第三話 トランス制御訓練

「ぼくも……ふたりみたいになれる?」


 無垢むくな少年の言葉を、ただ肯定することは簡単だっただろう。

 けれどそれは、良心に背く行為でもあった。

 俺は善良ではないし、善意なんてご大層なものを持ち合わせてはいない。

 だが、騙す、というのはそれだけで気分が悪い。


 少年が願ったこと。

 それが、たくさんの犠牲を出したトランス能力を制御できるかという意味合いの言葉だったのなら、なおさらに。


 彼は、打ちひしがれていた。

 その上で、立ち上がる手段を欲していた。

 ゆえに、俺たちは――


「なれるさ。きっとな」


 決しておためごかしではない言葉とともに、場所を町中から、国の北端に広がる大樹林へと移した。

 ジルが馬を貸してくれて助かった。

 徒歩なら、ユアを担がないと、丸一日街をあけることになってしまうからだ。


「こんなとき、自動車があればな」

「じどうしゃって?」


 少年のまっすぐな問い掛けに、俺は返答できない。

 相棒の吸血鬼でさえ、耳慣れない単語を聞いた顔をしているからだ。


 そうだ、ル・モン・ルルに車はない。

 この国で――この世界で自動車を知っている存在は、俺と、あとひとりぐらいのものだろう。


「……自動で動く馬車だよ。馬がらないんだ」

「うそ」

「そう、これは嘘みたいな本当の嘘。だまされたな、純朴じゅんぼくな少年?」

「もう! ぼくをからかって……たのしいの?」


 顔を真っ赤にする彼へ、すまないと笑みを向け。

 ひとり、胸をなで下ろす。


「相変わらず、貴様の嘘は壊滅的だな」

「エウセスカの冗句ジョークほどじゃない」

「いい度胸だ」


 身をかがめ、そのまま前転。

 さらに起き上がりざま跳躍し、腰の刃を抜き放つ。

 連続する打突音。

 背後にあった樹木と、俺が倒れた地面、そして足下にそれぞれ黒い杭が刺さっていた。

 殺意が高い……! 容赦がない……!


「当然だ。仮に貴様を殺すとしたら、それは私なのだからな」

「手加減をしろ!」

「それよりも、だ。ユア、この大樹海に連れてきたのは他でもない。貴様には、トランス制御の訓練を受けてもらう」


 エウセスカが、単刀直入を絵に描いたがごとく、本題へと入った。

 俺たちのじゃれ合いを見て目を白黒させていたユアは、急なことに驚いた顔を見せる。


「トランス、の訓練……?」

「そうだ。貴様の力は、周囲の存在を変質させる。制御できなければ、いずれは大勢の命を今度こそ貴様のせきで奪うだろう。それでいいのか?」

「よ、よくない。そんなのちっともよくないよ、エウセスカ!」

「ならば、私に一太刀ひとたちいれてみせろ」


 言って、相棒はどこからか、棒きれを一本取りだしてユアの足下に投げた。

 木剣ほど重くもなく、短刀程度の長さしかない木の枝だ。


「訓練を開始する。その程度の棒きれが当たったところで、私は痛くもかゆくもない。全力でやることだな」

「でも」

「私は、開始を告げたはずだぞ?」


 それは、誰に向けられた言葉だったのか。

 「え!?」っと、慌てて木の棒を拾おうと身をかがめたユアの顎を、吸血鬼は躊躇なく蹴り上げた。

 ぐるぐると回転し、そのまま地面へと落ちるユア。


「――な、なんで……?」

「なんでもなにもない。言ったはずだ、全力を尽くせと。私もまた、全力で貴様を叩きのめす」

「だから、なんで……っ!」


 ぶるぶると震える手で、それでも身を起こそうとする彼が、悲痛な叫びを上げる。

 相棒は答えることもなく、幽霊のように構えてみせた。


「――――」


 エウセスカの本気を悟ってだろう、少年の表情がさっと青ざめた。

 吸血鬼は、あえて大股で、ゆっくりとユアへと近づく。

 這いつくばって逃げ出そうとする少年の前へと回り込み、また蹴り上げる。


「……っ!」


 少年の苦鳴くめい


「レイジ、助けてよ……」


 地面に突っ伏した少年が、かすれた声で俺の名を呼ぶ。助けを請う。

 血が出るほどに下唇を噛みしめ。

 俺は、ゆっくりと首を振った。


 横に。


「出来ない。いまは、しちゃいけないって解るから」

「助けてってば……!」

「……エウセスカは、必要だと思ってるんだ」

「こ、んな、こと……無意味だよ……」


 倒れたまま、少年が涙をこぼしながらつぶやく。


「ぼくは、エウセスカが好きだったよ。傷の治療をしてくれたもん……レイジのことだって好きだった。瞳の色が絵本の空色で……二人とも大好きだったのに、こんなこと……う、うう」


 肌がビリビリと震えた。

 この場にいるのは俺たちだけ。

 だから、解ったのも俺たちだけだった。


 ユアのトランスが、発動したのだ。


 周囲の木々が、ねじれていく。

 くるくると、狂狂くるくると。

 変質者トランスに、トランスの力は影響を及ぼしにくい。それでも長時間、この力の前にあれば、俺たちもいずれは芋虫に成り果てるだろう。


 だから、相棒は続ける。

 訓練を課す。試練を続行する。


「立て」


 少年を蹴る。


「ユア・ピューピィ、立ち上がれ」

「う」

「武器を取れ」

「うう」

「いつまで私たちに守られているつもりだ?」

「ううう……!」


 蹴り転がされ、地にまみれ、ボロボロと涙をこぼす少年。

 冷徹なる吸血鬼は、それを見おろしながら、禍色まがいろの瞳で告げる。


「守られるのは心地がよいな。母の腹の中の胎動たいどうにも似る。だが――私はそれが我慢ならなかった」

「……?」


 相棒の口から漏れ出した韜晦とうかいに、少年がピクリと反応する。


「昔話をしてやろう。愚かな子どもの、愚かな決断の物語を」


 相棒が。

 吸血鬼が。

 クリュゥード・メ・エウセスカが。


 いま、己の過去を語る――

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