第四話 笑え、勝者であるために

「愚かな子どもの、昔話だ」


 エウセスカの表情は、苦悶に歪んでいた。

 それは、天賦てんぷの才を保つ彫刻家が、一生を賭して彫り上げたような、無機質な美と、人間としての生々しい葛藤が同居する、あやしくも幽愁ゆうしゅうを感じさせる相貌そうぼうだった。


「幼き日、それはかつて人間だった。だが、四騎士によって改造され、トランスへと成り果てた。それは殺した。多くの者を拒絶し殺した。殺し尽くし、呪いと怨嗟に支配されていた」


 黒い口唇が紡ぐのは、彼の秘された半生。

 この街の誰もが知らない、忘れてしまった悲劇。


自暴自棄じぼうじきだったのだ。私をれば、誰もが石を投げる。怯え、悲鳴を上げ、いやしい吸血鬼だとののしる。トランスという素性を隠しても、クリュゥード族というだけで、あさった残飯を蹴り飛ばされ、踏みにじられもした。それは、世界が恐ろしかった。恐ろしく、恐ろしくて、ならば恐ろしいものなど、全て壊してしまえばいいと考えた。だが……それをよしとしない男がいた」


 相棒の瞳が、血の通った赤い目が、俺を見る。

 そこには、複雑な感情が、愛憎が、憐憫れんびんが、怯懦きょうだが、おそれが、憎しみが、なにもかもが渦巻いていた。


それは百年の時を生きたが、孤独ではなかった。それを養い、慈しんでくれた男が、ひとりだけいたからだ。彼だけが、それを一己の人格を持つものとして扱ったからだ。それには我慢ならなかった、彼の期待を裏切ることが。レイジという男に、いつまでも幼子のように守られている日々が……!」


 哀歌のごとき絶叫。

 放出される美しき吸血鬼のトランスが、ユアのそれと衝突し拮抗きっこうする。


 彼は自らの身体に爪を立て、引き裂いた。

 あふれ出した血液はすぐに傷を癒やし、強制的な不死を与える。

 そうだ、クリュゥード・メ・エウセスカに死はない。

 こいつは、死ぬことすらも許されなかった。


「なんども自死を試みた。恥の概念があったからだ。だが、この男は目の前で人が死ぬことを嫌った。ゆえにそれは、強くなることを決めた。それ以上に永い時を生き、完全に死から見放された男へ、恩を返すために。ユア。記憶を失った憐れな幼子よ。貴様は、レイジに守られるだけでよしとするのか? それが、貴様の本当の望みなのか……?」


 長い独白のあと、問いかけは少年へと向けられる。

 うずくまったままの子どもは、しばらく時が止まったように動くことはなく。

 やがて、震える手を、地面へと突き立てた。

 その小さな指が、強く土を握りしめる。


「ぼくは……変わりたい……弱い自分から……強い自分に……」

「ならば笑え!」


 吸血鬼の長い足が、少年の腹にめり込む。

 ユアが胃の中身を吐き出し、のたうち回る。

 緩慢な追撃の中で、エウセスカは続ける。


「泣くな。ひとは弱い者をみると泣かせたくなる。泣いている人間をみると、癇にさわる。殴りたくなる。痛みに見苦しく泣き叫べば、殺したくなる」

「りふじん、だね……」

「そうだ。その理不尽が人間の全てだ。この街の縮図だ。だから笑え。貴様が泣けば――レイジは悲しむのだ。私たちが大切に思ったのは、そんな、度し難い男なのだ!」


 俺は、エウセスカの言葉を遮らない。

 少年の榛色はしばみいろの瞳が俺を見ても、ただジッと見詰め返すに止める。

 生まれついてのトランスである俺と、人からトランスに変わってしまった彼らでは、なにもかもが違うのだから。

 口を挟んでは、ならないのだから。


 事実、どれほど殴られ、蹴り飛ばされ、傷だらけの泥だらけになっても、少年は相棒の言葉を聞き続けていた。


「笑え。笑っているものを殴れるほど、人間は強くない。嫌な気持ちになって、だんだんと馬鹿らしくなる」


 なによりも。


「最後に勝つ者は、最初から笑っていると決まっている」

「勝つ」

「そうだ。ユア、なによりも大事なことだ。負けて構わないなどというのは、弱者の詭弁きべんに過ぎない。逃げるのはよいだろう、ときには戦わぬこともさかしかろう。だが、いざやるとなれば、勝負には絶対に勝たなくては意味がない」


 負け戦など、やってはならないのだと、吸血鬼は騙る。

 そうして、自らも怜悧れいりな顔に笑みを浮かべてみせた。

 羅刹らせつのような、不敵な笑みを。


 ……ああ、そうだな、エウセスカ。

 泣いているやつが勝てる勝負なんてない。

 うつむいているやつが掴める勝機なんてない。

 負ければ全てを失うのが、この世界の道理なのだから。

 涙がこぼれないように、天を仰ぐしかないのだ。


 ――そこに、青空が見えなくとも。


「だから、笑え。私たちのように。下らぬコトを口にして、阿呆のように笑うのだ。自らの〝渇望トランス〟ごときに負けるな。ユア、貴様は、貴様自身に勝つため、笑うべきなのだ!」

「――――」


 目を見開く少年。

 躊躇なく、相棒は蹴りを入れる。

 吹き飛んでいく矮躯わいくは、たまさかエウセスカが与えた棒きれの前に落ちた。

 うずくまり、這いつくばってもだえる少年は。

 けれどやがて、棒きれへと手を伸ばし、それを掴んで、杖のようにして立ち上がる。


「……ぼく、自分のことを一般人ニュートラルだと思ってた」


 彼は棒を持ち上げる。

 ブルブルと震える足で地面を踏みしめ。

 エウセスカへと、切っ先を向けて見せた。


「でも、違うかも。だって……痛いって、愛してもらえるって、こんなにも嬉しいものなんだものね? それって、ちょっぴり異質へんたいなことだよ」


 不器用に笑う。

 少年がおぼつかない様子で口にしたのは、お世辞にも上手いとはいえない冗談だった。

 冗句にもなっていない戯れ言だった。

 引きつった口の端。

 目元ににじむ涙。

 頬を汚す土埃つちぼこり

 なにもかもが混ざって凄惨な顔つきで。


 それでも少年は、笑ってみせた。


 周囲の異変は、とっくに収まっていた。

 彼は、トランスの暴走を乗り越えたのだ――


「わっ――え、エウセスカ……?」

「見事だ。私は貴様を、同胞として認めよう」


 ユアへと歩み寄った相棒が、その大きな手で、彼の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 くすぐったそうに目を細める少年の顔には、花笑はなえむような表情が浮かんでいた。

 俺は。


「……エウセスカ、これは借りにしておく」

「ふざけるな。貴様の罪悪感は、貴様だけのものだ。私は偽善を押しつけたに過ぎん」


 本当にくだらないことを口にして、彼らの元へと合流したのだった。

 そうして、ひとつの試練を乗り越え。

 町へと戻った俺たちを待っていたのは――


「ピューピィくんの素性すじょうが解った。情報が流れてきたのだ。彼は、記念病院へ転院する前、とある施設にいた。トランスの研究を行っている施設に、だ」


 ジルヴァ・ヴァン・メテオール公爵令嬢の、厳しい声音だった。

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