第二話 記憶を探す旅路

「ユア、出かけよう。君の記憶を取り戻すために」


 上っ面だけでも取り繕いたくて、俺はそんな言葉を少年へと投げかけた。

 彼はゆっくりと首をかしげ、ふわふわの髪を揺らしてから。

 悟ったように微笑む。


「ぼくの家族でも、見つかったの?」


 ……思えば、このとき彼は、俺以上に全てを見透かしていたのだと思う。

 記憶喪失のまま、余計なものがなにもなかったからこそ、真実をその手にしていたのだろう。

 どこまでも無自覚に、残酷なまでに赤裸々に。


「じゃあ、行こうよ」


 ユアの言葉に従う形で。

 そして俺たちは、町の中心へと向かった。

 途中で、ロストルの屋台へと立ち寄る。

 あの日食べ損ねたフィッシュアンドチップスを、ユアが食べたかったからだ。

 蜥蜴頭とかげあたまの店主は「レイジの旦那、今日もお日柄がよく。それからかわいい坊ちゃん、また来てくださいやしたね!」と気のいい返事をして、ポテトを少しばかり多く盛り付けてくれた。


「銅貨十三枚でさ。ところで速報があるんですがね?」

「ほんと、抜け目ないよな、おまえさん」


 先に金貨を取り出して、店主に握らせると、彼はちろりと舌を出し。


「まいどあり。こいつはやっぱり風の噂なんですがねぇ……騎士の使徒が、転換炉塔を狙ってるって話でして」


 転換炉塔を?


「ええ、なんでも生贄を捧げれば祝福が得られるとか、宗教みたいな話で」

「…………」


 フィッシュアンドチップスを受け取りながら、あごに手を当てる。

 転換炉塔は、この国のいしずえでありくびきだ。

 中核そのものに根ざしている。

 だから生贄――そこに力を加えれば、影響は国中におよぶかも知れない。


「エウセスカ、最悪の可能性を考えておいてくれ」

「いいだろう。貴様の心臓に杭を打てる日が来るとは、なかなかに今日は吉日だ」


 そういうことではないのだが、意気軒昂いきけんこうしているならそれでいい。

 俺はチップを店主に投げ。

 それから、少年へと揚げ魚チップスを差し出した。


 彼は魚を受け取ると、うかがいを立てるように俺たちを見詰めてきた。

 頷いてやると、早速白い歯を衣へと立てる。

 さくりと音がして、少年に笑顔の花が咲いた。


「美味しい! ぼく、これ好き!」

「よかった」

「レイジ、全部が終わったら、またこれ食べにこようね!」

「ああ。何度だって食べさせてやるさ」


 ゆびきりをしながら、俺たちは歩を進める。

 あまりにささやかな、日常の中で消え入ってしまいそうな約束を交わして。

 進む。


 辿り着いたのは、町の中心部。

 伽藍堂がらんどうにして大奈落。

 ただ一言〝穴〟と呼ばれるそこに、何人もの人々が集っていた。


 一般人とトランスの区別もなく、彼らは黒一色の服装に身を固め、あるものは涙し、ある者は酒へと口をつけ、あるものは籠から花びらをまきながら、〝穴〟へと布で包まれた大きな物体を投げ捨てていた。


「あれって……」

「ああ、遺体だ」


 ノーフェイスによって切り刻まれた被害者達の遺体が、先日遺族達へと返還された。

 そして、今日は合同葬儀だったと聞く。


「ぼくのせいで……」

「違う」


 そう、違う。

 ユアは狙われただけで、トランスを暴走させただけで、自ら手を汚したわけではない。

 まだ、充分引き返せる。

 俺やエウセスカとは違う。


 そんな思いで、彼の頭を撫でる。

 少年は猫のように目を細めた。


「この国では、遺体を〝穴〟へとかえすことでとむらいとする」

「他の国では違うの? 他の国って、どこ?」

「霧と雲の向こう側だ。海の果てには、他の国がある」

「そこでは、空の色は絵本とおなじ?」

「……ああ。青空が広がってる」

「そっか……いつか行ってみたいね、レイジ?」


 無垢な笑顔だった。

 人が死んだことを、そこにある罪の意識を乗り越えて浮かべる笑顔。

 心の底から、蒼い空がみたいと願っている彼を見て。

 俺は。

 俺という存在は――


「泣きそうな顔をするな、レイジ。笑え」


 吸血鬼が、俺の背中を叩いた。

 泣きそうだった?

 俺が?


「どれだけ私が貴様と同じ時を過ごしたと思う。いまにも心がへしゃげそうな表情をしていたぞ」

「エウセスカ」

「二度も言わせるな、笑え。幼子を不安にさせるな。……安心しろ、貴様が道を間違えたなら――そのときは私が、必ず殺してやる。二言にごんは、ない」


 ……嗚呼。

 安心したよ、相棒。

 おまえがそう言ってくれるなら、大丈夫だ。


「すまない、ユア。ちょっとセンチメンタルになっていたんだ」

「いいよ。ぼくだって、ずっとレイジたちに迷惑かけてるもん」

「……〝穴〟へ還された遺体は――遺体だけじゃない、この街で出る全ての廃棄物は――〝穴〟の底で、転換炉塔がエネルギーへと変換し、この街を再び巡っていく。死者は、生きるものたちを支える糧となる。だから――ここにあるのは、きっと祈りなんだ」

「なら。ぼくも祈るよ。祈りたい気分なんだ」


 いったい、なにを?


「レイジとエウセスカが。ぼくのたいせつなひとたちが、いつまでも笑顔でいられますように。青空が見れますように。また、フィッシュアンドチップスを食べられますように――」


 少年は、長い睫毛まつげをフルリと揺らして、まぶたを閉じた。

 手を組み、祈りを捧げる。

 エウセスカが、無言でこれにならった。

 らしくない行動だったけれど、俺も気がつけば同じことをしていた。


 願わくば――御伽噺おとぎばなしの通り、〝天使〟が人を救うものならば――どうか、いましばらく人間に猶予ゆうよを与えて欲しい。

 この時間を、彼らから奪わないでやって欲しいと。


 けれど、天使が全能の存在ではないことを、俺は知っている。

 世界がどこまでも残酷で、理不尽であることを。


 ゆえに――次の刹那、甲高い悲鳴が響くのだった。


 喪服の人々が、塔を指差して絶叫し、逃げ出していく。

 〝穴〟の上を這う無数のパイプの上に、燕尾服の巨漢が立っていたからだ。


「決着をつけましょう、レイジ・オブ・ペイルライダー。このボクが――そのガキに、心底の絶望を与えて差し上げます……!」


 暗殺者、ノーフェイスが。

 俺たちへと、狂気的な笑みを向け、襲いかかってきた。

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