第一章 胡人奴隷

一之一 死罪

 その日、俺は死んだ。


 城門が背後で閉ざされる重く苦しい音を、俺は呆けたように聞いていた。今はまだ息をし、歩く事ができる。ただ六つの面全て「黄泉路よみじ」と白く刻み込まれた漆黒のさいを渡されただけだ。一つの面には「謀事はかりごと」、異なる面には「海難かいなん」あるいは「討死うちじに」「附子ぶす」などと、不吉な文字が記された賽を。


 俺にその運命さだめを背負わせたのは、城付き宦官かんがん達の中でも無情の恐怖支配で「木村城の三宦官」と恐らるる男どもだ。


 庭に引き出され左右を固められた俺を、畳座たたみざから三人が見ていた。


 いちばん年嵩としかさの食わせ者、沙衛さえいが、罪科つみとがを流れるように読み上げる。天津陽高あまつひだか、この者、暹羅しゃむより持ち帰りし財物宝玉を隠し置きたる事、不届き至極しごく――。言うまでもなく、宦官どもが用意周到にあつらえた濡れ衣だ。城主の花押かおうされた沙汰書さたがきを、沙衛が拡げ見せてきた。


 死罪――。そう記されている。


 今最も権勢を欲しいままにしている景監けいかんが、続いて俺のいさおしを淡々と口にした。曰く「蛮族ばんぞくの財物を交易こうえき」「五穀豊穣ごこくほうじょう仙宝せんぽう収集」「富国ふこくに貢献する博物はくぶつ調達」。


とがだけ見れば死罪がことわり。なれど長き働きも考え合わせ、罪をなかった事にしても良いと、ご城主はお考えじゃ。ただし神木船かみきぶねの力を生かして、ひとつ働いてもらわねばならんがのう」


 畳座の上から俺の目を見下して、景監は、ほっほっと笑った。


「天津よ、御心みこころ優しきご城主にしゃするがよいぞ」


 景監に逆らえば、釜茹で、八つ裂き、さらには仙術を用いた最も酷い責め苦までもが待っている。城下の万民が知るところだ。


此度こたび上洛じょうらくにて、宗徳むねのり様は、富国ふこくへのお望みを強くお持ちになった」


 まだ宦官になって間もない昌光あきみつが、幼さの残った顔で俺に告げる。この幼さにだまされてめられる強者つわものが多い。


「その方も知っての通り、延徳えんとくの戦乱で扶桑ふそうは乱れに乱れた。その折、安芸あき、そして扶桑から神木かみきが失われて早三百五十年。神木と土地神は密に関わっておる」

「まさにのう……。それで」


 景監が、顔を寄せてきた。


「神木が失われ、土地神は次第に衰えた。土地神が衰えれば、神木のよみがえりはますます難しい。残された神木の根からは幾度も芽が出るが、大きな樹に育たず、若木のまま枯れてしまう。扶桑津々浦々でそうだ。しかし仙宝せんぽうを用い、秘して神木蘇りの術を進めている国があるとの噂。安芸において、なんとしても神木蘇りを図らねば、次の世が危うい」

「そこで……ひとつ話がある」


 声を潜め、沙衛は、思いもよらぬ命を投げてきた。


波斯はしへ行ってもらいたい。ぺるしあじゃ」

「波斯へ……」

「いかにも、波斯じゃ」


 沙衛は、俺のきもの動き方を、瞳から探り出そうとしているかのようだ。


 知る限り、扶桑一万二千年の縁起えんぎで、波斯まで行き、戻ってきた人間はいない。波斯は遥か彼方の強国であり、京と奈良に幾つかの文物が納められているだけだ。波斯の仙宝を求め、俺も真臘くめいる天竺てんじくの商人とまみえた事はある。その折もあまりに稀過ぎて、掛け合いにすらならなかった。


「波斯は、遙か遠くにございます」


 俺の返答に、沙衛は目を細めた。


「知っておる。だからこそ、木花このはなの力が必要なのだ。わずかな船人ふなびとで操れ、足が速く、しかも神の加護を受けておる木花がな。……わかりおろう、他の廻船かいせんでは望み薄どころの話ではないわ。しかも宗徳様はお急ぎじゃ」


「見ろ、天津よ」


 景監が天を指指す。見ると、ひとふたりほどもあるひしの形の平たい大魚が二尾、ひらひらと胡桃色くるみいろの表と白花色しらはないろの裏を交互に見せつつ、遙かに高い空を、風に乗って流されてゆく。


「おひょうだ。もう空を飛んでおる。その方もよく知っておろう。おひょうは潮目変わりを告げる魚。今年、西の辺境を目指すなら、もはやあまり時が残されておらん」

「断ればどうなるか、わかっておろうな」


 景監が微笑む。


「なに、ちょっと行って戻ってくるだけだ。お前には五年を与える。……例のものをここへ」


 仙宝の調べ処が、うやうやしく蒔絵まきえの小箱を持ち込む。蓋を開くと、真紅の天鵞絨びろうど引きに翡翠ひすいの飾り物が輝いている。勾玉まがたまだ。緑深く蒼褪あおざめた、濁り花緑青はなろくしょう色の。銀の細密さいみつ飾りが勾玉を覆っており、細やかな銀の鎖が取り付けられている。


 俺の首に巻くと、調べ処は真言しんごんを唱えながら鎖の金具を締め留めてゆく。詠唱えいしょうに応じて鎖は熱を放ち、火傷しそうなくらいだ。顔を歪める俺を、こくな笑みを浮かべ、昌光が楽しそうに眺めている。


「終わったようじゃな」


 調べ処が離れると、財物を見定めるかのように、沙衛が目を細めた。


「首飾りは、もちろん仙宝よ。外せるのは儂らだけ。その方がどこにいようと、いつでもこちらから砕き壊せる。勾玉が割れれば、首が落ちる。まあ死ぬであろうのう、現身うつしみであれば」


 くっくっと含み笑いする。


「せいぜい早く戻ってくる事だ、天津陽高殿」


 景監は、からかうような口調だ。


「恐れながら景監様」

「なんじゃ、天津よ」

「いかな神木船と言えども、波斯への往き帰りともなれば、恐らく途上で海の藻屑もくずと消えるかと」

「だからどうした。それを成就させるのが、船長ふなおさ船頭ふながしらたるその方の務めであろう」

「この天津は、もちろんそのように努めます。ただ此度こたびのお務めには、優れた船人が多く入り用かと。しかしこれが有り様では、天津めが声を掛けましても、集まる船人は、まずおらぬかと存じます」


 頭を深く下げる。


「ふん」


 扇子せんすをぱたぱた言わせ、沙衛が左右の宦官を見やった。


「たしかに船頭ひとりで動かせるはずもなし。力ある船人が求めは、申す通りじゃ」


 三人の宦官は、額を寄せ、すずりを前に、しばらく密かに談じ合っていた。


「では決めたぞ」


 昌光が一歩前に進み、白石番を通じて巻紙を渡す。


「読んでみやれ」


 巻紙を大きく開く。白砂に広がり落ちた巻紙には、報奨ほうしょうが多く書き連ねてあった。曰く、金子きんす千両、木村城への召し抱えと俸禄ほうろく苗字帯刀みょうじたいとう、秘蔵の仙宝三種伝授……。十両盗めば首が飛ぶ今の世に、なかなか豪気ごうき報労ほうろうだ。


「これは、船人ひとりひとりへのむくいでありましょうか」

「そうよ」


 昌光が冷たい目で言い放つ。


「いずれも宗徳様の温かい御心。無事お務めを果たし、安芸竹原あきたけはらまで戻ってきた船人、全てに与えよう。他に支度金したくきんとして、皆百両だ。天津よ、船頭として、その方には特段の褒美ほうびを遣わす」


 俺は頭を下げたままで聞く。


「金子もう五百両と、その首の飾りよ」

「外していただけるのでしょうな」

「そう申しておるではないか」


 苛立いらだったように、昌光が声を荒げる。


「ではその旨、ご一筆を。また船人への褒美は、手形にしたためご城主の花押かおうをご下印かいんいただきたい。……まずは五枚」


 俺が顔を上げると、沙衛が楽しそうに顔を歪めている。


「それよそれ。そのくらいの差配さはいができぬようでは、此度の務めはこなせまい。万事心得た。旅立ちの支度金は千両。この証文を用いて払うがよい。道中の入り用、金二十貫目と銀三十貫目、そして宝玉などは、船出の日に木花の船頭の間に運んでおく。……あそこは仙術で守られているのだったよなあ、天津よ」

「波斯でなにをすればよろしいのですか、沙衛様」


 皺だらけの顔から、鋭い瞳が覗いた。


「そこよ……。実は――」




■注:

附子ぶす トリカブト原料の毒薬。転じて毒殺の意

宦官かんがん 去勢きょせいされた役人

暹羅しゃむ 現在のタイ

花押かおう 一種のサイン。印章と同じ効力を持つ

仙宝せんぽう この世界で貴重な、マジックアイテム

神木船かみきぶね 神木で造られた船。神が宿っている

上洛じょうらく 京都に上り、天皇と謁見すること

宗徳むねのり 小早川宗徳こばやかわむねのり。安芸木村城の城主

延徳えんとく 室町(戦国)、後土御門天皇時代の年号。1489年から3年間

扶桑ふそう 古語で日本の意

縁起えんぎ 物事の由来。ここでは歴史の意

破斯はし 江戸時代にはハルシャとも読んだ。ペルシャ。現在のイラン

真臘くめいる 現在のカンボジア

天竺てんじく 現在のインド

掛け合い 交渉

おひょう この世界で幾種かいる、空を飛ぶ魚のひとつ

蒔絵まきえ うるしを用いた描画絵

天鵞絨びろうど引き 起毛布を箱内部に貼って宝物の傷を防いでいる

勾玉まがたま 呪力が秘められた呪物の一種

真言しんごん 秘密の呪文

木花このはな 日本に唯一残された神木船

貫目かんめ 日本の重量単位。江戸時代の一貫は三・七五キログラム程度。つまり金二十貫目は金七五キロ。銀三十貫目が銀一一二・五キロ

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