洋を渡る沖乗りは避けられない。おぎないの途絶える日柄ひがらが長くなるのは逃れられまい。それどころか、さらに苛烈かれつな、長き沖渡りすら考えられる。波斯はしともなれば、地図や海路の図すらない。


 船人を多く積んでの海渡りともなれば、兵糧ひょうろうや水が縛りとなる。下手をすれば底を着き、命懸けの恐ろしいいさかいが、船で起こり得る。


 ならばこそ、人は絞っておきたい。わずかな船人で舵取りできる神木船なれば。それに貯えの件が片付いたとしても、務めの難しさを考えると、おそらく戻っては来れまい。船人は皆、死ぬ事となる。それでもついてくる剛の者を集めなければならない。追い詰められたときの仲間割れを考えると、船人を増やして気心知れない輩まで乗せるのも剣呑けんのんだ。


 この旅の縛りを全て織り込むとなると、船人を束ねる要石かなめいしとして、やはりあの男に頼まざるを得ないか……。


 俺は溜息を漏らした。


 しかし……大綿おおわたには嫁と子がいる。


天津あまつ旦那だんな


 段取りについて深くおもんばかっていると、急に声を掛けられた。脂ぎった大顔が破顔一笑している。


「なんですか、そんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔で。この権之助をお忘れで」


 寄ってきたのは、奴隷を商う男だ。大黑屋だいこくやの屋号を持っている。一見へり下ったていを取るが、その実、商いに厳しい。客のきもを狂いなく見分け、うまく立ち回って利を得ている。


 奴隷商いは相手が大立者おおたてもの大尽だいじんなので、納めた奴隷が粗相そそうをすれば、罰せられる事すらある。その筋で長い間生き残り根を生やしているのだから、それなりの玉だ。


 俺が黙っていると、大きな目がすっと狭まった。


「おやおや、今度は暗い顔ですね。……ははあ、あれですか。例の噂のお務めを、とうとう押し付けられたってわけですか」


 権之助は、奴隷や遊女のまかないや手入れを通じて、城内城下の噂には詳しい。なにしろ台所の裏から寝物語まで掴んでいるのだ。


「試しのないほど長い波路なみじになるらしいですなあ、お気の毒に」


 珍しく、素で語る顔をする。信じられるかは別だが。


「お前には関わりない事だ」


 通ろうとすると、ぐいっと腕を掴まれた。


「嫌ですよお、そんなに怒られては。あっしと旦那の仲じゃないですか。いつだって質の良い奴隷をあてがってまいった、この権之助のまことをお忘れで」

「悪いが急いでいる」


 俺の腕を放すと天を見て、少し考えた。


「かなり急かされておられるのですね、天津様。ご城主は、潮目が悪くなる前、次の五葉ごようの日までの船出をご所望だとか。ようがす。権之助にお任せあれ」


 大黑屋に導こうとする。


「女がいりましょう、長きに渡る海渡りともなれば。とっておきの奴隷をお譲りします。ささ、こちらへ……」


 あえて権之助の誘いに乗る事にした。いずれにしろ女は入り用だ。ついでに風説に聡いこの男から城中宦官じょうちゅうかんがんの肚づもりを少しでもき出せれば、半刻はんこく無駄にする値打ちはある。


 男の商いは、安芸のような国にしては手広く、大店だ。大黑屋には、奴隷を収めた柵が乱れなく配されている。店の一番奥に、権之助は俺を導いた。途中幾つもの柵があり、稚児ちごや女、さらには男までが入れられている。いずれも因果いんがを含められており、死んだような目で俺達を黙って見つめているだけだ。


 風も通らぬ奥にあるからか、湿り気が強く感じられる。明るい辻から急に暗い陰に入ったので、目がついていかない。中に誰かいるようだが隅に立っており、姿は闇に紛れている。


「へえ、こいつで」


 目が暗がりに慣れるのを待った。慣れると見えてきた。天井まで続く木の柵に囲まれていたのは、異国の女。


 これは胡人こじんだろうか。異国の民は珍しいから、奴隷として売られる事が多い。すぐさばけてしまうはずだ。俺が柵の前に立つと幾歩か進み、緑の瞳で強く睨みつけてくる。まだ若い。わらべといっていいほどの歳だろう。


 胡人を前に、俺は束の間、算段さんだんしていた。長きに渡る海渡りでは、たしかに女が欲しい。飯を作る手数てかずが入り用だし、なにより船人の相手をさせなくてはならない。何十日も青海あおみしか見えない沖渡りともなれば、他に楽しみのない大海原では、奴隷は欠くべからざるものとなる。


 しかしひるがえって、女は物騒ぶっそうでもある。餓鬼がきの頃、奉公させられた船で、それを巡っていさかいや殺し合いが起こるのを見てきた。扶桑ふそうからいくらも出ない廻船かいせんでは、争いを避けるため、女を載せない決まりも多い。


 だが俺の船は遠くまでく。女は欲しい。だから船頭になってからは、厳しく選ぶ事にしている。そのとき乗り込む船人と相性が良く、なおかつ皆に別けへだてなく接する女でなくてはならない。たとえどんな男が相手でも。嫌がるようでは、船を危うくする。第一、女の命がどうなるかわからない。誰かを焚き付け、気に入らない男を遠ざけるような心得では務まらないのだ。


 ひとりより多く載せる事は、よほどでなければしないよう決めている。狭い船で女と女がいがみ合うとどうなるか。たったそれだけで務めを損じ、しかも人死にを多く出した船も知っている。


 ふたり載せるとすれば、そのあらを織り込んでも余りある恵みがあるときのみだ。そうしたときは、俺はふたりの女を力の限り支え、護るようにしている。


 長い辺境征きの航海が終われば銭をたんまり持たせ、奴隷の身分から解放する。辺境往きは命懸け。得られる宝も特別だから、報奨も大きい。女も俺の船人だ。金は全員に公平に渡す。誰にも文句は言わせない。


「どこの国から来た」


 胡人は黙っている。


「権之助、こいつは話せないのか」

「いえ話せますよ旦那。ただ気色けしきが悪いと、ちょいと口が減るようでして……。いえいえ恥ずかしがりなんですよ、根のまっすぐないい女で」


 弱いところを突かれたようで、権之助の揉み手が激しくなる。


「本当に話せるのだろうな」


 口のけない女では、船人を癒す事が難しい。なにより意を伝えるのに困る。束の間の見立てが生き死にを分ける船の上に、そのような落とし穴を背負い込む事は避けたい。


「へ、へえ、確かで……。ほらお前、なにか話してさしあげろ、また飯を抜かれたいか」

「お前どもにへつらことわりなどない」


 初めて口を開いた。並外れた色白で、薄銅色の髪が長く垂れている。


「旦那に向かって、なんて口を利くんだこのアマ。お前を買って下さる得難い方だぞ」

「お前に買われる気もない。帰れ」


 俺を睨む。どうやら型通りの奴隷ではなさそうだ。暗い柵に閉じ込められさんざん脅されるうちに、どんな女も御しやすく仕立て上げられていくものなのに。


「どこで仕入れた」

「へえ。安芸の漁師が土佐を抜けた折、小舟で潮を流されていたこいつを拾って、あっしに持ち込んだ次第でして」

「異国の女が、なぜ話せる。お前が教えたのか」

「いえあっしも不思議なんですが、最初から話せてまして。……いくら脅しても訳を言いやがらないんでこのアマ。おそらくどこぞで奴隷にされていて、主を殺して逃げたのでしょうな。……いえいえ、今はもう人を殺すなどできもしないほど大人しい奴で」


 口を滑らした権之助が汗をかいている。女は、俺と権之助を睨み続けている。


「ふん……。これがまっすぐないい女なのか。お前が言うように」

「へ、へへえ、こりゃまいった……」


 話が流れそうだと悟り、権之助は、困ったような怒ったような色を瞳に浮かべた。


「こいつは駄目だ。これまで扶桑の誰も行った試しのない、西への長い波路なみじになる。その船にこんな奴を乗せたら、和を乱すだけだろう」

「お前、船の頭か」


 胡人の女だ。ずっと離れていたのに、今は俺に近づき、柵を握っている。


「だったらどうした。俺が船の長だ」

「西に往くのか」


 瞳が輝いている。


「そうだ」

爪哇じゃわか。それとも天竺てんじくか」

「ずっと先、伝え聞く波斯はしだ」

「そうか……」


 今初めて見るかのように、俺の顔をまじまじと見つめた。そして口を開く。


「お前、私を買え」




■注

天象てんしょう 天気のこと

徳俵とくだわら 相撲の土俵際に設けられた「ぎりぎりの場所」

係累けいるい 仲間・家族の意

甲板こういた 船の甲板かんぱん。和船では無いことが多い

兵糧ひょうろう 食料

剣呑けんのん 危険・不安感

要石かなめいし 建造物の下に置いて基礎とする、最重要の石

大立者おおたてもの 実力者

大尽だいじん 富豪

粗相そそう 失敗

半刻はんこく 約1時間(江戸時代は不定時法なので、季節によって長さが異なる。具体的には日の出と日の入り前後を区切りに昼夜各6等分し「一刻」とする)

稚児ちご 子供

因果いんが ここでは「運命だと言い含める」意

胡人こじん 中国北西の異人。シルクロードの民であって民族的には漢民族ではない

気色けしき 機嫌

へつらう おもねる/こびる

爪哇じゃわ 現在のインドネシア

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