第四話 笑え、勝者であるために
「愚かな子どもの、昔話だ」
エウセスカの表情は、苦悶に歪んでいた。
それは、
「幼き日、
黒い口唇が紡ぐのは、彼の秘された半生。
この街の誰もが知らない、忘れてしまった悲劇。
「
相棒の瞳が、血の通った赤い目が、俺を見る。
そこには、複雑な感情が、愛憎が、
「
哀歌のごとき絶叫。
放出される美しき吸血鬼のトランスが、ユアのそれと衝突し
彼は自らの身体に爪を立て、引き裂いた。
あふれ出した血液はすぐに傷を癒やし、強制的な不死を与える。
そうだ、クリュゥード・メ・エウセスカに死はない。
こいつは、死ぬことすらも許されなかった。
「なんども自死を試みた。恥の概念があったからだ。だが、この男は目の前で人が死ぬことを嫌った。ゆえに
長い独白のあと、問いかけは少年へと向けられる。
うずくまったままの子どもは、しばらく時が止まったように動くことはなく。
やがて、震える手を、地面へと突き立てた。
その小さな指が、強く土を握りしめる。
「ぼくは……変わりたい……弱い自分から……強い自分に……」
「ならば笑え!」
吸血鬼の長い足が、少年の腹にめり込む。
ユアが胃の中身を吐き出し、のたうち回る。
緩慢な追撃の中で、エウセスカは続ける。
「泣くな。ひとは弱い者をみると泣かせたくなる。泣いている人間をみると、癇にさわる。殴りたくなる。痛みに見苦しく泣き叫べば、殺したくなる」
「りふじん、だね……」
「そうだ。その理不尽が人間の全てだ。この街の縮図だ。だから笑え。貴様が泣けば――レイジは悲しむのだ。私たちが大切に思ったのは、そんな、度し難い男なのだ!」
俺は、エウセスカの言葉を遮らない。
少年の
生まれついてのトランスである俺と、人からトランスに変わってしまった彼らでは、なにもかもが違うのだから。
口を挟んでは、ならないのだから。
事実、どれほど殴られ、蹴り飛ばされ、傷だらけの泥だらけになっても、少年は相棒の言葉を聞き続けていた。
「笑え。笑っているものを殴れるほど、人間は強くない。嫌な気持ちになって、だんだんと馬鹿らしくなる」
なによりも。
「最後に勝つ者は、最初から笑っていると決まっている」
「勝つ」
「そうだ。ユア、なによりも大事なことだ。負けて構わないなどというのは、弱者の
負け戦など、やってはならないのだと、吸血鬼は騙る。
そうして、自らも
……ああ、そうだな、エウセスカ。
泣いているやつが勝てる勝負なんてない。
負ければ全てを失うのが、この世界の道理なのだから。
涙がこぼれないように、天を仰ぐしかないのだ。
――そこに、青空が見えなくとも。
「だから、笑え。私たちのように。下らぬコトを口にして、阿呆のように笑うのだ。自らの〝
「――――」
目を見開く少年。
躊躇なく、相棒は蹴りを入れる。
吹き飛んでいく
うずくまり、這いつくばってもだえる少年は。
けれどやがて、棒きれへと手を伸ばし、それを掴んで、杖のようにして立ち上がる。
「……ぼく、自分のことを
彼は棒を持ち上げる。
ブルブルと震える足で地面を踏みしめ。
エウセスカへと、切っ先を向けて見せた。
「でも、違うかも。だって……痛いって、愛してもらえるって、こんなにも嬉しいものなんだものね? それって、ちょっぴり
不器用に笑う。
少年がおぼつかない様子で口にしたのは、お世辞にも上手いとはいえない冗談だった。
冗句にもなっていない戯れ言だった。
引きつった口の端。
目元ににじむ涙。
頬を汚す
なにもかもが混ざって凄惨な顔つきで。
それでも少年は、笑ってみせた。
周囲の異変は、とっくに収まっていた。
彼は、トランスの暴走を乗り越えたのだ――
「わっ――え、エウセスカ……?」
「見事だ。私は貴様を、同胞として認めよう」
ユアへと歩み寄った相棒が、その大きな手で、彼の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
くすぐったそうに目を細める少年の顔には、
俺は。
「……エウセスカ、これは借りにしておく」
「ふざけるな。貴様の罪悪感は、貴様だけのものだ。私は偽善を押しつけたに過ぎん」
本当にくだらないことを口にして、彼らの元へと合流したのだった。
そうして、ひとつの試練を乗り越え。
町へと戻った俺たちを待っていたのは――
「ピューピィくんの
ジルヴァ・ヴァン・メテオール公爵令嬢の、厳しい声音だった。
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