ルイ・フランシス ⑭

     十四


 三日後、屋敷に戻ったルイを、マルティーヌと娘二人が出迎えてくれた。

 騒ぎを知っている使用人達は、傷だらけのルイを遠巻きに、不安そうに黙って眺めるばかりだ。

「あなた……。アンリ様の処刑が執行されました」

「うん」

 唇が震えて歪んだ。


「アンリ様は、マリー様と共にカラマンへ」

「うん……」


 生き残った王女マリーは惨劇の心の傷も癒えぬまま、暗殺犯とアンリの首、そして悲劇が起こったローヌ地方と自らの王族としての権利を持参金に、カラマン皇子の婚約者と言う名目の人質として送り出された。

 マリーをカラマンへ送る事を提案したのは、アンリを悩ませていたモーパッサン伯爵だ。

 モーパッサン伯爵は見事にカラマン皇帝の機嫌を直し、その褒美にアデレード王女との結婚とグラッブベルグ領を下賜される事が決まったという。


「オーレリーとカレルも、昨日、王宮庭園から居なくなってしまいました。私達は、見送る事も禁じられて……」

「……うん」

「あなた」

 マルティーヌの手がルイの頬に触れた。

 両目から溢れる涙が、その細い指先を濡らす。

 堪え切れずに、ルイはマルティーヌにしがみ付いた。


「マルティーヌ、マルティーヌ。俺は力を付けたい。誰にも屈せずに済む力が欲しい。どうしてアンリまで死ぬ必要があったんだ。俺は、カレルとオーレリーを王宮庭園へ連れ戻して、また、以前のような、幸せな日々を過ごしたい」


 兄と慕った友人の命を奪わないで欲しかった。

 死を以て償わなければならないほどの罪を、彼は犯したのだろうか。

 カレルはまだ十二歳だ。

 突然の兄の死。

 連座で処刑を賜った父。

 不名誉を押し付けられたまま追い払われて、今、少年はたった一人残った母と共にどうやって生きて行くか、必死に考えているだろう。


 ルイは自分が置かれた立場を考えた。

 国家内乱の扇動は、それこそ万死に値する大罪だ。

 だが、その大罪は宰相である父の力で不問にされてしまった。厳しい箝口令も布かれ、ルイ達が自ら口外しなければ誰もこの事を知る事はないだろう。

 カレルも、オーレリーも。


「カレルは、きっと俺を恨むだろうな」

 獄中で、アンリの処刑を強く薦めたのは父ギュスターヴだと知った。その事は、きっとカレル母子の耳にも届いているだろう。

「だけど、憐れまれるべきは俺じゃない。アンリを助けられなかった俺は、友を見殺しにしたと誹られても当然なんだ」

 だから、自分は母子からの怨嗟を浴びなければならない。

 彼等の気が済んでも、尚。


「マルティーヌ、この事は誰にも言わないでくれ。フランツにもだ。カレルもオーレリーも優しい。この事を知ったら、二人はきっと俺を赦すだろう。だけど、俺は赦されるわけにはいかないんだ」

 震える声でルイは懇願した。

 だから、だからこそ、せめて、そっとカレル達母子を守る力が欲しい。


 ローフォーク家の不名誉を濯ぎ、もう一度王宮庭園へと連れ戻す為の力が。

 憎まれても、怨まれても、カレル達を守る力が。


「マルティーヌ、俺はシュトルーヴェ家を誰も無視出来ない強い家にする。極力、政争に巻き込まれるのを避けてきた家だが、大切なものを守るためには権力が必要だ。だから、俺はまず軍務大臣を目指す。きっと、敵は多くなる」

 その敵は、国内の政敵か。外国か。もしくは、自分自身の弱い精神こころか。

「苦労をかけることになる。助けて欲しいんだ、マルティーヌ」

 マルティーヌはオリーブ色の瞳を微笑ませて頷いた。その拍子に目頭から一筋の涙が溢れる。

 ルイは思わず口をへの字に曲げて、マルティーヌを強く抱き締めた。


     *   *


 十一月の末、ギュスターヴの命令で士官学校の寮舎に軟禁されていたフランツが戻ってきた。

 フランツが事の顛末を知ったのは、すでに親友が庭園を出て行ってしまった後だ。

 激昂したフランツに激しく罵られ、ルイは黙ってそれを受け入れた。


 年が明けて間も無く、シャルルの立太子の儀式が行われた。

 一月の最後の日には王女アデレードとグラッブベルグ公爵位を賜ったモーパッサン伯爵が結婚し、アデレードは宮廷を離れて王宮庭園に与えられた公爵邸に越した。

 ルイはその間、東部要塞でひたすら実績を積み上げた。

 ローフォーク領の領館で墓荒らしが起こったのは、そのような時だ。


 アンリとクレールの遺体が掘り返され、侮辱の言葉と共に汚物を撒かれた事件は、クレールの遺体から首を切断して持ち逃げるという狂気に満ちていた。

 まるで、アンリの姿と揃える事で、ローフォーク家自体の息の根を止めてやると示唆しているようだ。墓荒らしをしでかした連中の悪意が、いつかカレルとオーレリーに向かうのではと考えると、居ても立ってもいられなかった。

 マルティーヌを介してローフォーク家の様子を知るだけに留めておくのは、ルイにはとてももどかしい。


 やがて、カレルが士官学校へ復学したとの報せがあった。

 グラッブベルグ公爵がカレルの後見人になったのだ。妊娠して体調を崩したアデレードの為に、フィリップ十四世がオーレリーを再び娘の傍に置くことを許可したのだという。

 ただし、王宮庭園への入園は許されず、郊外に屋敷を買ってそこに住まう事になった。


 漠然とした不安が、ルイの胸中を支配した。

 あのアンリが嫌い、懸命にアデレードから遠ざけてきた男がカレルの後見人になるなど、単純にアデレードの為だけが理由だとは思えなかった。

 ルイはすぐにデュバリーに手紙を送った。

 治安維持軍に所属する彼ならば、グラッブベルグ公爵の背面をより詳しく調べることが出来る。

 届いた返事に、ルイは北部トレゲネ要塞司令官の地位を捨て、治安維持軍への転属を決意した。


 軍務大臣の椅子を望むならば、陸軍で実績を積むことが最も速い。

 ルイが希望した第一連隊は王宮庭園を管轄にしている。貴族社会の汚泥という汚泥に塗れていたこの組織は、真っ当な出世を望む者からは忌避されがちな部隊だ。

 この事を知ったギュスターヴは激怒したが、知ったことではない。

 シュトルーヴェ家を警戒する、時の軍務大臣によってギュスターヴの抗議は遮られ、ルイは第一連隊の連隊長の地位に就いた。シュトルーヴェ家の足を引っ張るつもりだったのだろう。

 ギュスターヴは全てを諦めたかのように口を噤み、その年の夏、宰相職を辞し宮廷の中心から退いた。


 冬にアデレードが第一子を出産した。

 それからすぐに、王都で風邪が流行する。

 その風邪は、ルイの子供達の中から次男アンドレと三女パトリシアを奪っていった。

 母ロザリーヌは泣き崩れるマルティーヌに向かって「風邪で死ぬような弱い子を生んだお前が悪い!」と罵り、ルイとの亀裂は決定的になった。

 アンドレは十歳、パトリシアはあと数日で五歳になるという時だった。


 さらに時は過ぎ、長男フランツが士官学校を卒業して、サウスゼンとの国境要塞ドラクールに配属された。

 フランツとは、あの日からずっと真っ当に口をきいていない。マルティーヌは懸命に仲を取り持とうとしたが、父に反発を繰り返していた若かった頃のルイの様に、王宮庭園の屋敷に戻ってくるのは必要最低限だった。

 そんな関係に変化が起こったのは、王太子夫妻暗殺事件から約二年が経った一月のある日の事だ。


 一面に薄っすらと雪が積もった凍える日。

 王宮庭園内の第一連隊庁舎に詰めていたルイのもとにフランツが訪れた。

 距離を置いていた息子の訪問に驚きつつ、人払いをした執務室で告げられたローフォーク家の現状に、自分の予感が間違っていなかった事を認識した。


「父上、俺は治安維持軍への転属を希望します。王都の第二連隊です。そして、カレルも第二連隊へ入隊させて下さい」

 遠くにやらず身近に置いて監視することで、公爵の恐ろしい要求からカレルを守りたいのだ。


「だから、父上。早々に軍務大臣に出世して下さい」

 フランツの、ルイと同じ翠の瞳が鋭く煌めいた。

 ルイは僅かに目を瞠ったあと、ニッと口元に笑みを浮かべた。


     *   *


 時が経ち、父ギュスターヴと母ロザリーヌが立て続けに身罷った。

 終ぞ、両親とルイの溝は埋められないままだった。


 その五年後、ルイは軍務大臣となった。

 第二連隊に入隊した息子達も確実に実績をあげていた。成人する頃には大尉となり、同年代の中ではかなり速い出世だ。

 一方で、母親の命を握られたカレルは、犯罪もまた積み重ねていった。

 法務大臣から宰相になっていたグラッブベルグ公爵には、もはや怖いものなど無いのだろう。求められる役割には凶悪さが増して行き、カレルは苦しむ日々を過ごしていた。


 やがて、王妃ヴィクトリーヌが病で亡くなる。

 人質として送り出したマリー王女も正式にカラマン皇族の一人として受け入れられた事で、張り続けていた気持ちが弛んだのだろう。

 高齢のフィリップ十四世は体調を崩しがちになり、よりグラッブベルグ公爵への政治的な依存が強くなっていった。


 フィリップ十四世の体調不良は、宮廷に不謹慎な華やかさを齎した。

 賑わう夜会。自分の娘を王太子妃に……。王太子妃は無理でも、どうか愛妾にと考える輩のなんと多い事か。

 一度ならず、ルイもアリシアを候補に推し出してはどうかと言われたが、ルイもマルティーヌも、アリシア自身もその様な事に興味の欠片も無かった。


 そんなルイとは対照的に、グラッブベルグ公爵は他の誰よりも自分の娘を王太子妃に据える事に熱心だった。

 宰相としても娘婿としても、その地位を最大限に活用して、一人娘であるアニエスをフィリップ十四世に引き合わせた。

 国王フィリップ十四世も孫娘は可愛いものだ。だが、従兄妹同士の結婚には乗り気ではなかった。外交の問題もある。

 何よりアニエスはとおにもならない少女だ。すぐにでも新たな後継者が欲しい状況であるのに、それは無茶というものだ。


 そんな中で、ルイはかねてから評判を耳にしていたコルキスタの王女を、フィリップ十四世に薦めてみた。

 フィリップ十四世は、姿絵もさることながら多数の言語を解し、父王の政務の補佐もする王女の教養の高さを気に入った。それ以上に、調査で知り得た王女の人柄は、きっとシャルルの性格とも合うことだろう。

 フィリップ十四世は、すぐにカラマン帝国へ婚姻交渉の許可を取り付けるよう、グラッブベルグ公爵に命じた。


 それが面白く無い公爵は、あれこれと理由をつけては書簡を送るのを遅らせて内務大臣と外務大臣を困らせたので、ルイは両大臣に「国王陛下の裁可をいただき、二人の権限で出してしまえ」と助言した。

 カラマンからの返信でその事を知った公爵は激怒したが、フィリップ十四世の仲裁で怒りの矛を一旦は収めた。


 フランツが新兵を一人拐って失踪したのは、それからすぐの事だ。


     *   *


 唐突に失踪した時と同様に、二週間後、フランツは少年兵と一人の少女を伴って唐突に帰って来た。


 ジェズという少年兵に気遣われる少女はエリザベスと名乗った。

 グラッブベルグ公爵とカレルの犯罪の被害者だ。


 対面したエリザベスは、綺麗な栗の実色の瞳を真っ直ぐに向けて、ルイ達を信頼に値する人物かどうかを見極めようとしていた。

 犯人の顔を見ているというエリザベスは、カレルとフランツのちかしさに迷いと不安と戸惑いを抱いていたようだ。だが、その瞳の中心に煌めく芯のある眼差しは、ある予感をルイの胸中に抱かせた。


 これまでのあらゆる因縁にけじめをつける、その時が始まると。

 

 アリシアはすっかり二人の新たな家族を気に入っていた。マルティーヌもすぐに身の回りの世話をする使用人を決めてしまった。

 握手を求めて差し出したルイの手を、エリザベスはおずおずと握った。

 少女の手は小さく、繊細だ。

 ルイは思わず微笑んだ。


 この少女を、全力で守ろうと思った。

 何かが変わる。

 そんな予感を抱かせてくれた、この少女を。




                  『番外編ルイ・フランシス』終わり。

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