第二章 相棒(かぞく)になりたくて

第一話 美少年の変質能力(トランス)

 水の入ったワイングラスが一つ。

 腰から剣を一振り抜刀し、その切っ先にグラスを乗せる。


 キン。


 刃の先端が跳ね、グラスは宙へと舞い上がった。

 落ちきる前に、刃を納刀。同時に二振りの刃を抜き放ち交差。

 片方で落ちてきたグラスを拾う。もう一方が円を描いて宙を斬る。


 水が揺れる、水滴が踊る。


 すくい上げるようにグラスを横へと流し、身を低く前傾姿勢へ。

 刃を納刀。

 今度は三連隙を放ち、グラスを回収。ぐるりと遠心力で内部の水を保ちつつ跳ね上げ、今一度抜刀。

 その場でステップを踏み、ターンして背後へと斬撃。

 空中へと一刀を繰り出しグラスを受け、残った手で納刀。


 加速。

 さらなる加速。

 徐々に工程を複雑化させながら、俺はしたたる汗水にも一切頓着とんちゃくせず、無心で刃を振るう。

 十七連撃を決めたとき、グラスの中の水が空中へと跳ねて、水滴となった。

 それが、顎からしたたり落ちた汗と合わさり、最後にはグラスの中へと戻る。


 三刀を納剣し、グラスを掴んで、大きく息を吐き出す。


「いつもの病気か。怪我の治療も終えずに打ち込むとは、貴様らしいな」


 俺の邪魔にならないように気配を消していてくれたらしい吸血鬼が、影の中からにじみ出てきた。

 その手には、なぜだか可愛らしくデフォルメされた熊のぬいぐるみが握られている。


 エウセスカは眠るとき、棺の中でぬいぐるみに埋もれて眠るのだ。

 理由は知らないし、無理矢理聞き出そうとも思わない。

 ただ、超然としている彼にも、そういったことが必要だという事実にこみ上げるものがある。

 誰も彼も、超人ではいられない。


「……たくさん、人が死んだよ」

「昨日と今日で二百人近いな」

「俺がもっと強ければ、防げたかもしれない」

「その仮定に何の意味がある?」


 ないだろう。

 あってはならない。

 それでも、死なせずにすむのなら、殺さないという選択肢を選べるのなら。

 俺は、いくらでも自分を鍛え上げる。

 何だってやるし、このくらいの訓練、苦でもない。

 でなければ、怠惰な利剣なまくらなど、渇望になにぎらない。


「……ふん」


 吸血鬼の、重たいため息。

 俺は少し気まずくなって、話の向きを変える。

 目に付いたのは、やはりぬいぐるみだった。


「訊ねてもいいなら、知っておきたいんだけど……その熊は?」

「紹介しよう。私の友人でテネットという」

「…………」

「名状しがたい表情をするな」


 ノーモーションで飛んできた黒杭を、刃の峰で受け流す。

 コップの水はこぼさない。


「いや、じつはんでいましたみたいなカミングアウトをいきなりされても、俺だって困るというか」

「貴様の正気こそを疑え。そして私が、己の全てを貴様に開陳しているという幻想を捨てろ。親ですら子どもの心をあまねくは見透かせぬものだ」


 それはそうだ。

 相棒の言うことが正しい。


「……テネットは心優しい熊だ。あの子どもを慰めたいと申し出てくれた」

「ユアを?」


 彼は頷く。

 日中に起きた事件で、あの少年の重要度は跳ね上がった。

 なにせ、四騎士の使徒が狙っているのだから。

 彼はいま、屋敷の一室に隔離され、寒い夜を過ごしている。


「ぬいぐるみは、心を落ち着ける。抱きしめれば、どうしようもない胸のうちも、わずかだが凪ぐ。だから」

「おまえはい男だよな、エウセスカ」

「……からかうな」


 本気さ。

 おまえがどんなに嫌な顔をしても。

 俺は本気で、おまえがいいやつだと思っている。

 なにせ……俺なんかに付き合ってくれているのだから。


「四騎士最大の裏切り者。〝蒼のあをたる怠惰のペイルライダー〟が、自分を卑下ひげするか。ふん、貴様が何であるかなど、私には関係がない。ただ、貴様を殺し、その血をうけるのは私と言うだけだ」

「…………」

「レイジ。貴様の血は美味い。その血に賭けて、私はニュートラルとトランス、双方を守ると何度でも誓おう。いつか私の牙が、その首元に突き立つまで」


 彼は凜々しい表情で言い放ったが、腕の中ではぬいぐるみが揺れているので格好は付いていなかった。

 けれど、まあ。

 その信頼の言葉が、俺には嬉しくて。


「じゃあ、一緒に行くか。ユアを迎えに」

「それでいい。それが貴様らしさだ。しかし、その前に、だ」


 相棒は、自分の手首を俺へと差し出しながら、悪い笑みを浮かべてみせた。


「傷の手当てをさせろ。拒否すれば、ジルヴァに貴様が無茶をしたと、報告してやる」


 俺は。

 ただ渋面で、天を仰ぎ。

 とりあえずコップを置くことにしたのだった。



§§



「きみたちは、わたしを冷血漢れいけつかんかなにかと勘違いしているのではないかね……? 大きな問題が見つかったからといって、即座にいたいけな少年をするほど人をやめたつもりはないのだが」


 ジルの言葉は、強烈だった。

 まず第一に、俺たちの認識が甘かったこと。

 そして、盤面が大きく動いていたことを、否応なく突きつけてきたからだ。


 処分の必要があるほどの大問題。

 それがあると、浮かれポンチな俺たちに、彼女は釘を刺したのだ。

 では、その問題とはなにか?


 ユアが――トランスである、という事実である。


「それも、四騎士の使徒が目をつけるほど、広範囲にわたって干渉を及ぼす覇道型はどうがたのトランスだ」


 トランスには、大きく分けて二種類がある。

 自分の内側――精神や在り方に作用する〝求道型きゅうどうがた〟。この最たる例は、己を永続的に吸血鬼へと変質させるエウセスカだ。

 そして二つ目は、〝覇道型〟。

 自らの〝異端ルール〟を外側――世界へと向かって流出させ、強要するもの。


「ピューピィくんのトランスだがね、力のおよぶ範囲にいる全ての人間を変質させるものだと解った。より具体的に言うならば、優先的に健常者ニュートラル変質者トランスへと変貌させてしまう力だ」

「……ジル。おまえ、自分がなにを言ったか解ってるのか?」

「解っているとも、わたしの刃。彼という人間は、四騎士が求めてやまなかったものだと言うことぐらいね」


 彼女の強がりな笑顔が、このときばかりは精彩せいさいを欠いていた。

 俺たちの胸中は、おそらく一つだったことだろう。


「最悪だ」


 テロリスト集団〝四騎士の使徒〟が掲げる理念は唯一。

 トランスが、ニュートラルを駆逐する世界を作ること。

 ならば、彼の力を手に入れた使徒たちが、なにを企むかなどたやすく予想が付く。


「ピューピィくんのトランス、その出力向上。この国全土におよぶほどの大出力を、きっと奴らは求めるだろうね。発動条件は、彼の精神に対する過負荷、といったところかな」

「だから暗殺者なんて差し向けてきやがったのか、四騎士は!」


 死の恐怖は、きっとなにより恐ろしいだろう。

 文字通り、死んでしまうほど精神を圧迫するだろう。

 そのとき、彼のトランスが効果範囲をどれほど拡大させるか解らない。


 先ほどだけでも、目抜き通りは全滅しかけたというのに。


「ユアは渡せない。全力で守るべきだ」

「わたしとてわきまえている。だが、このまま彼を病床に軟禁することもまた、正しくない」


 理由は単純だ。


「ユアのトランスは、精神に対する過負荷がトリガーとなって発動する。鬱屈うっくつとした監禁生活が、どんな影響と爆発を与えるか解らない。そうだな?」


 俺の推測に、彼女は首肯し大きくため息を吐いた。


変質者殺しイミュータブル鉱石のかせを使えば、拘束事態は可能だとも。あれはトランスを大きく制限するからね。けれど、それとて絶対じゃない。次に、屋敷の警護が四騎士の使徒、あるいは騎士自身に抵抗できるかも怪しい。結局のところ、きみたち二人の側が、一番安全だという結論になる」


 それは、つまり。


「お察しの通りだ」


 この街を治める公爵令嬢にして。

 すべてのひとを守る守護の盾は。

 力ない笑みと共に、俺たちへ少年を託したのだった。


「きみたちで、彼にトランス制御の術を、身につけさせてやって欲しいということさ」

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