最終話
最終話〜①
「
ツンと顎を上げて、シャイエ公爵夫人は不満を述べた。
五月下旬。
初夏も半ばを過ぎた午後の宮廷の庭で、国王フィリップ十四世が肩を竦めて紅茶を含んでいる。
妹君に何も言い返せずにいる国王を見るのは、いつ以来になるだろうか。
同席するシュトルーヴェ伯爵は、高貴な兄妹の遣り取りを黙って眺めていた。
領地での蟄居謹慎が解けたシャイエ公爵夫人は、通達を受けてすぐに王宮庭園に舞い戻って来た。
傍らには当然、ローフォークの母オーレリーを伴っていた。
王宮庭園に入るや否や、公爵夫人は自身の屋敷でも兄王の宮廷でもなく、真っ直ぐに治安維持軍の本部に駆け入った。
そこに運び込まれていたローフォークに会いに行ったのだ。
散策路のある林で起こった爆発は、ベルナール誘拐の主犯を追っていた第一連隊の目に止まった。
急いで駆け付けた彼等が見たのは、拘束されたマートンと重症を負い意識を失ったローフォーク、そのローフォークに必死に呼び掛けるフランツ達だった。
負傷者二人を散策路の石橋まで背負って運び、そこから馬車で本部に向かった。
途中で先触れを受けて現場に急行していた軍医が乗り込んだが、腹の傷の深さに絶句していた。刺されただけでなく、腹の中で刃を回されたことで内臓が大きく損傷していたのだ。それに伴って流出した血は、深刻な量に到っていた。
だが、ローフォークは生き残った。
フランツの適切な応急処置と日々の鍛錬で鍛えた身体が、危ういところで命を救ったのだ。
簡素な寝台に横たわったローフォークは、全身が包帯で包まれていた。
打撲と切創、肋骨も何本か折れていて、腹部の包帯には血が滲み出ている。利き腕の肘は筋を痛めていた。
ローフォークの意識は、身体中の傷が熱を持った所為で虚ろ気味であったが、それでも自身の母を見留めた瞬間には驚きで目を見開いた。
ローフォークは傷を押して、寝台に起き上がり二人を出迎えようとしたが、栗の実色の髪の部下に押し戻されていた。
満身創痍の息子の手を握り、祈る様に自身の額に寄せたオーレリーは、言葉も無くただ震えるばかりだった。
「オーレリーは、十二年前に夫と長子を亡くしているのですよ。どれほど恐ろしかった事でしょう」
まして、預かり知らぬところで自分は人質となっていて、息子は母を守る為に犯罪に手を染めていた。
オーレリーの自責の念は、誰にも計ることは出来ないだろう。
シャイエ公爵夫人は鋭い眼光で兄王を睨み上げた。
「
急に矛先を向けられて、シュトルーヴェ伯爵はびくりと身を竦めた。
「貴方まで、私を除け者にして!」
「こ、公爵夫人、十二年前の事情を知ったのは私も最近のことです。私は当時の事を父から聞かされてはおりません」
「カレルの事です!」
一際強い口調で一喝された。
「グラッブベルグ公爵に脅迫されて、カレルがさせられてきた事を、どうしてすぐに教えてくれなかったのです。もし知っていたら、この私がどうとでもして、ローフォーク家の母子を強引にでもあの男から引き離しましたよ! 兄上に何を言われたって知るものですか。きっと
シャイエ公爵夫人の言うことは尤もだった。
だが、シュトルーヴェ伯爵にも一応言い分という物はある。
公爵夫人は非常に機知に富んだ女性だが、グルンステイン王家の気骨をしっかりと受け継ぎ、一度火が点くと突っ走る傾向があった。
王妃ヴィクトリーヌの侍女官長に就任したのも、それに際して夫であるシャイエ公爵と結婚して臣籍降下したのも、ひとえに正義感の強さ故だ。
ローフォーク親子を常から心配していた夫人は、トビアスの密輸銃事件の際、旅行を装った離間工作を快く引き受けてくれたが、同時にグラッブベルグ公爵のローフォークへの仕打ちに激しい憤りを見せた。
シュトルーヴェ伯爵は、夫人の頼もしい笑顔を信じてこの大事を預けたが、内心では突飛な行動を起こすのではないかと、不安でいっぱいだったのだ。
そして、追悼式典の騒動である。
公爵夫人が起こした騒動は、一連の密輸事件以上に宮廷を騒がせ、伯爵達は対応に追われる事となった。
国王に正面から歯向かって無事でいられたのは、
「どれほど肝が冷えたことか」
当時を思い出し、伯爵は眉間を押さえた。
「ふん。あの男に一泡吹かせてやりたかったのですよ」
と公爵夫人はそっぽを向いた。
「ですが、兄上が抱えていた苦悩を、私は存じ上げませんでした。あの状況では、兄上の立場であれば、ああ選択せざるを得なかった。アンリもクレールも、後悔などしていないでしょう。だからこそ、私を頼って下さらなかったのが悔しい。きっと義姉上も同じ思いだったでしょう」
そう言って、公爵夫人は長い睫毛を伏せた。
彼女もまた、この十二年間を王妃ヴィクトリーヌと共にシャルルを育て、姪とその子等を見守り、ローフォーク家を案じて生きてきた。
シュトルーヴェ伯爵が遺された者達を守る為の力を望み、がむしゃらに突き進んでいたように、公爵夫人もカレルとオーレリーを守る為に何が出来るかを懸命に考えていたのだ。
「すまなかった」
フィリップ十四世は、妹に誠の籠った謝罪をした。
「余は、頑なであった」
シャイエ公爵夫人はフフッと微笑み、横に首を振った。
「誰も彼もが、大切なものを守ろうと無我夢中だったのです。カレルも、母と領民を守ろうとするあまり、グラッブベルグ公爵に唆されてしまいました。大なり小なり、私共は結果的に同じ選択をしていたのですわ。それが判明したからには、私共はケジメを着けねばなりません」
まずは、カラマン帝国の内紛だ。
間諜の情報では、こちらが提供した情報をもとに、第一皇子派がメロヴィング公爵邸の捜索を行ったようだ。
紛失したと思われた玉璽は、確かにメロヴィング公爵邸にあった。
ただ、隠されていた場所が亡きルイーズ王女の棺の中であった事に、公爵の妻子への深い愛情を見た気がして、伯爵は身につまされる思いがした。
メロヴィング公爵はその後、仕掛け指輪に隠していた毒を呷り、自害してしまったという。
フィリップ十四世は、二人の皇子に公爵を丁重に葬ってやって欲しいと申し出た。
それはメロヴィング公爵と面識があり、アリンダの娘であるマリーの、たっての願いだった。
玉璽を手に入れた第一皇子派は勢力を持ち直し、皇妃派は劣勢に立たされた。
グルンステインはサウスゼン王国のコンスタンス女王や、皇子達の生母の故国であるショワズール王国と連携を取り、エウヘニア公国に軍事介入をしないように牽制を行なっている。
その為の政治的な戦略は、新たな宰相となった
銃密輸の件も、全てが解決したわけではなかった。
市井に出回った違法銃はまだ残っている。グルンステインの国外にそれらが流出するのを防ぐために、国境の厳重な検閲は継続されていた。
グラッブベルグ公爵の処遇も定めなければならない。
グラッブベルグ公爵は、現在、王宮庭園の屋敷で謹慎を命じられている。
だが、マリーの暗殺未遂を含めて、行なってきた所業は悪辣極まる。
爵位の剥奪やアデレードとの婚姻の無効も提案されたが、ベルナール達を庶子にはできない。
特にアニエスの立場を考えると、答えは限られて来る。
そして、ローフォークも同様だ。
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