番外編 ルイ・フランシス 後編

ルイ・フランシス ⑫

     十二


「今、近衛連隊は大変なんだ」

 友人の一人であるオーギュスト・デュバリーが困り顔で言い、アンドレ・ソレルが頷いた。

 

 王太子妃アリンダがエドゥアールを熱愛するあまり、周囲をほとほと困らせていることは、遠い東部にいるルイの耳にも届いている。

 いつでもどんな時でも夫に夢中で、公の場でさえもを作って凭れ掛かる姿に、作法を重んじる宮廷人達は呆れるばかりだという。


 新婚当初であれば、初々しく可愛らしい仕草として人々の目に映っていた事だろう。だが、すでに結婚して七年が経ち、二人の子供にも恵まれている。いい加減に落ち着いて欲しいのだが、周囲の願いとは裏腹に、アリンダのエドゥアールへの執着は日々重さを増していた。


「マリー殿下を御出産されてから、益々酷くなっている」

 そう言ったのはジェラール・フーシェだ。


 常々、アリンダは夫に似た王子を望んでいた。

 しかし、シャルルはグルンステイン王家の血をはっきりと受け継ぎ、次子のマリーは自分に似た女児だった。

 アリンダはそんな子供達に一切の関心が無く、ただひたすらにエドゥアールの存在しか目に入っていない。

 そのような妻の態度をエドゥアールは何度も叱責していた。

 愛する夫に叱られる理由が分からないアリンダは、その度に誰かが夫に自分の悪口を吹き込んだと癇癪を起こし、周囲に八つ当たりをしているのだ。


「宮廷は必死に隠しているようだが、侍女官や使用人に怪我人が度々出ていては、彼女等の親が黙っていない。王太子妃の侍女官は有力貴族から多く輩出しているし、使用人は平民とはいえ富裕層出身者でなければ王太子妃の傍には侍られない」

 そして、王族に召し抱えられる富裕層出身者の父親は、王国の経済を支える大商人ばかりだ。

 国王フィリップ十四世とエドゥアール王太子の元には、彼等からの抗議が絶えないのだという。


 かく言うデュバリーも、姪が宮廷に召し抱えられていた。

 幸い仕えているのは王妃ヴィクトリーヌなので被害は無いが、日々アリンダに悩まされる王妃の姿に姪は心を痛めていた。


「王宮近衛連隊が抱えている問題はまだある。モーパッサン伯爵の名を聞いたことは無いか?」

「モーパッサン伯爵?」

 デュバリーの問いにルイは首を傾げた。

「『包囲戦争』後に国庫の赤字解消策として売爵と売官が行われただろう。その時にモーパッサン伯爵位を買って、法務省の法制審議官の一人になった男だ。平民だった頃はオットー・タンベイと言う。金持ち相手の弁護士をしていた」

「その男がどうしたんだ」

 キョトンとした顔で問うと、デュバリーもフーシェもソレルも顔を見合わせて肩を竦めた。その意味が分からずに、ルイは益々首を傾げた。

「まあ、それは追々」

 ソレルが苦笑いで話を濁す。


 デュバリーは一つ咳払いをした。

「そのモーパッサン伯爵が、アデレード様に付き纏っているんだ。アンリさんはそれを追い払うのに、かなり神経を使っている」

 デュバリーの話では、モーパッサン伯爵は随分な悪評のある男だった。

 富裕層や貴族を相手に活躍してきただけあって、法律に関する知識や弁舌は評価されている。だが、それらの能力を使った弁護士としての仕事内容は、主に依頼者やその親族が起こした不祥事の後始末だ。

 それ故に、口止め料も兼ねて、法外な金額を依頼人から巻き上げていた。


 また、モーパッサン伯爵は爵位を得る少し前に妻を亡くしていた。

 妻の死後に莫大な遺産を相続したが、亡妻には連れ子が居り、その連れ子との間で遺産の取り分を巡って法廷闘争にまで発展していた。

 その連れ子は係争中に事故死をし、遺産の全ては連れ子が築いた蓄えも含めてモーパッサン伯爵が全て相続することになった。その遺産を元手に得た物が、伯爵位と法務省の官位だったのだ。


「その妻も連れ子も、伯爵が手を回して殺害したのではないか、と言われているんだ」

「アンリ兄さんが絶対に口をききたくない類いの輩だ」

 ルイはげんなりとした顔で紅茶を啜りながら言った。

 アンリの好き嫌い以前に、そのような胡散臭い男を王女に近付けるわけにはいかない。


 しかし、相手も一筋縄ではいかない男で、弁護士時代の人脈と遺産を駆使してアデレードの行動を把握し、偶然を装って宮殿の庭で待ち構えていたり、人伝てに手紙を届けたりと油断が出来ない。また、有能である事は確かなようで、着実に実績と地位を上げていた。

 いずれは私的な場でも、アデレードに堂々と接触してくるだろう。

 アデレードがこの悪評に巻き込まれないように、アンリ達王宮近衛連隊はアリンダへの対処と共に、相当な神経を使わされていたのだ。


 先日の王宮で、部下からの報告を受けたアンリは、ほとほと疲れ切った顔をしていた。職務に誇りを持っている彼が、そのような表情を見せるのはこれまでには無いことだ。

 それ程に、今の宮廷は張り詰めた空気に満たされているのだろう。


「ルイは、御父君が宰相職に就いた理由を考えた事はあるか?」

「……いや、無い」

 父となど、必要最低限の会話しかしないからだ。聞いてみたことも考えてみたことも無い。

 だが、今は分かる気がする。

 エドゥアールとアリンダの婚約を国王に進言したのは、前任の宰相だ。

 宰相職を退いたのは老齢による引退と言われていたが、自分が積極的に推し進めたこの結婚が、思いの外、自分への不評に繋がっていることに気付いて、さっさと逃げ仰せたのだ。


 後任に選ばれた父ギュスターヴは、軍事はともかく政治に明るい人物ではない。当人もそれを自覚している。それでも宰相職を引き受けたのは、その地位に就きたがる人物が現れなかったからだ。

 アリンダが原因で、カラマン帝国との政治的な調整が捗らなくなっているのだ。


「誰も貧乏くじを引きたくは無いか……」

 ルイは溜息を吐いた。



     *   *



 その日は、山間に建つ北部要塞に大河からの強風が吹き付ける寒い日だった。

 グルンステイン歴二八七年。十一月三日。

 早朝に、その訃報は届いた。


『ローヌ城にて王太子一家襲撃さる。王太子殿下及び王太子妃殿下死亡。シャルル王子殿下重傷。マリー王女殿下無事』


 事件が起こったのは、十月三一日の深夜のことだ。

 就寝中の王太子一家が、何処からともなく現れた賊に襲撃を受けたのだという。


 死亡したのは王太子夫妻だけでなく、護衛の親衛隊長と若い侍女官も一人殺害されていた。

 ルイは愕然とした。


 エドゥアール王太子の親衛隊長はクレールだ。

 クレールが死んだ?

 クレールが?


 ルイの脳裏に、アンリと同じ濃紺の瞳の笑顔が浮かんだ。


 矢継ぎ早に齎される情報は錯綜していて、死亡した侍女官が犯人を招き入れたとも、王宮近衛兵が職務を放棄して逃げたとも、信じがたい噂ばかりが北部に届いた。

 襲撃犯はすぐに捕まった。

 レステンクール王国の残党共だ。


 王太子夫妻殺害の犯人がレステンクール人であると判明した途端、国中で虐殺が始まった。

 貴族であろうと平民であろうと関係無く、レステンクール人だった者、レステンクールからやってきた者、果てはレステンクール人を庇った者まで、王太子夫妻を奪われた国民達の憎しみの餌食となった。

 各地の治安維持軍がこの虐殺を抑え込む為に奔走したが、国民の目にそれはレステンクール人を守っているように映り、不満を持った一部の国民と軍隊が衝突する事態にまでなった。


 この大虐殺は三日間に渡って続き、やがて、殺し疲れた彼等は夢から醒めたように武器を手離し、還らぬ人となった王太子夫妻の死に涙を流した。


 フィリップ十四世は事態の収拾に急いだ。

 事件の発生から一週間後には峠を越えたシャルル王子を王太子に指名し、翌日には暗殺犯達の処刑日時と場所が発表された。

 カラマン帝国へは、彼等の遺体と共に多額の見舞金が送られることになった。だが、最愛の妹を殺害された皇帝ジュール四世の怒りは、そんなものでは到底収まらない。


 かねてから、カラマン帝国は『包囲戦争』後にグルンステインが取ったレステンクール人への融和政策に懐疑的だった。

 今回の事件を切っ掛けにジュール四世はフィリップ十四世を強烈に批判し、『大帝国』を混乱に陥れた責任を追及した。『包囲戦争』に参加したシュテインゲンとサウスゼンも同様に抗議の書簡を寄越した。

 グルンステイン王国は、一つ手段を違えれば、次のレステンクールとなるところまであっという間に追い詰められた。


 国境軍の各部隊は、外国の侵攻に備えて厳戒態勢を布いた。

 ルイが統轄する北部要塞も同様だ。シュテインゲンと戦争をする事態になれば、前回の比では無い軍隊が押し寄せて来るだろう。

 レステンクール滅亡後の今は、管轄の一部にカラマン帝国との国境線もある。場合によっては二方面からの挟撃に対処しなければならなかった。


 今までに感じたことのない緊張と焦燥の中、ルイのもとに一通の手紙が届いた。王都にいる妻マルティーヌからの手紙だ。

 郵便ではなく、軍部の早馬を利用した緊急連絡だ。

 嫌な予感が過ぎる中、受け取ったその場で手紙の封を開けて読んだ。

 

 マルティーヌらしくない、乱れた走り書きは妻の動揺と焦りの現れだろう。

 ルイは、真朱の軍服の胸元で妻からの手紙を握り潰した。


 胸元の握った拳に、激しく乱れ打つ心臓の鼓動が伝わる。

 だが、ルイは迷わなかった。

 副官を呼び、司令官代理を命じた。

 そしてルイ自身は、着の身着のまま王宮庭園へと馬を走らせた。





                          第十二話、終わり。

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