第十二話〜⑦

 古城の事件が起こった日、アリンダはか細い身体の内側に隠していた全てを吐き出した。


 こんなにも愛しているのに。

 あの女はもう居ないのに。

 居ないと思っていたのに。

 死んでまで私から貴方を盗もうとする。


 貴方が私を愛してくれないから。

 だから、消し去ったのに。

 それなのに、どうして。

 どうして。どうして。

 どうして。


 貴方は私の欲しいものを何一つ下さらない。

 私を愛してくれないのなら、

 誰かに盗られるくらいなら、

 こんなにも苦しいことばかりなら、

 もう、何もかも要らないわ!


 アリンダは絶叫し、暖炉横の火搔き棒を手に取った。

 そして、大きく振り被り、疲れ果ててしまい椅子の上で項垂れていたエドゥアールに振り下ろした。

 不意を突かれたエドゥアールは、真正面からこの一撃を喰らった。


 夫婦の揉め事の際は、側仕えの使用人や近衛兵達を遠ざけていた。

 アリンダの癇癪が使用人に向いたり、近衛兵が間に入ることで余計に怒りが過熱することが、これまでにも幾度もあったからだ。

 この時も、エドゥアールはただ一人で妻の訴えを受け止め、説得し、収めるつもりであった。

 アリンダを制止する者はいなかったのだ。


 エドゥアールが床に崩れ落ちても、アリンダは殴打する手を止めなかった。

 異変に気付いたクレールが乱入し、火搔き棒を取り上げた。

 アリンダは甲高い奇声を発して夫婦の寝室を飛び出し、その行く先が子供達の部屋であると予測したエドゥアールは、主君の怪我を気に掛けるクレールに子供達を守るように命じた。


 クレールは迷った。

 エドゥアールの額は大きく裂け、出血は尋常ではなかったのだ。応急で当てたハンカチもすぐに真っ赤に染まった。

 マリーの悲鳴が届き、エドゥアールは再び子供達を守るように、信頼する家臣に頼んだ。

 クレールは頷き、部下に主君を預けて走った。

 そして、彼は子供達を庇って死に、我が子を手に掛けた妻との修復はもはや不可能と見たエドゥアールは、アリンダの命をその手で終わらせることにしたのだ。



     *   *



「陛下に、御訊ね致します」

 シュトルーヴェ伯爵の身は震えていた。

 怒りを必死に身の内に封じ込め、身を正し、フィリップ十四世に問うた。


「アリンダ妃殿下の苦しみの告白も、エドゥアール殿下の御心の吐露も、お話を聞く限り、御二人しか知り得ない遣り取りと推察致します。ですが、陛下はそのように御二人の心情、行動を詳細に御存知だ。私の考え過ぎでなければ、事件のあった夜から陛下が駆け付けるまでの二日間、エドゥアール殿下は御存命であったのではありませんか?」


 フィリップ十四世は頷いた。

 事件の報せを受け、フィリップ十四世はエドゥアール達が移送された治安維持軍第十二師団の本部に、側近達と共に急ぎ向かった。

 厳重に警備が布かれた部屋で、フィリップ十四世はアリンダの死亡を確認し、無事であったマリーを抱き締め、予断を許さないシャルルの手を握り励ました。

 そして、エドゥアールの今際の際に立ち会い、事の真実を知ったのだ。


「では、何故! グルンステインはカラマンと戦うことを選ばなかったのです。エドゥアール殿下のなさった事は正当だ! 妃殿下は夫を殺害目的で襲い、グルンステインの後継者を死に追いやった。我々にはカラマン帝国を非難する資格があった! だと言うのに、それらを隠し、レステンクール人を犠牲にしたのは何故です。何故、クレールの献身的な働きを知っていながら、アンリを処刑したのです! 彼は……、彼等は、一体何の為に死んだのですか!」

 シュトルーヴェ伯爵は声を荒げた。

 だが、何故そのようなことに至ったのかなど、すでに答えは出ている。


「アンリがそれを強く望んだのだ」

 分かりきっていた返事に、伯爵は眉尻を下げ唇を噛み締めた。


 事件直後、王太子家族の身に起こった惨劇は、事実と異なる形で国内に広まった。

 始まりは、事件があった古城の小さな村からだ。

 王太子夫妻の死を受けて、村に居たグルンステインからの入植民がレステンクール人の仕業を疑い、揉めた末に双方が大怪我を負った。

 疑惑から揉め事に至った原因は、視察旅行前の厳戒態勢の中でレステンクールの残党による襲撃計画が明るみになり、大々的な取り締まりがあったからだろう。


『レステンクール人は、我々に恨みを抱いているに違いない』

 そのような疑心が既に存在していたのだ。


 小さな村の争いは事件の噂と共に急速に国内全土に広がり、大虐殺が始まってしまった。

 フィリップ十四世は治安維持軍を派遣して、レステンクール人の保護と暴徒の鎮圧に取り掛かったが、悪質な病のような狂気は、時に軍隊にまで牙を向いた。

 その間、カラマン皇帝を始め、フィリップ十四世のもとには各国からの責任追及の書簡が届いた。

 ジュール四世は、『包囲戦争』後にフィリップ十四世が執った融和政策を再三見直す様に苦言を呈していたこともあり、妹の死の責任の所在を明確にするように求めていた。


 フィリップ十四世も宰相ギュスターヴも、当初は真実を公表し、カラマン帝国に対する徹底した抗議をするつもりだった。

 散々に宮廷を荒らした挙句の、あの所業である。

 だが、国内の混乱に手間取っている間に、事態は真実とはかけ離れた状況へと、どんどん転がって行く。


 周辺国の動きは不穏になり、グルンステインとカラマンの軍事衝突を首を長くして待ち構えていた。

 グルンステインに攻め入る口実さえあれば、アリンダの凶行を公にしたとして、それは周辺国にとってはどうでもいい事なのだ。


 一つ対処を間違えれば、グルンステイン王国は第二のレステンクール王国となるギリギリのところまで、瞬く間に追い詰められた。

 三日三晩続いた狂乱は、糸が切れたように突如止んだ。

 国民は茫然と立ち尽くし、力無く座り込む。

 そうとは知らずに無実の民への暴虐であかく汚れた指を組み、王太子一家の為に涙を流す国民には、外国と戦う気力は残ってはいなかった。

 選択肢は、皆無だ。

 だが、目の前にある『それ』を手に取ることは、フィリップ十四世にとっても宰相ギュスターヴにとっても、これまでのグルンステイン人として生きてきた誇りを喪うに等しい事だった。


 国民を犠牲にすることは出来ない。

 シャルルも、マリーも生きているのだ。

 守らなくてはならない生命は、私人としても公人としても、数え切れないほどあった。

 それでも、責任の全てをレステンクール人になすり付ける事は憚られた。


 そんな時、一人の若者が王都の治安維持軍に逮捕された。

 その若者は、自分が王太子夫妻を殺害した犯人だ、と門前で叫び、周囲にいた市民達に私刑リンチを受けたところを第二連隊に保護されていた。

 フィリップ十四世はその若者を調べさせ、言葉を呑む。

 若者は、シャルルを庇いアリンダに殺された、ロイソン子爵令嬢の婚約者だったのだ。


 若者は、『世間知らずの貴族令嬢は頭が弱く、会いたいと言えば簡単に騙せた。まさか自分の婚約者がずっとこの機会を狙っていたとも知らずに、全く馬鹿な女だ』と、子爵令嬢を酷く侮辱した。

 そんな訳がない事を知っていたフィリップ十四世は、彼が何故そのような真似をしたのか分からなかった。


 この事はすぐに市民の間に広まり、再びレステンクール人への憎悪が膨らんだ。

 もはや、後戻りの出来ない状況に、フィリップ十四世は誇りを捨てる決断をせねばならなかった。


 事件の発生から十日後、峠を越えたシャルルを新たな王太子に指名した。

 翌日、王太子夫妻の死亡はレステンクール人による暗殺であると、フィリップ十四世の名の下に公告を出した。実行犯の罪を押し付けられたのは、以前に逮捕された亡国の武力勢力とあの若者だ。

 さらに、シャルルの王太子指名の発表の場で、アンリ・ヴィルヘルム・ローフォーク子爵の、王宮近衛連隊長解任と処刑の決定も公にした。


 動揺が広がる中で告げた罪過は、近衛連隊が賊の侵入を許し、王太子夫妻を結果的に死に至らしめた事。

 そして、王女マリーを危険に晒し、王子シャルルの命が危うい状況になるまで対処しなかった事。

 王家より代々近衛の長を務めることを認められていながら、その信頼を裏切った背信の罪だ。


 反対の意見は、その場ですぐにあがった。

 だが、アンリがフィリップ十四世の前に跪き深くこうべを垂れると、誰もが押し黙った。


 

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