第十二話〜④

「カレル兄様が悪いことをしたと言うのなら、それは後見人であった父の責任です。父が犯してきたことも、兄様がさせられてきたことに対する罰も、グラッブベルグ公爵家の跡継ぎである私も共に背負います。だから、お祖父様……!」

「分かっておる。案ずるな」

 幼い孫息子の素直な髪を撫でながら、フィリップ十四世は言った。


 それでもベルナールは鼻の頭を赤くし、口を曲げている。

 己の祖父が長年ローフォーク家を忌避していたことを知っているのだから、致し方のないことだ。

 フィリップ十四世はもう一度、ベルナールの頭を撫でた。


「償わねばならぬのは、余の方なのだ」

 飴色の瞳が不思議そうに見開かれた。


「幼い其方が知るには、些か辛い話だ。だが、子爵を慕っているのならば、知る必要があろう」

 そう言うと、フィリップ十四世は傍らのシャルルに視線を送った。

 心得たシャルルは手を挙げ、人払いをする。


 政務室に残ったのは、伯爵とソレル師団長を含めた五人だけとなった。

 一度、ソレルは退室しようとしたが、フィリップ十四世に引き止められた。

 ソレルが伯爵と共に先代ローフォーク子爵アンリの処刑を妨害しようと画策し、牢に押し込められたことを覚えていたのだ。

 改めて恐縮するソレルに、フィリップ十四世は小さく笑みを返した。


 フィリップ十四世は、窓向こうの暗闇を見遣った。

 そちらの方角にはアン王女の離宮がある。

 そこでは、今まさに孫の一人が命をかけて出産に挑んでいた。

 十二年前の事件を生き残った子が、新たな命を生み落とそうとしているのだ。


 フィリップ十四世は苦しげに一つ息を吐いた。

 そして、唐突に核心を告げる。

「十二年前の事件……。あの事件に暗殺犯はおらぬ。あの事件は、我が息子と息子の妻であるアリンダの殺し合いだった。我々は、その真相を隠蔽する為に、レステンクール人、そしてローフォーク家に罪を擦りつけたのだ」


 伯爵は思わず両手で顔を覆った。

『ああ、兄さん。貴方は……』

 目頭が熱く、胸の奥から込み上げてくるものがある。


 何故、王太子とその妻が殺し合いをしたのか。

 何故、カレルの兄クレールが剣を抜けなかったのか。

 何故、アンリが死なねばならなかったのか。

 何故──。


 シュトルーヴェ伯爵は、フィリップ十四世の短い告白で全てを理解した。


『貴方は、自らあの死を選んだのか』



     *   *



 先の王太子エドゥアールと妃アリンダは政略結婚だ。

 少なからず、グルンステイン側の大半はそう考えている。

 二人が婚姻を結ぶに至った切っ掛けは、先帝の崩御により新たにカラマン皇帝となったジュール四世を、『聖コルヴィヌス大帝国』の『大帝』として信任する『大帝国会議』での事だった。

 会議後に催された皇帝主催の夜会の折り、皇帝の妹であるアリンダがエドゥアールに一目惚れをしてしまったのだ。


 アリンダは美しい皇女だった。

 北部の同盟国家エウヘニア大公国の公女を母に持ち、北部民特有の白金プラチナの髪と白い肌、鮮やかな青色の瞳は雪原に広がる快晴の空のように爽やかで、明るくコロコロと変わる豊かな表情は愛嬌があり、初めて対面した者は、皆が皆、アリンダに好感を持った。


 この時、アリンダは二二歳。

 女性の初婚としては遅かったが、先帝が娘の嫁ぎ先を選り好みしていた事と、兄皇子が妹を国外に出す事を嫌がっていた事が理由にあったようだ。

 だが、新皇帝ジュール四世は愛する妹の哀願に負け、夜会のまさに最中にフィリップ十四世に口頭での申し入れを行い、後日、正式に場を設けて婚約は成った。


 帝国から嫁いできたアリンダのエドゥアールへの熱愛は、始めのうちは周囲には好ましいものに映っていた。

 夫が視界にいるだけでニコニコと機嫌が良く、まるで親鳥の後ろを付いて歩く雛のように始終一緒にいたがる新妻は、それはそれは微笑ましいものだった。

 女性の扱いなど、細やかな気配りが苦手なエドゥアールも、不器用ながら妻を大切にしたものだ。

 夫婦仲は睦まじく、アリンダはすぐに妊娠した。


 アリンダという女に違和感を覚え始めたのは、いつからだったか。

 翌年の八月にシャルルが生まれてから、その違和感は明確に形となって現れ出した。


 アリンダは、シャルルを愛さなかった。

 理由はシャルルの容姿だ。

 美しい夫の写し身を望んでいたアリンダは、グルンステイン家の血がはっきりと出た息子の顔立ちに落胆したのだ。

 出産直後、我が子を見た瞬間にアリンダは溜息を吐き、以降は一度もシャルルを抱くことは無かった。


 アリンダは育児の全てを乳母達に丸投げした。

 通常、王侯貴族の妻達が自らの乳を子に与えることはない。

 それでも、様子を知り、環境に配慮し、親として配るべき心は多くある。敢えて接触を控え甘やかさないようにし、厳しく躾ける家庭もあるだろう。

 それなのにアリンダは赤子が熱を出しても、初めての伝い歩きを報告しても、耳にも目にも入っていない。

 アリンダの心の全ては、いつだって夫エドゥアールにのみ、無邪気に向けられていた。


 そのエドゥアールは、シャルルを大変可愛がった。

 ともすれば、女性的な繊細な美を感じさせる父親とは真逆の、凛々しくも愛嬌のあるやんちゃな面立ちのシャルルは、武を好むエドゥアールにとってグルンステインの王子に相応しい男児だったのだ。

 そして、大事な後継者であるだけでなく、父親としての愛情があった。


 政務の合間に我が子の部屋へと訪れ、まだ誰が誰かも認識出来ないであろう赤子を慎重に抱き上げては、グルンステインの歴史を語り、王者としての心得を教え、一緒に遠駆けをしたいから早く大きくなれ、と愛を込めて無茶を言い、小さな額や頬にキスを落とした。

 その姿はまさに父親であり、無垢な笑顔を向けるシャルルとは、間違まごうことなく親子だった。


 思うところはあれど、多くの人々の愛情を受けて健やかに成長するシャルルは、グルンステイン宮廷を笑顔で満たしてくれた。

 その日々は、フィリップ十四世にとっても幸福な日々だったのだ。

 そんな中で、アリンダだけが鬱屈を溜めていた。


 子供が生まれて一年が経つ頃には、夫婦の関係はすっかり冷え切っていた。アリンダのシャルルへの態度は、エドゥアールの不興を買っていたのだ。

 それまでの間、エドゥアールは幾度も話し合いをしようとした。

 しかし、アリンダは夫の腕に絡み付くばかりで、まともな話し合いにはならない。

「次はきっと貴方に似た王子を生みます。そうすれば、貴方はあの子にこだわる必要も無くなる。跡継ぎは他にもいるのだから。貴方と私と貴方に似た子と、親子三人で仲良く暮らしましょう」

 シャルルの存在など片隅にも無い言葉を平然と吐く妻に、我が子を溺愛するエドゥアールが嫌悪を抱くのは当然の事だった。


 その日を境に、エドゥアールは政務を口実に妻と会う時間を減らすようになった。寝所への足が遠退いたのは言うまでもない。

 最初の内、アリンダは何故自分が夫に避けられているのか理解出来ずに泣いていた。


『兄皇帝の反対を押し切って愛する人のもとへ嫁いだ皇女』


 アリンダは、ただひたすらに自分の恋心に忠実で、夫が世界の全てだったのだ。

 やがて、アリンダの悲しみは、夫が他の女に心移りをしたのではないかという疑心に変わっていった。


 その疑心は、最初に自分の侍女官達への暴言となって現れた。

 誰かが夫に恋慕し、アリンダとの仲を引き裂こうとしていると思い込んだのだ。

 その誤解を助長することになったのは、宮廷で密かに広まっていた噂だ。


 折りしも、この時期にレステンクール王女ルイーズの帝国への輿入れが決まった。

 ルイーズは、グルンステインの王位が欲しい父王によって、執拗にエドゥアールとの縁談を画策されていた王女だ。

 宮廷の人々のアリンダに対する不満は、彼女とルイーズを比較し、どちらがよりマシな王太子妃になったかと彼等を議論させ、やがて『エドゥアールとルイーズは実は密かに想い合っていたのでは』という噂を広めるに至ったのだ。

 エドゥアールにとって事実無根に他ならないが、アリンダを追い詰めるには充分だった。


 夫婦の間には喧嘩が増えた。

 その殆どが、侍女官や宮廷女中への八つ当たりをエドゥアールが諌め、アリンダが癇癪を起こすというものだった。

 その癇癪は、やがてシャルルにも向けられるようになる。

 甲高い声で父親に似なかったことを責められるシャルルは、自己の確立もままならない幼児だ。

 シャルルは母親を恐れるようになり、フィリップ十四世は帝王教育を理由に母子を引き離さざる得なくなった。


 それでも、一時は夫婦の仲が改善した時期もあった。

 アリンダに泣き付かれたカラマン皇帝からの助言恫喝を受けて、当時の宰相が寝所に通うようにエドゥアールを説得したのだ。

 アリンダの苛立ちを、シャルルに向けさせない為でもあった。

 アリンダは夫の愛が戻ってきたと喜んでいたが、エドゥアールの妻への愛情はとうに枯渇寸前だった。

 

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