第六話 暗殺者、跳梁

 見えない無数のナニカがひらめく。

 そのたびに、周囲の建物が、人々が裁断されていく。

 バラバラに、さいの目に。

 俺のなまくらとは比べものにならない切れ味を帯びた物体が、直線上の至る所を通過し、切断する。


「やめろ! そんな悲しいことをするな……!」


 反射的に腰の剣を一本引き抜き、山のような体躯を誇る男へと投擲とうてきした。

 直線の軌跡を描き、矢のように飛ぶ剣は。


 ――しかし、暗殺者の眼前で静止する。


「おやぁ? 裁断できませんか……さすがはレイジ・オブ・ペイルライダー。あの方の弟君……とはいえこの程度ならば、怖れるに足りませんかねぇ」


 空間に縫い止められた刃を見て、男はなぜだか誇らしそうに笑う。

 目をこらす。

 刃は空間に浮かんでいるのではない。

 なにか、目に見えないほどの細さのナニカが、剣へとまとわりつき、その動きを制止しているのだ。


「〝糸〟だレイジ! 〝使徒〟には無弦むげんの技を持つものがいると聞く。おそらく、こやつが」

「おやおやぁ? こちらも利きませんか? それはノーグッドですねッ」


 吠えたエウセスカを見て、暗殺者――ノーフェイスは、今度は随分と苦み走った、唾棄すべきとでもいう表情を浮かべる。

 吸血鬼の身体は〝糸〟によって切り刻まれていたが、既に再生していたからだ。


 相棒は乱ぐい歯を剥き出しにして唸り、タイミングを伺う。

 一瞬のアイコンタクト。


「なにが狙いだ、ノーフェイス!」


 残る二振りの刃を抜刀しながら、俺は問いかけを投げる。

 やつは騎士の使徒。

 どんなときでも、たとえ暗殺者でも、名誉を重んじる……!

 だから答える。時間稼ぎだと解っていても。


「最初に申し上げたとおりです。そちらのお子様が必要なのです」

「ユアを?」


 わずかに視線だけ向ければ、少年は恐怖に顔を青ざめさせていた。

 震え、怖れ、なにが起きているのか理解できず、ただ怯えていた。


「素直に受け渡されれば、あなた様には手を出しませんよ?」


 ……それは。

 随分と俺のことを、低く見積もった言葉じゃないか。


「へぇ?」


 拒絶の意思を込めて切っ先を暗殺者の喉元へと向けると、ノーフェイスは挑発の色を帯びた声を漏らした。

 俺は、ユアを置いてスタートを切る。


「行くぞ、ノーフェイス!」

「こちらも忘れるな!」


 エウセスカが暗殺者へと飛びかかる。

 その全身が、文字通り霧散する。

 霧化。

 吸血鬼トランスとしての力。


 しかし、敵もる者。

 ほとんど反射の速度でなんらかの能力を行使し、肉薄したエウセスカをバラバラに切り砕く。

 ノーフェイスの背後で実体化した相棒の顔には、色濃い疲弊ひへい

 ――けれど、十分だ。


 ほんのわずかな瞬間、黒い霧はノーフェイスの視界を遮った。

 相棒が捻出した貴重な時間を費やし、俺はやつの懐へと飛び込み。

 刃を振り抜く。


レイジィ・ブレード怠惰な利剣!」

「そんなものですか!」


 叩きつけたはずの刃が、絡め取られる。

 きらめく極細の糸!


「失望ですね。サァヴィッヂ様と比べて、あまりに〝トランス〟が常識的で――」

「それはどうかな?」

「っ!?」


 そこで初めて、暗殺者の顔に驚愕の色が灯った。

 俺の身体が、やつへと向かって強引に、無理矢理に急接近したからだ。


 切りつけたのとは逆の手の刃で、、反作用で加速。

 パチンコの玉が射出されるようにして、俺は翡翠の颶風ぐふうと化す。


 当然、展開され張り巡らされた極弦きょくげんの糸は、俺の全身を切り裂く。

 あふれ出す血液。

 激しい痛み。

 俺は吸血鬼じゃないから、傷なんて普通に負う。

 それでも――こいつを野放しには出来ない!


「ですが!」


 暗殺者の勝利を確信した声。

 そうだ、自由に使える刃はもうない。

 右手の一振りは封じられ、二本は手放して――

 それを察してだろう、ノーフェイスの顔に油断とあざけりが灯り、


「がっ!?」


 次の瞬間、彼は血反吐ちへどを吐いた。

 背後からの攻撃。

 エウセスカか?

 否――俺が最初に投擲した刃が、を繰り出したのだ。


遅れる斬撃レイジィ・ブレード・イージー。これで決まりだ!」


 エウセスカの目くらまし。

 俺の蛮勇的な突撃。

 初手で仕掛けていた技巧フェイク

 三重の策が、この刹那に実を結ぶ。


 刃の拘束が緩む。

 完璧な勝機!

 相棒が身を撓め。

 俺は、渾身の力で剣を振り下ろし。


「あ、あああああああああああああああああああ……!」


 絶叫。

 背後でユアが。

 少年が、絶望の叫びを上げ、失神する。

 極大の危機感。

 咄嗟とっさに地面を駆け戻り――暗殺者に背を見せ――地面へと崩れ落ちる前にユアを抱きかかえる。


「――は?」


 そして、ノーフェイスが、頓狂とんきょうな声を上げた。

 見遣ればやつの身体が、有り得ない角度に捻じ曲がっている。

 ぐるりと右足が明後日の方角を向き、左手が内側へと湾曲し、右目が飛び出さんばかりに肥大化して、その端整な見た目が、おぞましいモノに変貌して。


「い、いいいい、一時退却です! さすがはさすが、サァヴィッヂ様が見込んだだけのことはある……! しかし覚えておくといいでしょう、その少年こそが、この異形化の引き金であることを……!」


 ドロドロと溶け落ちながら、ノーフィスが姿を消す。

 汚濁となった液体は、地面に染み入って、そのまま消えた。


 反射的に周囲を見渡し、俺は言葉を失った。

 目抜き通り。

 ル・モン・ルル最大の雑踏はいま、身体のあちこちを異形へと変貌させた――トランスではなかった者たちで、あふれ返っていたのだった。

 彼は人から別のものに変わろうとしていた。

 たとえば――


「――〝芋虫〟」

「これは、どういうことだ、レイジ?」


 ようやく復帰してきたエウセスカが、珍しく困惑も顕わに訊ねてくる。


「わからない。だけど……」


 どうやら原因は、俺の腕の中で眠る、恐怖で引きつった表情の少年にあるようだった――

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