第十二話〜③
ローフォークを追い掛けようと騎士達は手綱を打つ。
だが、銃声が鳴り響いたと同時に、一人が呻き声をあげて地面に落下した。続く銃声にもう一人が馬上で腹を押さえて蹲る。
さらにもう一発、一人残っていた護衛騎士が肩を撃たれて落馬した。
誰がそのような技を見せたかなど、確認するまでもない。
騎士達を見返すことなく、ローフォークは馬車を追い掛けた。
馬車は想定していたよりも近い場所に居た。
ジェズに撃ち込まれた弾丸によって車軸に歪みが生じ、速度を上げられなくなっていたのだ。
軋んだ嫌な音を立てながら、馬車は後部補助席の従者達を振り落とす勢いで揺れ走っていた。
「ベルナール様!」
呼び声に従者達がローフォークの存在に気付いた。
懐から拳銃を取り出そうとしたものの、激しく揺れる車体から落ちないようにしがみ付くので精一杯で、片手を自由に出来ない。
その内、車輪が地面の凹凸にはまり、車体が跳ねた拍子に車軸が折れた。
勢い余って、従者が一人転げ落ちた。
馬車は大きく左後ろに傾ぎながらも、残った三本の車輪で走り続ける。
転がってきた車輪と地面に突っ伏して動けなくなった従者を躱し、ローフォークはカラマン大使の馬車に詰め寄った。
「ベルナール様!」
再度の呼び掛けが届いたのか、車内で揉みくちゃになりながらも必死に窓に取り憑く少年の顔が見えた。
その面立ちは、間違う事なくベルナールのものだ。
ベルナールは扉を開けようとして振り払われて、何度も車内に転がっていた。同乗者がいるのか、誰かに向かって話し掛ける様子もある。
ローフォークは馬の尻を叩き駆け足を速め、前方の御者台に回り込んだ。
果たして、そこにはカラマン大使の御者と、視界に収めるのも腹立たしい朱殷色の髪の男が居た。
「マートン!」
「よう、久し振り。お前、こんな所で何やってんだ? てっきり今頃は牢屋の鉄格子にへばりついてベソでもかいてると思ってたのになぁ!」
マートンはにやにや笑って言った。
ローフォークはそれを無視して叫ぶ。
「馬車を止めろ!」
「やなこった」
おもむろに拳銃を抜いたマートンは、ローフォークが馬を退げる間も無く銃を撃ち放った。
頭を撃たれて
振り上げられた馬車鞭は、引き馬の横っ面を鋭く打つ。
ただでさえ異常事態が発生し興奮していた馬達は、顔の切るような痛みに完全に混乱を起こした。
嘶き、その場から逃げようと必死に走る。
しかし、馬体には
「お前がいるんじゃ、予定は変更だ。あばよ、カレルちゃん!」
それだけを言うと、マートンは自ら御者台を飛び降りた。
振り返った道の先に、受け身をとって転がる男の姿がある。そのまま難なく立ち上がり、近くの林道に逃げ込むマートンを見てローフォークは舌打ちをした。
またしても逃げられたことに憤ったが、今は馬車を安全に停めなければならない。
三輪で闇雲に走っていた馬車は、後部の残った一輪も異常音を立て始めている。
「ベルナール様! しっかりと掴まっていて下さい!」
ローフォークは馬腹を蹴り、騎乗している馬を進行を妨げるように馬車前方に移動させた。
脚を遅めたり速めたり、衝突を回避しながら徐々に全体の速度を落として行く。興奮していた馬車馬も、眼前の騎馬の誘導によって、しだいに正気を取り戻して行った。
やがて、馬車馬達は興奮が冷めやらないものの、完全に脚を止めた。
ローフォークは馬を降りて、今まだ荒く足踏みする馬車馬達の装具を解いた。
馬達を解放した途端、それまでどうにか保っていた後部右車輪の車軸が折れて、車箱が勢いよく地面に尻を着いた。
罅の入っていた窓硝子は完全に割れ落ち、これに落ち着き始めていた馬達が吃驚して、逃げ出してしまう。
「ベルナール様、御無事ですか⁉︎」
車箱に駆け寄り扉を開けると、そこではベルナールが後部座席に転がっていた。
「カレル兄様!」
ローフォークの姿を見た途端に起き上がり、弾ける声で名を呼ぶ。
自力で馬車から飛び出した少年をローフォークはきつく抱き締めた。
命に関わる怪我は無いと知り、安堵の溜息を吐く。それから、濃紺の瞳は鋭く変貌し、同乗していた人物に敵視を向けた。
馬車の中に残った同乗者は女だ。
軽装だが身形は良く、それなりの身分であることが分かる。
この頃になって、漸くフランツ達が追い付いて来た。
奪ったカラマンの護衛騎士達の馬から、フランツに続いてジェズとドンフォンが降り立つ。
「ベルナール様は御無事か?」
「ああ。だが、犯人に逃げられた。やはりマートンだ」
「執念深い奴だ」
フランツは吐き捨てた。
「こっちは道中、粗方武装を解いて縛り上げて来た。今頃、ソレル師団長が連中を拾いながら馬車に放り込んでいるところだ」
フランツは、ジェズとドンフォンによって馬車から救出された女に、眉間を寄せた。
「カラマンの大使夫人だ」
それは、いよいよ誤解ではなく、第一皇子派と思われていたカラマン大使の背信を示していた。
それとも、初めから皇妃派だったのか。
地面に座り込んで動けなくなった大使夫人の前に、フランツは片膝を着いて向き合った。
「エキューデ伯爵夫人、貴女には色々と聞きたい事がある。治安維持軍本部まで御同行を願う。拒否は認めない」
鋭い翠の瞳に射竦められた夫人は、全てを諦めた顔で項垂れた。
それを横目に、ローフォークはドンフォンに拳銃を求めた。
弾込めを終えた拳銃を手渡しながら、ドンフォンが問う。
「銃なんて何に使うんですか。公爵令息は救出したんですよ?」
「マートンを今度こそ仕留める」
「待って下さい、何を言っているんですか。陛下との謁見があるんですよ⁉︎ マリー殿下とは一刻を争うんです。そんなもの、第一連隊に任せておけば良いんですよ!」
驚愕するドンフォンに、ローフォークは
「今から第一連隊の詰め所に行って通報して、ここに到着するまでにどれほど掛かると思っている。その間に奴は庭園から逃げ切っている」
「そうかもしれませんけど……!」
「フランツ!」
ドンフォンの戸惑いを他所に、ローフォークはこの遣り取りを聞いていた友人を呼ばわった。
「悪いが、ソレル師団長への言い訳を頼む。陛下へは……」
「父がする。気にするな」
フランツは口の端を引き上げて笑った。
その笑みを受けてドンフォンは呆れ顔になり、ローフォークは不敵に笑い返した。
『今更だ』
闇深い林を睨み付ける。
何故、マリーが自分に会いたがっているのかなど、知れている。
ローフォーク家は家臣として王家の寵愛を受けていながら、肝心な時にその役目を果たせなかった。
今更、どのような
その上、間抜けにもまんまと騙されて犯罪者へと堕ちた身で、宮廷に足を踏み入れるなど赦されるはずもない。
だが、
せめて、
この眼前の憂いだけは排除したい。
今、奴を逃してしまえば、あの掴みどころの無い霧のような男は、延々と纏わりついてくるだろう。
幾度も、グルンステインは脅かされ続けるのだ。
ローフォークは拳銃を
* *
「そうか、彼は来ぬか」
フィリップ十四世は重苦しく息を吐いた。
国王の膝では、ベルナールが顔を伏して蹲っている。
傷だらけの小さな手が膝掛けを強く握って離さなかった。
「ローフォーク家の者らしい」
そう言いながらも悲しげに瞼を閉じる姿を、シュトルーヴェ伯爵は複雑な思いで眺めていた。
伯爵の傍らには、本来ローフォークを連れて来るはずだった第一師団長のソレルが恐縮して控えていた。
フランツ、ジェズ、ドンフォン達、三人の姿は無い。
彼等はローフォークと共に、マートンを追って行ったのだ。
ベルナールの誘拐に加担したカラマン大使夫妻はすでに拘束され、王宮近衛連隊の本部に連行されていた。
「カレル兄様は、私にすぐに気付いてくれました」
祖父王の膝に伏しながら、ベルナールは震える声で言った。
「馬車の中は暗かったのに、すぐに私だと気付いてくれたのです。アニエスだって、カレル兄様だから助けることができました」
ベルナールは
だが、その表情は凛々しく、強い意志を持ってフィリップ十四世を見上げていた。
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