第二話 独房の美少年

「ぼくが……殺したの……?」


 独房――ジルは病床と呼んだ――のなかで、少年は、か細い声で問うた。

 うずくまった彼の首には、特殊金属製の首輪が付いている。

 トランスの発現を抑制する、イミュータブル鉱石製の拘束具だった。


「ぼくは、トランスなの……?」


 責め問うような響きがないことに、俺たちは身勝手な苦痛を感じた。

 子どもに諦観ていかんを与えることほど、邪悪なことはないからだ。

 彼らは可能性だ。

 幸せであって欲しいと、切に願う。


「怖かったんだ、ぼく……レイジが血まみれになって……エウセスカもぼろぼろで……みんな死んじゃうんじゃないかって思ったら……そしたら、胸の奥から、真っ黒なものがわきだしてきて……それで……」


 真珠たまのような涙をこぼす少年。

 悲壮に、苦難に懊悩おうのうするユア。


 彼に悪意があったとするのは、贔屓目ひいきめに見ても無理だろう。

 この少年はただ俺たちを案じ、そして恐怖に心を乱しただけなのだから。

 悪いのは俺だ。

 こうなる可能性を考慮できなかった、俺の浅慮せんりょと力不足だ。


 だからこそ。

 無言を貫くことなど、許されなかった。

 誰かが言わなければならないのなら、それは口にすることこそ、俺の責任だったからだ。


「……そうだ。そして違う」

「なにが違うのさ!」

「ユア。君は確かにトランスだ。これは、疑う余地がない。けれど、君は誰も殺しちゃいない」

「でも!」

「でも、それでも。だとしても! ……それは、罪だけど悪じゃない!」

「っ」


 嘆きの言葉を、強く否定する。保護者として、持ちうる権限の全てで。

 少年がビクリと身体を震わせた。

 ……駄目だ、このやり方では駄目だ。


 事実を述べていたとしても、少年の繊細な心が保たない。傷つき、爛熟らんじゅくし、やがては腐り落ちてしまう。

 足りない頭を振り絞って、言葉を、必死で選ぶ。


「芋虫になった人たちは、まだ誰も死んでいない。元に戻すことが出来ないか、ジルが対策を練ってくれている。この国のトランス研究機関が、全力を尽くしている。だから――」


 だから、きっと大丈夫か?

 あまりに楽観視が過ぎないか?

 トランスの影響が永続的であることを、俺こそが一番よく知っているのではないか?

 ……それでも、この場で必要なのは嘘だ。

 優しい嘘、気休めのチープトリック。


「大丈夫だよ、ユア。きっとうまくいく」

「……レイジ」


 少年が、顔を上げる。

 泣きはらした顔、黒々とクマを作った少年、憐れなユア・ピューピィが。


「ぼく、もう二度とこんなこと、やだよ」


 だからと、俺に問う。


「どうしたら、この力を、なくせるの……? どうしたら、ぼくはいい子に生まれ変われるのかな……?」


 少年の切なる問い掛けに。

 俺は。

 俺たちは――



§§



「見るがいい! これこそ騎士様よりたまわりし我がトランス! 大いなる秘術! 大火炎焦土地獄なり……!」


 辺り一帯が、一瞬にして業火へと包まれる。

 足場となっている地面が、全てへと変じたのだ。

 立ち上る熱気と、波打つ超高温流体鉱物の向こう側で、先ほどまで俺たちに追い詰められていたテロリストがひとり、高慢な笑い声を上げていた。


「どーだ!? さすがの掃除屋といえども、マグマの運河を渡ってこちらへは来れまい! そのあいだに我は逃げさせてもらう寸法すんぽうよ!」


 などとのたまう四騎士の使徒。

 呆れて言葉も出ないでいると、エウセスカがニッと兇猛きょうもうな笑みをたたえ、俺の肩を叩いてきた。


「レイジ、競争だ。先にやつへと辿り着いたら、〝おもり〟の役目は私がもらう」

「冗談じゃない。譲るつもりはないぞ。これは俺の責任だ」

「いいや、早い者勝ちにさせてもらう……!」

「この!」


 譲れないものを抱えながら、俺たちは同時にスタートを切る。

 エウセスカは吸血鬼としての本性を開放し、黒い霧となって辺りに散らばっていく。

 一方で俺は剣を二本抜刀し、空中へと投げる。

 今日の剣は、柄に鎖が巻かれており、自在に引き戻すことが出来た。


「レイジィ・ブレード」


 空中で〝怠惰〟を発揮した剣は制止し、足場となった。

 そのうえへと飛び乗り、遅れて斬撃を開放。身体を弾く。

 鎖で剣を引き戻し、再び前方へと投げ、同じシークエンスを繰り返す。


 足場がないなら頭を絞る。

 自分で飛び石を作り、溶岩の上を渡ってしまおうというわけだ。

 反動でぴょんぴょんと跳んで渡りながら、俺は使徒――たしかトーマスという名前だったはずだ――へと肉薄する。


「ま、マグマだぞ!? それをなんで、飛び越えて!?」

「この程度じゃ、俺たちを足止めすることも出来ないのさ! だから、こいつで眠っとけ!」


 三本目の剣を振り下ろす。

 しかし、それよりも先に、黒い杭が男の足を貫いた。


「ぎゃあああ!?」

「……私の勝ちだな、レイジ。のおもりは、私がやらせてもらう」


 凝縮し、身体を取り戻したエウセスカが、黒い唇を勝ち誇ったように歪ませ、トーマスを思いっきり踏みつけた。

 彼の赤い視線の先には。


「…………」


 暗い表情で、俺たちを見詰めるユアの姿があって――

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