第十二話〜②

     *   *


 淡い光の差す夜道を馬車が奔る。

 馬車灯とささやかな月明かりを頼りに可能な限り速く進む馬車は、車箱に治安維持軍の紋章を抱えていた。

 御者台には二人、後部補助席にも二人、周囲には騎乗した兵士が四人馬車を囲んで並走している。


 急ぎ足で進む揺れの強い車内で、ローフォークは自分の足元に視線を落としたまま、無言の時間を過ごしていた。

 突然、追放処分が解かれたと思ったら、強引に押し込まれた馬車の中で、フィリップ十四世に召喚を受けたと告げられた。

 さらに謁見も準備されていると伝えられ、わけが分からないままに馬車は走り出した。


 グラッブベルグ公爵に関する事なのだろうと、察しは付いた。

 だが、何故わざわざ謁見を行う必要があるのかが分からなかった。国王フィリップ十四世自らグラッブベルグ公爵を処分するにしても、ローフォークの証言など、いまさら必要だとも思えないのだ。


 それとも、これをローフォーク家を断絶させる好機と考えたのだろうか。

 それなら、それで良い。

 とうに腹は括っている。

 何も知らない母さえ穏やかに過ごせるのなら、自分の首が刎ねられることになっても些細なことでしかない。

 しでかした事に対する、相応の報いを受けるだけの話なのだから。

 それでも、フィリップ十四世の前に立つのだと思うと、恐怖に似た感情が胸中を支配した。


 だが、馬車が走り出してから打ち明けられた話は、ローフォークの予想を超えていた。

 カラマン帝国の政争。

 それに伴い亡命してきたマリー皇女。

 そのマリーに対して向けられた帝国皇妃派の害意。

 アニエスの誘拐はマリー暗殺の為の人質で、グラッブベルグ公爵はアデレードに毒を盛らせようとして失敗し、公爵家には第一連隊の捜査が入った。


 郊外の別邸で抑えられた不正行為の証拠にカラマン皇妃の密書の存在も加わり、公爵は王宮近衛連隊の本部で拘束と相成った。

 王宮庭園の公爵邸から、兄クレールの切断された首が見付かったと聞いた時は、まんまと騙された自分があまりにも滑稽で、思わず苦笑がこぼれもした。


「マリー殿下が、お前とロイソン殿に会いたがっているのだ」

 改めて自分の愚かさに悔しさが込み上げた時、正面の座席に座る師団長ソレルが言った。

 今、マリーは産気付き、隠れていたアン王女の離宮で出産の最中なのだと言う。

 グラッブベルグ公爵の事があり一時は服毒が疑われたが、元々いつ生まれてもおかしくない時期に入っていた。

 そのような状態で強行した亡命は出産を早めてしまったのだ。


「詳細などは聞いていない。だが殿下の願いを陛下が聞き入れて謁見が行われる事になった。もしかしたら、あまり良い状態ではないのかもしれん」

 この言葉に、ローフォークは眉を下げて唇を結んだ。


 やがて、馬車は王宮庭園の重厚な門を抜ける。

 暫し、重く張り詰めた沈黙が車内に満ちていた。

 つと、車箱の御者台側の壁が叩かれた。

 小窓からフランツが顔を覗かせ、正面から一台の馬車らしき影が迫って来ていることを告げた。


 小窓から見える先の夜道に、確かに小さく揺れる馬車灯が見えた。

「誰の馬車か分かるか」

 ソレルが問うと、フランツは後部の補助席に声を掛けた。後部にはジェズとドンフォンがいる。

 ジェズはローフォークが王宮庭園に赴くにあたって、「自分にも見届ける権利がある」と補助席にしがみ付き、ドンフォンもローフォークの副官として同行を強く願ったのだ。


 夜目の利くジェズは車箱の屋根に身を乗り出し、弾嚢だんのうの一つから出した単眼鏡を覗き込む。

「車両の正面に紅い獅子が見えます。獅子は二頭。互いに向かい合っていて、頭部の高い位置から白光が射したしるしです」

「カラマン大使の馬車ですね」

 ジェズが告げる馬車の特徴を、ドンフォンが補足した。


 ソレルは怪訝に眉を寄せる。

「今時間に王宮から市内の大使館へ戻るのか? マリー皇女が出産中だというのに」

 仮に出産がすでに終わっていたのだとしても、出産直後の皇子妃の体調を考慮して宮殿に待機するのが筋だろう。宮廷もその為に部屋を用意しているはずだ。


「停車をさせて検めますか?」

「いや、相手は飽くまでカラマン帝国の紋章を抱いている。我々に権限は無い」

 二台の馬車は、それぞれが速度を落として道の端に寄った。

 こちらの馬車が停車をし、大きな車両のカラマン大使の馬車がゆっくりと横を通り過ぎて行く。


 すれ違う瞬間だった。

 何気なくカラマン大使の馬車を眺めていたローフォークの目に、見覚えのある顔が映り込んだ。

 車窓に張り付いたその顔はすぐに車内の陰に消えたが、直前に動いた口元は、ローフォークにははっきりとこう見えた。


『助けて』


 ローフォークは転がり落ちるように馬車から路上に飛び降りた。

 危うく護衛の騎馬とぶつかりそうになり、たたらを踏んだ。馬が驚いて嘶く。その間に、カラマン大使の馬車は鞭が入った音をさせて速度を上げた。

「何をしている。馬車に戻れ、ローフォーク!」

 動き出そうとして急停車した馬車から、ソレルが身を乗り出して怒鳴った。

 ジェズやドンフォン、それにフランツと護衛の兵士達が何事かと注目する。


「ベルナール様がいた!」

「何?」

「ベルナール様がカラマンの馬車に。助けを求めていた。間違いない!」

「ソレル師団長!」

 フランツが叫んだ。

 瞬時に状況を把握したソレルが護衛兵を走らせた。

 カラマン大使の馬車を強制的に停車させようというのだ。


「銃を構えろ!」

 フランツの指示にジェズとドンフォンは素早く応じ、背負っていた小銃を立射の姿勢で構えた。


「一体、どういう事です。何故、ベルナール様がカラマンの馬車に⁉︎」

 その質問にソレルは苦々しく、はっきりと答えた。

「まだ伝えていない事がある。ベルナール様が行方不明だ。見張りが襲撃され一人が死亡した。誘拐されたと見られている」

「何故、それを言って下さらないのだ!」

「すまん。言えばお前のことだ、陛下との謁見よりもベルナール様を選ぶと思った。王宮庭園での事は第一連隊に任せれば良いと分かっていても、黙ってはいられまい」

「当然です! 伯爵といい、あなた方の世代はいつも肝心なことを話さない。では、この状況……。カラマン大使は第一皇子派ではなく、皇妃派であったと見て良いのですね⁉︎」

「それ以外になかろう」


 アニエスを人質にマリーの毒殺を図った皇妃派は、今度はベルナールを拐いグルンステインに新たな交渉を持ち掛ける腹積りなのだ。

 それがマリーと子供の殺害なのか、グルンステインを皇妃派に引き入れる為かは分からない。

 いずれにしても、フィリップ十四世を脅迫しようとしていることに変わりはなかった。


 ローフォークが苛立っている間にも、治安維持軍の護衛兵達がカラマン大使の馬車に追い付こうとしていた。ところが、彼等の前にカラマン大使の護衛騎士が立ちはだかる。

 短い遣り取りの直後、突然、銃声が鳴り響いた。

 月の夜道によろけて座り込んだ馬と落馬する人影を見たローフォークは、咄嗟にソレルの剣を抜き取った。

 こちらの護衛兵を撃ったあと、騎士達は大使の馬車を追い、見る間に遠退く。

「ジェズ!」

 フランツの声にジェズが即座に反応した。


 新型の小銃から放たれた弾丸は、後部左車輪と車箱の僅かな隙間に吸い込まれ、正確に車軸を穿った。

 銃を替え、もう一度同じ箇所を狙い撃つ。

 二度ほど補助席にいた従者達の悲鳴が聞こえたが、馬車は構わずにそのまま走り続けた。

「馬を貸せ、早く!」

 半ば引き摺り下ろすように、ローフォークは護衛兵の一人から馬を奪った。


 大使の馬車を追い掛けるすがら、護衛騎士に撃たれた兵士の安否を横目に確認する。脇腹を撃たれた兵士は命に別状は無さそうだ。馬が怪我をしている気配はない。

 先程よろけて座り込んだのは、落馬する乗り手をどうにか守ろうとしての事だと分かり、ローフォークは口元に笑みを浮かべ、すぐに引き締める。


 急迫する騎影に気付いた護衛騎士が、拳銃を構えて立ちはだかっていた。

 しかし、その拳銃がすかさず火花をあげて護衛騎士の手から弾け飛ぶ。怯んだ瞬間に振り抜いた鞘で殴られた騎士は、もんどり打って馬から落ちた。

 

 ローフォークの手は鞘から剣を抜く。

 新たに立ち塞がった護衛騎士達の真ん中に突っ込む──と思わせて、抜いた鞘を投げ付けた。


「貴様等の相手などしていられるか!」

 鞘を払い落とした護衛騎士達が慌てて馬の向きを変えた時には、ローフォークは彼等を躱して遥か先の道にいた。

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