第十二話〜⑧
「これはアンリの提案だったのだ。事件が起こった時、息子達を守護しなければならない近衛兵は、クレール以外は無傷であった。それはそうだ。暗殺などではないのだから。だが、暗殺事件とした以上、近衛連隊は何をしていたのか、という事になる。この頃、国民の非難の声はレステンクール人から王宮近衛連隊に向きつつあった。
アンリは、ローフォーク家が全てを負うと言った。自分とクレールが失態の全てを被る、と。余は反対した。ギュスターヴなどは猛烈にアンリの考えを拒絶した。クレールは、命懸けで孫達を守ってくれたのだ。あの夜に、息子を失ったのは余だけではない。アンリもクレールを失っている。それも、犬も喰わぬ夫婦喧嘩の成れの果てに、命を奪われたのだ。
この上、何故、アンリが死なねばならない。
遺される妻子がどのような想いをするのかを考えろと、余もギュスターヴもアンリを説得した。だが、アンリの決意は変わらなかった。レステンクール人を犯人に仕立てあげたその時から、そうせねば国内外に示しがつかない事を、彼は分かっていたのだ」
緊張は、日々増して行く。
フィリップ十四世達は、宮廷人達の前でアンリの断罪を演じ、ローフォーク家とレステンクール人に全ての責任を押し付けた。
苦渋の内心を隠し切れずに強張り震える身は、その場にいた宮廷人達にはどう映ったのだろうか。
ローフォーク家の王宮庭園の追放も、演技の一環だ。
誰が考えても、遺された妻子に罪は無い。
いずれ、折りを見て呼び戻すつもりだった。
だが、暗殺事件のもう一方の被害者の家族であるカラマン皇帝の怒りは、そう簡単には収まらなかった。
一体、どうすべきなのか。
御前会議で提案されたのは、領土の一部割譲と王女マリーをカラマンへ人質として差し出すというものだった。
これには、マリーのグルンステイン王女としての権利放棄を行わない事が最も重要になる。そうする事で、カラマン帝国でのマリーの存在価値は高まり、身の上を守る武器にもなるからだ。
マリーが子をもうけることが出来る頃には、シャルルも成人して妃を娶っているであろう事を考えれば、後顧の憂いも随分と減る。
実態はただの時間稼ぎに過ぎないが、カラマンも無闇に突っ撥ねる事は無いだろうと踏んだのだ。
追い詰められているとは言え、連邦国家内では最新の軍事技術と軍隊を抱える国を相手にしては、カラマンとて軽傷では済まないからだ。
幸い、と言うべきか、マリーは精神的な衝撃から事件の記憶が抜けていた。
この提案をしたのは、法務大臣秘書官にまで出世していたグラッブベルグ公爵(当時はモーパッサン伯爵)だった。
十二月の半ば、レステンクール人達とアンリの処刑が執行された。
刑の執行は、アントワネット広場にて行われた。
王都リリベットの中心部である広場は、叛徒と裏切り者の頭が転がり落ちる瞬間を待ち望む市民で溢れ返っていた。
処刑に立ち合う妻と次男に、王家の家紋が入った馬車を用意したのは正解だった。アンリの首が斬り落とされた直後に降り注いだ石飛礫から、母子を辛うじて守ることが出来たのだから。
母子を王宮庭園から追放したのちに、フィリップ十四世はモーパッサン伯爵と長女アデレードの婚姻を認めた。
この結婚を、王妃ヴィクトリーヌと宰相ギュスターヴは猛反対した。
モーパッサン伯爵はアンリが警戒していた男だ。
だが、どんな理由があろうとも、求めてくれる男に嫁ぐ事は娘の幸せに繋がるとフィリップ十四世は信じていた。
モーパッサン伯爵には王女の夫に相応しく公爵位を叙爵し、年が明けて立ち歩くことが可能になったシャルルの王太子の儀式を待って二人は結婚した。
子が出来たとの報告があったのは、
フィリップ十四世は喜んだが、事件以降、気鬱を患っていたアデレードの体調は著しく悪い。
そこにローフォーク領での墓荒らしの噂が届き、寝台から起き上がることが出来なくなるほど悪化してしまった。
グラッブベルグ公爵から、アンリの妻オーレリーにアデレードの看護を頼みたい、と申し入れがあったのは、それから間も無くの事だ。
アデレードの体調不良は、信頼している侍女官長オーレリーと、あの様な形で引き離された不安も一因にある。
このままでは、
しかし、二人が傍に居てくれるならばアデレードの不安も多少は和らぎ、体調も改善することだろう。
それに、公爵の嘆願はローフォーク家をどうやって王宮庭園に呼び戻そうか、考えあぐねていたフィリップ十四世にとっても好都合であったのだ。
そうして、墓荒らしがグラッブベルグ公爵の差し金だとも思わずに、アンリとクレールの大切な家族を預けてしまった。
「我ながら、眼識の粗末な事だ。アンリが何故、彼を注視していたのか。妻とギュスターヴが猛反対をしたのか、もっと良く考えるべきであった」
しかし、答えは変わらなかったと思っている。
そもそも、人の心の機微に敏感であれば、もっと息子夫婦の不和に寄り添い、とりなすことが出来たはずなのだから。
昨年の追悼の式典での
兄王のその様な鈍感さに、妹はあらゆる怒りで煮えたぎっていたのだ。
フィリップ十四世は、それに対して逃げた。
この時にはすでに、グラッブベルグ公爵がローフォークをどの様に扱って来たのか、報告を受けていた。
フィリップ十四世は、それらを隠匿せねばならないと必死だったのだ。
昨年末に起きたシュトルーヴェ伯爵暗殺未遂で、シュトルーヴェ家とエリザベスにかけた圧力も、グラッブベルグ公爵を断罪することでローフォークの罪が暴かれることを恐れたからだ。
グルンステインの国王という立場にありながら、アンリとクレールの献身に何一つ報いることが出来ない自身に、不甲斐なさと後悔ばかりが募る。
国の為に嘘を吐き、犠牲を強い、取り繕い、誤魔化し、見て見ぬふりをした。
結果、今がある。
得られた現在は、フィリップ十四世の望んだものとは、全く真逆の答えを出した。
「もっと早く、自らローフォーク家に真相を告げねばならなかった。せめて、アンリの妻であるオーレリーにだけでも。いや、若しくはグラッブベルグ公爵に別の形で褒賞を与えるべきであった。そうすれば、カレル・ヴィルヘルムは、きっともっと明るい道を歩めたのだ」
己れに政治の才能がない事は分かっていた。
だから、グラッブベルグ公爵の政治手腕の高さに頼り切りになり、断ずる事が出来なくなっていた。
己れの判断は、最初から間違いばかりだ。
それが、どれだけ多くの無辜の民を犠牲にして来たか……。
栗の実色の髪の少女もまた、巡り巡って、その因果に巻き込まれた一人なのだ。
「彼の罪は、余の罪だ」
フィリップ十四世はきつく両目を瞑る。
シュトルーヴェ伯爵は、口をへの字に曲げて込み上げる涙を堪えた。
国王も政治の奔流の中でローフォーク家を守ろうとし、思うように行かない歯痒さと罪悪感に苦しんでいたのだ。
口惜しいのは、自分達を信用してもらえなかったことだ。
自分達はアンリ・ヴィルヘルムを脱獄させようとした叛逆の徒。
しかし、それが友人の意志であったのなら、遺された妻子の為に国王達と共に全力で彼等を守っただろう。
「シュトルーヴェ伯爵、ソレル男爵」
シャルルは深い青い瞳に決意を灯して、二人へと向けた。
「私達はこれらの事を、これからも隠し続けます。十二年もの間、隠蔽して来た事件の真相を明かすことは、新たな国家間の争いを生む。今、安定して見える連邦国家も、その実情は各国小さな火種を燻らせている状態です。
母が父を殺し、父が母を殺した事実は、必ず皇位を巡って対立している五つの国を刺激します。それに引き摺られる様に、プロイスラーやアルトマーク、シュテインゲンも自国を優位に立たせる為に暗躍するでしょう。アンデラに対しても、絶好の侵攻の機会を与える事になる。私達は導く者として、自己陶酔の為に国民を犠牲には出来ないのです。ですから……」
言葉を切り、シャルルは唇を噛み締めた。
「ローフォーク子爵に真実を伝える事は出来ても、結局、彼の父君と兄君の名誉を回復させることは出来ないのです」
申し訳なさそうに、悔しそうに、シャルルは言った。
シュトルーヴェ伯爵は横に首を振った。
「カレルは、その様なことは気にしません。むしろ、真実を知って、父と兄の献身を誇らしく思うでしょう。彼等の忠誠心を覆すことは誰にも出来ない。それが、ローフォーク家の者なので御座います」
泣きそうな顔で微笑む伯爵の言葉に、シャルルもフィリップ十四世も頷く。
「そうだな。彼等は、そう。そうであった」
国王フィリップ十四世は目元に滲んだ涙を拭い、小さな笑みを口元に浮かべた。
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