第十一話〜⑧
常緑樹に囲まれた別棟は、たちどころに第三連隊によって包囲された。
玄関扉に鍵は掛かっていない。部隊はローフォークの先導で別棟内に駆け入り、邸内の各所へ散って行く。
ローフォークは、迷わず壁際の階段を二階へと駆け上がった。
右手の廊下を奥へと進む。やがて行き当たったのは、壁に掛けてある埃を被った絵画だ。その絵画の手前に、グラッブベルグ公爵の部屋がある。滅多に郊外の別邸に訪れることのない公爵が、たまにやってきては様々な遊びを行った部屋だ。
特殊な造りになっていて、小さな邸の二階ながら屋根裏部屋を排除し、天井を高く取っている。代わってコルクと柔らかい素材の板を打ち、壁紙を何枚も厳重に重ねて張ってあった。拷問の声が外に漏れ出ないようにする為の工夫だ。
重い扉を蹴破った。
拳銃を構えて室内に飛び込んだローフォークの目が、一点に釘付けになる。
部屋の中心に、天井からぶら下がる人影があったのだ。
破られた扉から差し込む午後の陽光に照らされていたのは、身体に無数の刃を突き立てられた少女だった。
ヒュッと、喉の奥が鳴った。
少女のドレスを赤く染め上げていた刃の柄尻から赤い液体が滴り、真下の床に大きな血溜まりを作っている。天井から吊るされた縄は、容赦無く少女の細い首を
脳裏に蘇った映像と目の前の光景が重なる。室内に満ちた臭気と相俟って、一気に吐き気が込み上げた。
「おい。人形だぞ、これ!」
動揺の騒めきの中で、第三連隊の誰かが叫ぶ。
その声で我に返ったローフォークは、
第三連隊の隊員達によって床に下ろされた人形は、少年の服の中に布を詰め込み、アニエスのドレスを着せた物だった。頭部にはボンネットが被せられ、付け毛が覗いている。血と思われた物はワインだ。
古い物を使ったのか、鼻につく饐えた臭いが部屋に充満していた。
腹が立つほど、手の込んだ嫌がらせだ。
アニエスの居所が判明すれば、真っ先にローフォークが駆け付けると踏んだのだろう。ドレスを着た首吊り人形は、ローフォークへの当て付けに他ならない。
「あの
悪態を吐きながらも、その気狂いを捕まえ損ねた自分に腹が立った。
今頃、奴はあの癖のある笑い方で、空振りをしたローフォーク達を嘲笑っているに違いない。
だが、
何処だ。
何処に消えた!
アニエスが一緒にいるのだ。そう遠くには行けないはずだ。
ローフォークは異臭が漂う部屋の窓を開け放ち、周囲を見渡した。
ふと、濃紺の瞳がある一点に引き寄せられた。
そこは、この別棟の内庭だ。
L字の形をした建物の内庭は
その内庭の一画の土の色が違う。
ごく最近掘り返されたように、濃く湿り気のある色をしていた。
最悪の想像が頭を過った。
別棟を包囲していた隊員達に、内庭のその箇所を掘り返すように指示を出す。隊員達は納屋から見付けたスコップを手に庭を掘り進めるが、道具が足りずに時間が掛かり、間怠っこしい。
内庭に下りたローフォークも含め、素手で土を掘り返す者も現れた。
やがて、誰かのスコップの先端が鈍い音を立てた。
寸の間、手が止まり、直後にその場の全員が内庭の穴に群がった。
掘り返し、掻き出し、また掘り返し、やっと出てきたのはワイン用の小樽だ。子供なら容易に隠すことが出来る。樽の側面のボンドは塞がれておらず、そこに顔を近付けると僅かに生き物の気配がした。
第三連隊長の号令で土はさらに掘り返された。樽の全体が姿を現すと、底と蓋の溝に数人の隊員が手を掛ける。合図と同時にワイン樽が地上に引っ張り上げられた。
見れば、樽を形成する
ローフォークは樽の中から少女を抱き上げた。
「アニエス様!」
声を掛け、頬を幾度か軽く叩く。すると、アニエスは小さな呻き声を漏らした。全員が安堵した瞬間だ。
古いワインの臭気と恐怖の所為で気絶していたようだ。
第三連隊長の指示により、アニエスは直ちに王都の第一師団庁舎へ運ばれる事となった。
「うわっ」
「危ないぞ、気を付けろ」
移動の馬車にアニエスを乗せる為に立ち上がった時、背後で騒めきが起こった。
どうやら、掘った穴が一部崩れたようだ。
「おい、何だよこれ!」
その声に、ローフォークは思わず振り返る。そして、それを目にして息を止めた。
郊外のグラッブベルグ公爵邸。
その別棟。
そこでは、残忍な遊びが幾度も行われ、その全てが無かったことにされてきた。
例え夫が数多の疑惑を向けられる男であっても、国王の娘が住まう屋敷に乗り込み捜査を行おうとする者はいない。だからこそ、何年も、何年も、忌み事は繰り返され、隠し通されて来たのだ。
これも、アイツの計算の内か……?
ローフォークは、唇を噛み締めた。
長い間、この場所での眠りを強要されてきた存在が、とうとう姿を現した。
ワイン樽を掘り出して出来た地面の大きな穴底に、白っぽい丸い塊が転がっていた。
人間の頭蓋骨だ。
ローフォークは、それが誰の物であるのかを知っていた。
* *
待機していた離宮の一室に、軍務省の補佐官が現れた。
シュトルーヴェ伯爵は国王フィリップ十四世に目礼し、部屋を出る。廊下には、第一師団のソレル師団長が青褪めた顔で待ち構えていた。
ソレルから報告を受けた伯爵は、両目を閉じて「そうか」と一言呟いた。
それから、その場にいた王宮近衛兵の一人に、アニエスの無事をアデレードに伝えて欲しいと告げ、若い近衛兵とソレルは敬礼をして退がった。
室内に戻った伯爵は、国王にアニエスの無事を耳打ちで告げた。
安堵を浮かべる国王を横目に、改めて着席した長椅子の対極に座る人物にも声をかけた。
「グラッブベルグ公爵」
下を向き無言でいた公爵は、向かい合わせの伯爵を青褪めた顔で睨み上げる。
「たった今、御令嬢の無事が確認されました。郊外の貴方の屋敷の庭に、ワイン樽に詰められて埋められていたそうです」
アニエスは医者のいる第一師団の医務室へ運ばれ、治療を受けているという。公爵が僅かに安堵の表情を見せたのは、やはり人の親であるからか。だが、
「しかしながら、その庭から複数の白骨化した死体が発見されました」
そう告げると、公爵は伯爵とフィリップ十四世から目を逸らした。
「閣下の指示で死体を埋めた、と供述している者がおります。以前から、度々その庭のある別棟に人を拐ってきては、女は陵辱、男は拷問の果てに財産と命を奪い、その庭に埋めて隠した、と」
「一体、何のことを言っているのか理解しかねる。誰がそんな馬鹿げたことを」
「カレル・ヴィルヘルム・ローフォーク子爵です」
喉の奥を鳴らし、公爵は口を噤んだ。
飴色の両目がゆっくりとフィリップ十四世へ向けられる。
だが、フィリップ十四世は公爵を見てはいなかった。ただ一点、テーブルに置かれた花瓶の花を無表情に眺めている。
「今、ローフォーク子爵は第三連隊の庁舎にて事情聴取を受けています。正直に、
「私は知らない。そんなものは彼のでっちあげだ。そもそも、ローフォーク子爵は不忠の罪人の一族ではないか。そんな罪人の言葉など信じられるものか」
グラッブベルグ公爵も、負けじと言葉を紡いだ。
数々の政策で功績をあげる王国宰相と、情けで爵位と領地を取り上げられずに済んだ、追放された子爵。
どちらの言葉が重く信じるに足るものか、思案するまでもない。
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