ルイ・フランシス ⑬

     十三


「あなた!」

「マルティーヌ!」

 シュトルーヴェ家の屋敷に戻ったルイは、マルティーヌに抱き付かれた。

 抱き締め返して細い肩に両手を置く。覗き込んだ妻は泣き腫らした顔をしていた。


「マルティーヌ、どういう事なんだ。どうして兄さんが処刑されることになったんだ!」

「き、急に決まったのです。王太子御夫妻が襲撃された時に、王宮近衛連隊の職務放棄が判明したと……。何かしらの責任を問われる事になるとは思っていましたが……」

「職務放棄? あり得ない。クレールは死んだんだぞ!」

 賊と戦ったのではないのか。だから命を落としてしまったのではないのか⁉︎


「それが……」

「クレール・ヴィルヘルムは役目を果たさなかったのだ。今の貴様と同じようにな」

 低く唸るような声に振り返ると、二階への大階段の一番上に父ギュスターヴがいた。

 ギュスターヴは翠の瞳でルイを見下ろし、全身を怒りで震わせていた。


 足速に階段を降りたギュスターヴは、正面に立つと平手でルイを撲った。

 マルティーヌが悲鳴を上げる暇もなく、返す手で反対の頬を撲たれる。

「何をしに戻ってきた! 貴様は北部防衛の司令官だろう。我が国の混乱を岩窟の野蛮人共が見逃すと思うのか! 貴様に出来る事など何も無い! さっさと任地に戻らんか‼︎」

「クレールが役目を果たさなかったとはどう言う意味だ!」


 父の叱責など意に介さず、ルイは叫び問うた。

 自分が知っているクレールは勇敢だ。幼い頃から王家への忠誠を叩き込まれ、エドゥアールの側近として仕える辞令が下りた時は、心からそれを誇っていた。賊が侵入してきて、立ち向かわないわけが無い。


「……そのままの意味だ。あの者は剣を抜かなかった。王太子殿下の傍から離れ、間抜けにも背後から襲われた。剣を抜く間も無く、滅多刺しだ。そして賊はそのまま両殿下の寝室に忍び込み、御二人を殺害なされた」

 その後、賊達はシャルルの寝室にも入り込み、眠っている王子の腹部に一撃を加えた直後、廊下で息絶えているクレールを発見した兵士達が騒ぎ出したのを察知し、姿を眩ませたのだ。

「そんな事が可能なものか! どれだけ多くの護衛や世話役の使用人が付いて行ったと思っているんだ! それだけの人々の目を掻い潜って実行出来る事じゃ無い!」

「だから間抜けと言ったのだ!」

 大声を張り上げたギュスターヴは鋭くルイを見上げた。


「宿泊していたのはレステンクールの古城だ! 数年前まで敵国の所有していた城だ! 古い城には戦時に脱出する為の隠し通路があるのは当たり前の事だ! それを充分に調べ尽くせていない状況で、何が起こるかも知れん。片時も主君の傍から離れてはいけないのだ! それをクレールは怠った。親衛隊長として、今回の視察の警護責任者として、充分な指示も出さなかった! これで役目を全うしたと言えるか!」


 クレールが気を抜かずにエドゥアールの傍から離れなければ、或いは王太子夫妻は死なず、シャルルも死の淵を彷徨うような大怪我を負うことも無かったかもしれない。

「些細な油断がこのような惨劇を招き、国家を危機に晒した!」

「だからアンリ兄さんが責任を負うと言うのか!」

「そうだ」

 一転して、ギュスターヴは冷め切った声色で返した。


「ローフォーク子爵アンリは、明後日みょうごにちアントワネット広場にて処刑される。同時にローフォーク家は王宮庭園からの追放を命じられた。国王陛下は彼等に対して非常に強い失望を抱かれた。次男に爵位と領地の保持をお赦しになられたのは、せめてもの情けだ。決して、覆ることは無い」

 ルイは顔を歪めた。


 ギュスターヴは侮蔑の目でルイを一瞥すると、踵を返して屋敷を出て行った。


     *   *


 王宮庭園のローフォーク家は、すでに第一連隊によって包囲されていた。

 屋敷を塀に沿って一周してみたものの警備は厳重で、子供の頃に使っていた秘密の抜け道も含め、どう足掻いても忍び込める余地は無さそうだ。


 マルティーヌによると、アンリの妻オーレリーはアデレード王女の侍女官長の任を解かれたらしい。次男のカレルも入学したばかりの士官学校を休学し、屋敷での謹慎を命じられていた。入学式の前に士官学校の制服を身に付けて自慢していた黒髪の少年の姿を思い出し、ルイの胸は痛んだ。


 アンリ自身は、王都リリベット南の旧要塞トロワ監獄に投獄されたそうだ。

 トロワ監獄は、グルンステインとファブリスがまだ別の国であった頃に建てられた、かつての国境要塞だ。二つの国が併合してからは、貴族階級や富裕層が入る監獄へと役目を変えている。


 ルイは、監獄の看守に金を握らせてアンリとの面会を試みた。

 異議の申し立てを行うように説得するつもりでいたのだが、看守は頑として金貨を受け取ろうとはしなかった。

 父ギュスターヴの命令か、怒る国王フィリップ十四世への畏れか、どんなに喰い下がっても面会を取り付けることは出来ず、監獄のどの辺りに投獄されているのかも知る事が出来なかった。

 せめて、自分がここに来たことを伝えて欲しいと頼む事が、その時のルイに出来る精一杯だった。


 国王フィリップ十四世への謁見も願い出た。だが、これも上手くは行かなかった。ルイは官庁区の外門さえも越える事は許されなかったのだ。

 アンリの処刑まで、刻一刻と時は迫ってくる。

 秋の陽が傾き、夜の訪れと共に凍えるような寒さがルイを襲った。


 完全な夜の闇に包まれても外門の前で立ち続けていたルイは、白い呼気を吐いたあと、ふと視線を落として踵を返した。


 

     *   *



「よくもこれだけ問題児が集まったものだ」

 忌々しく吐き捨てたギュスターヴは、軽蔑を込めた視線でルイ達を見下ろした。

「馬鹿者共が馬鹿をやるだろうとは予想していたが、よもや監獄の襲撃を企てようとは……!」

 ギュスターヴは足元に落ちていたトロワ監獄の見取り図を拾い、唸った。

 監獄の北塔の一部に付けられた印を見て眉間に一際深い皺を刻むと、治安維持軍によって床に抑え込まれた格好のルイを見下ろす。


 王宮庭園のシュトルーヴェ家の私室で、ルイは突然押しかけた治安維持軍によって拘束された。アンリの脱獄計画を察知されたのだ。ギュスターヴの背に隠れるように、王宮庭園でルイの身の回りの世話をする従僕が泣きそうな顔で項垂れていた。

 室内の各所では、ひっくり返り破壊されたテーブルや椅子の合間合間に、デュバリーやソレル、フーシェなど志を同じくする友人達も、ルイと同様に捻じ伏せられ拘束されている。

 全員が、アンリの処刑を妨害し、彼を救出する為に動こうとしていた者達だ。そんな彼等の頭上に、ギュスターヴの手によって乱雑に破られた紙片が降り落ちた。


「自分達が何をしでかそうとしていたか、分かっているのか! 貴様等の企みは、この危機的状況にある国家をさらに追い詰める背信行為だ! グルンステイン王国を滅ぼす気か!」

 王太子一家が襲われ、次代の国王夫妻が命を奪われた。その混乱はまだ終わっていない。

 先の戦争の温情処置が裏目に出てしまい、第二のレステンクールとなりかねない今の状況下で斯様かような騒ぎを起こす事は、フィリップ十四世の統率力の低下を晒すことに繋がる。

 それを同盟各国が見逃す訳がないのだ。


「暗殺事件の犯人がレステンクール人であろうがなかろうが、王宮近衛連隊が職務を全うしなかったのは事実だ。それが王太子殿下と妃殿下を殺し、カラマン帝国のみならず、周辺国に対して我が国に突け入る隙を作った。アンリ・ヴィルヘルムは近衛連隊のおさとして、失態を犯した息子の父として責任を背負わねばならんのだ!」


「そんなもの知るか!」

 ルイは叫んだ。


「戦えば良い! グルンステインはずっと戦い続けて拡大してきた国だ! 刃を向けられたならば刃で返せ! 現王は先代のことをずっと『机に向かいペンを握ってばかりで、手綱も剣の握り方も忘れている』と揶揄していただろう。勇猛で名を馳せたフィリップ十四世が、いまさら外国と戦うことの何が怖い! 後継者を失いかけて怖気付いたのか!」

「この……、馬鹿息子がっ!」


 ギュスターヴの杖がルイの横っ面を殴打した。

 騒ぎに集まっていた使用人達が悲鳴をあげる。

「不敬も大概にしろ! 面倒ごとから散々逃げてきた貴様に、陛下が背負わされた責任の重さが分かってたまるか! 貴様が己の役目を放棄して駄々を捏ねている間に、陛下が何を考え決断せざるを得なかったか! 国王として、その御気性と相対する全てに向き合わなければならぬ陛下の御心痛が如何程いかほどのものか! のらりくらりと好き勝手に遊び呆けて尻拭いを周りにさせていた貴様に、陛下を批判する道理があると思うな、この戯けが‼︎」


 罵倒しながら、ギュスターヴは怒りのままに苛烈にルイを殴り続けた。

 瞼が切れて腫れ上がり、口からも鼻からも血が飛んで床を汚した。歯が一本折れてギュスターヴの足元に血の塊と共に吐き出した時、女中達の悲鳴があった。

 振り抜かれた杖の持ち手部分でこめかみを打たれ、瞬間的に目の前が真っ白になった。

 何度目になるのか、大きく杖が振り上げられた。

 だが、杖はルイを打つことは無かった。杖はすでに限界を越えて、振り上げた瞬間に半分に折れて飛んでいってしまったのだ。

 先端を失った杖を確認して、ギュスターヴは杖を捨てた。


 ルイは気絶していた。

 頭部を中心に血塗れで、裂傷と打撲で顔は腫れ上がり、飛散した血が絨毯とギュスターヴの靴を汚していた。

 ぐったりと動かなくなったルイを見下ろし、肩で息をするギュスターヴは表情を歪めた。

「この馬鹿共を連行しろ」

 それまで成り行きを見ていた第一連隊員達が黙って従う。


 デュバリー達は抵抗を試みるものの、両手足を縛られて担ぎ運ばれて行く。

 ルイが連行される時、使用人の人壁からマルティーヌとアリシアが飛び出した。担架で運ばれるルイに取り縋ろうとしたが、第一連隊員に簡単に払い退けられてしまった。

「この、甘ったれの馬鹿息子が」

 遠去かる護送馬車を泣き伏して見送るしか出来ないマルティーヌの横で、ギュスターヴは吐き捨てた。

「結局、貴様は自分の事しか頭に無いのだ。アンリのことさえ、何も理解していない……!」


 マルティーヌに寄り添うアリシアは、泣きそうになりながらも屹と祖父を睨みあげた。

 その視線を、ギュスターヴは一瞥して視線を逸らした。





                          第十三話 終わり

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る