第六章〈オルレアンへの道〉編

22話 オルレアンの町(1)

 ジャンヌは聖カトリーヌ・ド・フィエルボワ教会からブロワに移動して、合流する援軍をじりじりしながら待っていた。

 本心では「神がついているのだから兵力が足りなくても必ず勝利する」と信じていたが、フランス軍の指揮官たちは口を揃えて「援軍を待つように」と勧めた。


「あたしを疑っているのですか!」

「そうではない。だが、より慎重に、より賢明な選択をすべきだ!」


 ジャンヌはしぶしぶ同意し、別の機会に認めてもらえるようにと神に祈った。


 オリヴィエとジャンヌがシノン近郊で出会ってからブロワに来るまでにかなりの時間が経過していた。その間に何度も評議会がひらかれ、物資の調達と準備に費やされた。


 オリヴィエが母に送った使者は、カルナック城で伯爵夫人に会って手紙を渡し、ブロワにいるオリヴィエのもとへ戻ってきた。


 伯爵夫人も婚約者のアリスも毎日オリヴィエのことを考えていたので、使者がカルナック城に到着すると、まるで王の大使を迎えるような丁重な扱いを受けた。


 伯爵夫人とアリスは、ジャンヌの使命を記した手紙を読んでたいそう感激した。オリヴィエをこの奇跡的な遠征に関わらせてくれた神に感謝し、使者を質問攻めにした。


 純粋な乙女で、貞淑な婚約者でもあるアリスは、模範的なキリスト教徒らしく、「神の奇跡を体現する崇高な羊飼いジャンヌ」に何かしてあげたいと思った。信心深いアリスは、自分が善行を積めば、神はさらに強くオリヴィエを守ってくれると期待したのである。


 使者に「数日待つように」と頼むと、アリスは昼夜を問わず、白い絹地に金の花飾りを散りばめた美しい軍旗を作り始めた。

 旗の中央には世界を手にした神、その左右にはひざまずいて祈る二人の天使が描かれ、聖像が描かれていない裏面には、金色の文字で「ジーザス、マリア」という二つの言葉を刺繍した。


 旗が完成すると、アリスは手紙を添えて使者に託した。

 手紙には「ジャンヌにこの旗を受け取ってほしい」という思いがしたためられ、オリヴィエを介して「自分は神の使命を受けるに値しないが、ジャンヌの信念に共感して成功を祈っている同年代の少女がいることを伝えてほしい」と頼んだ。


 使者は、アリスの手紙と旗とともに、伯爵夫人の手紙を運んできた。

 オリヴィエはアリスの手紙を読んで嬉しくなり、次に母の手紙を読んで驚いた。


「トリスタンにご用心」


 多くは語らず、短い警句だけが記されていた。


 オリヴィエが詳細を尋ねると、使者は自分が見聞きした顛末を話した。

 伯爵夫人とトリスタンの間で起きた出来事は、使者がカルナック城に滞在している最中のことだった。


 二人が面会した後、伯爵夫人はトリスタンを城から追い出すように命じ、それは大変な騒ぎの末に実現したこと。その後、使者は二・三日後にカルナック城を出発したが、その間にトリスタンの消息について一度も聞かなかったと報告し、とても困惑していると語った。


 なお、アリスは軍旗を作る作業に没頭して、ずっと自室に引きこもっていたのでこの騒動のいきさつを知らなかった。乱闘する音を聞いてその原因を尋ねると、伯爵夫人は姪を心配させないように「弓兵たちが他愛ないことで喧嘩をしただけ。もう二度と起こらない」と嘘をついた。


 純粋なアリスは疑うことなく、伯爵夫人の説明で納得した。


「トリスタンにご用心、か」


 オリヴィエはトリスタン失踪の原因をまだ知らなかったが、母の短い手紙から、持つべき疑惑と逃げるべき危険性を感じ取った。


「トリスタンは城にもう一度戻らなかったのか?」


 オリヴィエは母の手紙を読み返して、書かれていない真意を探ろうとした。


「母上とアリスは無事なのか?」


「跳ね橋が上げられ、落とし格子が下ろされ、弓兵が塔で見張っていました。トリスタンが現れた日の夜、衛兵が夜陰にまぎれて城のまわりをうろつく男を射止めたそうです」


「それでいい。ここから先は僕がやろう」


 当主不在のカルナック城で、対処できることは限られる。

 オリヴィエは使者を連れてジャンヌに会いに行き、これまでのいきさつを話した。


「僕には相思相愛の婚約者がいる。オルレアンを解放して、陛下をランスで戴冠させたとき、もしまだ生き延びていたら、僕は婚約者のもとに戻って彼女の夫となるつもりだ」


 オリヴィエはアリスが作った白い軍旗を見せた。


「僕はジャンヌの崇高な使命を手紙に書いて婚約者に伝えたんだ。するとアリスは、神とジャンヌのために軍旗を作って送ってくれた。この贈り物が、僕たちの貞節な愛に幸運をもたらすと信じているんだ」


 信心深いオリヴィエは、すでにジャンヌを聖人と見なしていた。

 ジャンヌの足元にひざまずいて旗を捧げた。


「ぜひこの旗を受け取ってほしい。僕からジャンヌへの献身はさらに深まるだろう」


「ご親切にありがとうございます」


 ジャンヌは、オリヴィエとアリスの真心に感激して礼を言った。


「あたしは心から喜んで受け取ります。これからあたしたちはこの旗のもとで一緒に戦い、オリヴィエ様も勇敢に戦うことになりますね! ……だけど、教えて。今日届いた知らせは朗報だけだった?」


 しばらく沈黙したのち、オリヴィエは首を横に振った。


「それどころか、喜びの中につらい知らせが混じっていた」

「オリヴィエ様を欺く友人、あなたから離れた孤独な心、あなたを裏切る最愛の手……」

「その通りだ。どうして分かるんだ?」


 王と対面して以来、ジャンヌの力はますます研ぎ澄まされているようだった。

 しかし、ジャンヌはしばしば困惑する様子を見せることもあった。


「神は、あたしが人の心を読んで、愛する者を守ることを許してくださるでしょうか……」


「教えてくれ、僕はどうすればいい! 何を恐れるべきなのか、何を信頼すべきなのかを!」


「大丈夫、自信を持って! 神がそばにいる以上、決して絶望してはならないのだから。 ……そうだ。旗のお礼にあたしからもプレゼントを贈らせてください。あたしは貧乏だけど、もしかしたらお金持ちのプレゼントよりも役に立つかもしれませんよ」


 ジャンヌは、故郷の司祭が祝福した「二枚のメダイ」を差し出した。


「一枚は婚約者に送って、もう一枚はオリヴィエ様が持っていて。そして、互いを信頼するように二枚のメダイを信頼してください。神の名において、あなたたちが幸福のうちに再会すること、そしてこの戦いに勝利して城に戻ることを約束します」


 ジャンヌの心遣いに、オリヴィエは涙ぐみながら少女の手にキスをした。

 受け取ったばかりの二枚のメダイのうち一枚を使者に渡して、こう命じた。


「すぐにカルナック城に戻り、今聞いた話を母上とアリスにすべて伝えてくれ」


 使者が去り、ジャンヌとオリヴィエは二人きりになった。

 ジャンヌはしばらく考えてから、突然「あたしたちは同じ敵を見ている」とオリヴィエに告げた。


「あの人はあたしを傷つけようとしている。あたしは一体何をしたの?」

「母から『用心しなさい』と警告されている」

「あたしたちが初めて出会ったとき、一緒にいた若い男性ね」

「そうだ」

「初めて彼を見たとき、あたしはたじろぎました」

「トリスタンはそんなに危険なのか?」


 オリヴィエはいまだにトリスタンがそれほどまでに危険人物とは信じられなかったが、ジャンヌは「はい」とうなずいた。


「彼は具現化した『疑い』。これは人間の最大の敵だけど、神はもっと強い。……でも、彼は多くの災いをもたらす」


「しかし、ジャンヌはさっき『彼を恐れなくていい』と言った」

「あなたたちは大丈夫。でも、あたしは違う」

「トリスタンはジャンヌに何をしようとしているんだ?」

「わからない。あたしが知っているのは、彼があたしを傷つけるということだけ。でもそんなことはどうでもいい」


 ジャンヌは、心が浄化されるような無垢な微笑みを浮かべた。


「あたしは、神があたしに送るすべての苦痛を、喜びをもって受け止めます。だって、神の御子は人間のために十字架にかけられて苦しんだのですから。殉教者の使命よりも崇高な使命があるでしょうか」


 その発言に、信心深いオリヴィエはある予感を感じ、「ジャンヌ、あなたはまさか」と言いかけたが。


「オルレアンの人々を助け、フランス王国の幸福を願うならば、あたしたちは神に従わなければならない。そのことだけは忘れないように」


 ジャンヌは、彼女の強さでもある優しい自信をもってオリヴィエに微笑んだ。

 その時、ジャンヌの司祭であるパスクレルが入ってきた。


「司祭さま、これは高貴な身分の若いお嬢さんがあたしに贈ってくれた旗です」


 ジャンヌはアリスが作った旗を見せた。


「この旗は神聖な手に持っていてほしいから司祭さまに託します。軍隊の行進や祝祭の行列、そしてオルレアンへ向かう道中でこれを掲げてください。……あたしの誤解でなければ、サン=セヴェール元帥とゴークール卿、それからあたしたちが待っているその他大勢の騎士を連れた援軍が、今この瞬間、ブロワに到着しているはず」


 そして、ジャンヌは自分の言ったことを証明するために、窓際に行くと、自分のいる建物に向かってくる一団を「ほらね」と指差した。







【追記】


本作を電子書籍/ペーパーバック化するにあたり、規約の都合上、非公開にしました。見本代わりに、本編冒頭〜主人公が登場するまで、各章1話目と登場人物紹介を残しています。

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