第十一話〜⑨

「陛下、これは陰謀です。恐らく、ローフォーク子爵はレステンクール人と繋がっております。己が王宮庭園を追放されたことを逆恨みし、王国を貶めようとしているのです。きっと、レステンクール人を王都に招き入れたのも彼でしょう」


 かねてからの懸念の通りだ。グラッブベルグ公爵は、ローフォークに全ての罪を押し付けるつもりでいる。

 薄ら笑いさえ浮かべてフィリップ十四世に訴える口元は、まだ勝機があると信じているのだろう。ローフォーク家を毛嫌いしている国王の感情を取り込むつもりなのだ。


「ローフォーク子爵の忠誠心は、私などより遥かに上だ。自身が薬瓶を渡されたにも拘らず、妻に姪を毒殺させようとした貴方など、足元にも及びはしない」

「何を無礼な……!」

 反論しようと口を開いて、公爵は言葉を飲み込んだ。

 正面の男の翠の瞳に、燃え上がる怒りのほのおを見たのだ。


 しかし、その焔は瞬きの瞬間に消えていた。代わって向けられたのは、軽蔑を含んだ冷視だ。幾度も戦場に立って命懸けで戦った男の凍てつく瞳は、公爵の背筋に脂汗を流させた。


「……話を本筋に戻しましょう、公爵閣下。貴方は何故、誘拐が起こった時点で近在の治安維持軍に通報をしなかったのです。脅されていたのだとしても、黙って誘拐犯の言いなりになっていたのは何故なのか」

「ア、アニエスの命が掛かっていたからだ。仕方なかろう」


「毎日のように陛下に拝謁が可能な貴方なら、秘密裏に陛下に助けを求める事が出来た。数日前も事件を知って面会を求めた私に、貴方は御令嬢の救出を相談することも出来たのだ。そのような言い分が通用すると御思いか。アデレード様に渡した薬瓶を手に入れた時、すぐに手を回せば御令嬢が白骨体と共に庭に埋められることも、犯人にまんまと逃げられることも無かった」

 尤もな言葉に公爵は言い返せず、苦い表情になる。


「オリヴィエ・マートン。長年、グルンステインに潜伏し、諜報と重犯罪を犯してきたレステンクール人の男だ。トビアスの銃密輸の偽装以降、こちらで改めて出自を調査させてもらった。元はレステンクールの下級貴族の生まれで、二度、養子縁組されている。その二度目の養子縁組でグルンステインの軍部に潜入する足掛かりを作った。

 今回の誘拐事件の犯人と推測されている。貴方の小飼の一人でもあった。

 第十師団の前師団長ロイソン子爵から、ビウスの強盗殺人事件も含め、マートンを通して閣下の名で幾つもの事件の揉み消しを命じられたと証言を得ています。

 マートンの第十師団への配属にあたって貴方が根回ししていた事は、当時の士官学校長、治安維持軍団長への聞き取りで明らかになっている。彼が士官学校の第一学年の時には、すでに貴方のしたで数々の犯罪を犯してきたことも分かっています」


「わ、私は、その時は彼がグルンステイン人だと信じていたのだ! 実際に、トビアスの密輸事件が起こるまで、誰もあの者がレステンクール人だと思わなかったではないか! ローフォーク子爵共々、有望な若者を支援することの何が悪い! 私は彼等に裏切られ、悪意に利用されただけだ!」

「悪くはありません」

 伯爵は断言した。


 先の戦争で焼き払われた村がある。

 そこで拾われたマートンの出生を証明する書類の類いは、全て焼失してしまっていた。マートンがグルンステイン人ではないと、証明する物すら無かったのだ。

「貴方が責められるべきは、欲得の為に彼等を使い、様々な犯罪を主導したことだ」

「だから、それはローフォークが……!」

「グラッブベルグ公爵」

 一段低めた声音に、再度名を呼ばれた公爵は黙った。

「貴方が、母親を人質に少年だった子爵に殺人を迫ったことは分かっている」


 そして、今度はその罪悪感を盾に、誘拐、脅迫、強盗、更なる殺人を強要した。


 シュトルーヴェ伯爵は、罪の意識に苛まれながらも、母親を守るために必死に藻搔いてきたローフォークを見てきたのだ。生来の気質とはかけ離れた所業の数々に、どれほど苦しんでいたことか。

 伯爵は膝の上に置いた手を握り込んだ。


 昨年の暮れに、禁を破ってまで自分を助けてくれた彼は、怒りながら泣いて、この自分を責めた。

『なんで何も言わなかった!』

 あの時に初めて、彼の父親を助けられなかった事、その後に手を差し伸べられなかった事を悔いた気になって、責められるべきだと自己陶酔に浸り逃げていたのは自分の方だと気付かされた。

 掛け替えのない友人の子を苦しめていた点では、自分は公爵以上に罪深いのだ。


 伯爵は、国王フィリップ十四世を横目で見た。

 国王は、公爵への尋問へを擁護するでも批判するでもなく、ただ無言で耳を傾けていた。

 その国王の態度に、伯爵の胸の内には消化し切れない靄が生じる。

 

 いつだったか、感情が先に立つ馬鹿と揶揄された事がある。自分をそう評価した父親の顔を思い出しながらも、シュトルーヴェ伯爵は言わずにはいられなかった。


「カレル・ヴィルヘルム・ローフォーク子爵は、最後の覚悟をした。グラッブベルグ公爵。私は軍務大臣の役職の下、国家の治安を乱す叛徒として、貴方を告発する」

 そして、長椅子から立ち上がった伯爵は、国王の足元に跪いた。

「これに御不満があれば、国王陛下、どうぞ私めを罷免なさり、謹慎を申し付けいただきたい」


 国王フィリップ十四世は、僅かに眉を寄せた。

 その深い青い瞳は哀惜を帯びて、常よりも一層深い色合いで伯爵を見返す。


 国王が口を開きかけた時だった。

 再び部屋の扉が叩かれ、軍務省の補佐官が姿を現した。補佐官は青褪めた顔で敬礼をすると、国王を見、グラッブベルグ公爵を見、そしてシュトルーヴェ伯爵を見て、告げた。


「グラッブベルグ公爵邸の書斎で、カラマン帝国皇妃からのマリー殿下と御子の殺害を指示する手紙が出てまいりました。さらに、書斎の隠し部屋に、人の頭部を浸けた硝子瓶が隠されていました。捜索の指揮を執ったフーシェ第一連隊長によると、その頭部は十二年前の王太子夫妻暗殺事件で亡くなった、クレール・ヴィルヘルム・ローフォークに酷似している、と」

 伯爵とフィリップ十四世は、グラッブベルグ公爵を見た。


 公爵は長椅子の上で頭を抱えて蹲り、激しく身体を震わせていた。

 ローフォーク領の領館で発生した墓荒らしは、ローフォーク家の母子おやこがグラッブベルグ公爵の庇護下に置かれるきっかけとなった事件だ。

 先代当主アンリと長兄クレールの亡骸が掘り返され、侮辱の言葉と共に汚物を撒かれ、カラマン帝国に送られたアンリのそれに倣うかのように、クレールの首が切断されて盗まれた。

 当時は、王家の熱心な信奉者の仕業だと思われていた。

 だが、それが最初から、カレル・ヴィルヘルムという人間を虐げる為に仕組まれていたのだとしたら……。

「グラッブベルグ公爵、貴方は……!」


 突如、公爵は立ち上がって走り出した。

 その丸い大きな身体で立ち塞がった国王の護衛を吹き飛ばし、拘束されていた部屋を飛び出す。


 離宮の廊下は、マリーの出産にあたる女官や宮廷使用人達が行き交っていた。その中に突っ込み、彼女達を跳ね飛ばしながら公爵は走る。

 背中越しの悲鳴やたらいがひっくり返るのも構わずに走り続けた公爵の目に、リネン室から清潔な亜麻布を抱えて出てきたエリザベスが映った。

 公爵の頭に、一気に血が昇る。


「お前、お前が……! お前が逃げたりしなければ!」

 騒ぎに脚を止めたエリザベスが振り返る。

 目の前に立ちはだかった公爵に抱えていた亜麻布が叩き落とされ、驚いた少女のクラヴァットが乱暴に鷲掴まれた。

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