第十二話〜⑪ 注:出産シーン有り

     *   *



 大きく深呼吸をする。

 目の前の大きな腹に添えた両手が震えているのを見て、エリザベスはきつく両目を瞑った。


 鉗子かんしと呼ばれる器具は、すでに赤ん坊の頭を掴んでいた。

 その際に、やや強引に産道を拡げることになり、マリーは苦痛の呻きを上げたが、どうにか上手く小さな頭を捉えたようだ。

 いよいよ、引っ張り出す段階になり、エリザベスの緊張は頭のてっぺんを痺れさせるほど強くなっていた。


「エリザベス……」

 弱々しい声に振り向けば、気付薬きつけぐすりで意識を取り戻したマリーが見上げている。

「ごめんなさいね。こんな真似をさせて……。大丈夫よ。何が起こったとしても、貴女に責任が及ぶようなことにはなりません。だから、遠慮しないでちょうだいね……」

 微笑んだのは、緊張するエリザベスを励ますつもりだったのか。今にも消え入りそうな蒼白な姿にエリザベスは頷き、頑張って笑顔を返す。

「マリー様、介助の御方も、宜しいですか」

 宮廷医の声掛けに、ドキリとする。


 エリザベスは深呼吸を繰り返した。

 添えた手には、丸い大きな腹越しに赤ん坊の胎動を感じる。

 早く出たい、と訴えているようにも思えた。

 母親はこんなにも大変な目にあっているというのに、なんて元気な子だ。

 マリーはスッと短く息を吸い、いきんだ。

 腹の中の赤ん坊が外に出ようとする。

 エリザベスは目一杯の力でマリーの腹を押した。 

 力が強過ぎないか不安になって、一瞬、手を緩めてしまう。

 だが、マリーが懸命にいきむ姿に、エリザベスは腹を括った。


 んでは休み、一呼吸ののちに、またんだ。

 途中でまたマリーが気絶しかけたが、気力を振り絞って持ち直す。

「頭が出て来ましたよ!」

 マルティーヌがマリーを励ました。

 エリザベスの手にも、赤ん坊の位置が少しずつ変化しているのが分かる。


 もう間もなくだ。

 あと、少し。

 目に見える宮廷医の鉗子かんしの向きも変わってきている。

 あと、ちょっと。

「慌てずに! 大丈夫。ゆっくり、ゆっくり!」

 宮廷医がマリーに声をかけ、弟子が過呼吸に陥りかけた彼女の口と鼻にハンカチを当てて、呼吸を整えさせる。

「さあ、もう一息ですよ」

「アリシア、リネンの準備を。産湯は用意出来ていて?」

「大丈夫よ、お母様。いつでも御包み出来るように湯たんぽで温めてあるわ」

 産湯も、いつ浸かっても良いように適温に保っている。

 呼吸を整えたマリーは、再びんだ。


 悲鳴とも、絶叫ともつかない叫びが産室に響き渡る。

 宮廷医が鉗子を床に投げ捨てた。

 弟子がリネンを手に駆け寄る。

 するりとした感覚と共に、それまで感じていた赤ん坊の肉感がエリザベスの手から消えた。

 懸命に押していた腹部がぺたんと凹み、エリザベスは体勢を崩した。

 前のめりに倒れそうになったところを、ウジェニーとシャルロットが慌てて支えてくれた。

 マリーの悲鳴が止み、代わって轟いたのは、誰もが待ち望んでいた赤ん坊の産声だ。


「……生ま、れた?」

 エリザベスの目の前に、真っ新まっさらなリネンに包まれた赤ん坊がいる。

 産室にいる大人達は皆ぐったりしているというのに、まるで疲れ知らずで、赤ん坊は確かに、皺くちゃな顔を真っ赤にさせて、大声で泣き喚いていた。

「生まれた……」

 全員が顔を見合わせた。

 壮絶な出産に青褪めていた若い侍女官の頬にも赤みが差す。

 人から人へと、笑顔が拡がって行く。


「マリー皇女様、御出産! 皇女殿下の御誕生です!」

 マルティーヌの声が瓏々と響き渡る。

 ワッと産室が湧き立った。


 寝台から下ろされたエリザベスは、腰が抜けて座り込んでいた。

 アリシアやブロンシュ達が、涙を目に浮かべてエリザベスに労いの言葉をかけてくれた。

 周囲が湧き返る中、産湯に運ばれて身を清められる赤ん坊を茫然と眺める。そんなエリザベスに、弱々しい声が掛けられた。

 マリーが、アデレードとアンに支えられて、エリザベスを見詰めていた。

 お祝いの言葉を述べねばならない。

 だというのに、言葉を上手く紡げない。

 何度も口を開きかけ、その都度、込み上げる熱いものに邪魔をされる。


「ありがとう、エリザベス。貴女のお陰よ」


 マリーは血の気を失った顔で、それでも幸福に満ちた顔で、微笑んだ。

 全身が熱くなって、たちまち涙が溢れた。

 赤ん坊のように顔中を皺くちゃにして、エリザベスはわんわんと泣いた。



     *   *



 一帯は白煙と硝煙に満たされていた。

 爆発は周囲を吹き飛ばすほどの威力は無かったが、巻き起こった風圧は不意を突かれた大人一人を薙ぎ倒すには充分で、間近の木立ちに強かに背中を打ち付けたローフォークは、呼吸が詰まり激しく咳き込んだ。

 着火の瞬間を目の当たりにして、両目は眩んでいた。

 強烈な臭気と爆音による耳鳴りで体幹も狂っている。

「くそっ」

 ローフォークは悪態を吐いた。


 川に飛び込んだマートンを見て、拳銃を持っていても使えないだろうと思い込んでいた。

 厚紙、皮袋、油紙、金属製の容器。

 少し考えただけで、火薬の保護にこれだけの物が思い付く。

 雨天での行軍や海上での火薬の管理の仕方は、士官学校で習うことだ。火種とて、燧石ひうちいしがある。

 そして、一瞬の入水であれば、熱した木炭や石炭を陶器に入れておくなど、水を通さない何かしらに包んでおけば、湿気を防ぐ事は難しくはないのだ。

 この期に及んで、マートンという男を見誤っていた自分に嫌気が差す。


 探り当てた木立ちを頼りに立ち上がった。

 吹き飛ばされて叩き付けられた時に、剣は何処かに行ってしまった。腰に手をやると、指先が飾帯サッシュに挟んでいた拳銃に触れた。

 今や旧式と呼ばれて久しい燧石式フリントロック

 手元にある武器はこれだけだ。

 ローフォークは、銃把グリップを握り締めた。


 徐々に戻って行く視界の中で、人の動く気配があった。

 咄嗟に構えた拳銃は、引き金を引くよりも早く叩き払われる。

 白煙を押し破ってマートンが現れたと思った直後、体当たりを喰らい木立ちに押し付けられた。

 腹部に鋭い痛みが奔る。

 大振りのナイフが、軍服の頑丈な布地を貫いてローフォークの腹に深く突き刺さっていた。


 歯を喰い縛りながら、柄を握るマートンの手を強く抑え込む。

 濃紺の瞳で睨め付けるローフォークを、マートンは朱殷色の前髪の隙間から愉快そうに見返した。

「いいねえ。『王家に仇なす悪党は絶対に許さない』って顔だな。誇り高いローフォーク子爵様らしい、矜持に満ちた御尊顔だ」

 クククッと笑ったマートンは、柄を握る手に力を入れた。

 腹の中で刃が捻りあげられ、ローフォークは激痛に顔を歪める。

「気に入らねえ」

 体重を乗せたナイフはさらに深く刺さり、ローフォークの肉を抉った。


「ぐうっ……!」

「お前、あの時、お嬢ちゃんをわざと見逃しただろう」

 マートンは両目を眇め、耳元で囁いた。


「その気になりゃ、追えたはずだ。だが、お前はそうしなかった。つまらねえ抵抗をちまちましやがって、それで良い事をして矜持を保ってるつもりだったのか? くだらねえ」

 唾を吐き棄て、マートンはおもむろにナイフを引き抜いた。

 苦痛の呻きをあげて膝を着いたローフォークの、腹の傷を狙って蹴り上げる。

 蹌踉めきながら立ちあがろうと着いた手を、マートンの靴が踏み躙った。横っ面を蹴り飛ばされ、ローフォークはまた地べたに転がる。


「辛気臭え面で被害者ぶるのが、心底苛ついたぜ。一緒に下衆を働きながら『俺はお前達とは違う』って、つらがな」

 そこからは一方的な暴力だ。

 マートンは繰り返し、ローフォークを蹴り付け、嬲った。


「いつまで王家にへつらうつもりだ? 文字通り命懸けで後継者を守ったってのに、王家のお前らへの扱いは何だ? 事実を知らされないまま後ろ指を指されて、挙げ句に成り上がり公爵の良いオモチャだ。王家はそれすら知っていて、知らないフリをした。王家にとってローフォーク家ってのは、クラヴァットの留め具みたいなモンだ。有れば見栄え良くさまになるが、無くても結び方を工夫すれば済む。居ても居なくてもどっちでも良い、その程度の物なんだよ!」






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