第十一話〜⑥

「旦那様にも報告しましょう」

 いずれにせよ、誰かと会いたがっているのなら、上へ相談をせねばならない。

 追放処分を受けているローフォークはともかく、ロイソンならば面会は可能かもしれないのだ。

 マルティーヌの言葉に、エリザベスとブロンシュは頷いた。


 バルコニーに繋がる室内では、義理の姉妹が様々な布地を手にはしゃいでいた。

 生まれた国は違っても、オシャレは若い娘の心をときめかせる。すっかり打ち解けた妹と婚約者を、シャルルは傍らで嬉しそうに眺めていた。ただ少しだけ、女ばかりの会話に入り切れなくて、身を持て余しているように見えなくもないが。


 そんなシャルルを眺めながら、マルティーヌはグラッブベルグ公爵がマリーとの面会を申し出ていることを告げた。

「アデレード様が、マリー様にお会いしたがっているそうなの」

 グラッブベルグ公爵から情報を得たのだろう。

 箝口令が布かれている故に、フィリップ十四世は宰相から情報が漏れ出たことに不快感を示した。だが、姪に会いたがっているアデレードの願いを無碍にも出来ず、結局は許可を出したのだ。


「アデレード様が、どうしても、と強くお願いしたの。これまで陛下を困らせたことのないあの御方が、珍しいことです」

 マルティーヌはエリザベスに向き合った。

「明日の午後、グラッブベルグ公爵御夫妻が離宮にいらっしゃいます。貴女が辛いのならば、私からマリー様やアン様に上手く話を通しておきますから、明日一日、シュトルーヴェ家の屋敷に戻った方が良いかもしれません」

 マルティーヌはエリザベスを心配して、公爵から遠ざけようとしてくれていた。


 エリザベスは、横に首を振った。

「大丈夫です、マルティーヌ奥様。いつまでも、あの方の影に怯えて逃げていてはいけないのです。それに、もし、何かあるのだとしたら、殿下方をお護りしなければ。私だって、軍人の端くれなのですから。多分、公爵様くらいなら投げ飛ばせると思います! あ、でも、公爵様は丸くて大きな方だから、重たくて私が潰れちゃうかしら。だけど、蹴ったり叩いたりなら、きっと分がありそう……。でも、少佐から教えて頂いた……ぶつぶつ……」

 マルティーヌとブロンシュは心配そうにしていたが、エリザベスが真剣に公爵を力付くで制圧する手段を考え始めたので、肩を竦めて顔を見合わせた。

「無茶をしてはいけませんよ」

「はい!」

 苦笑を溢すマルティーヌに、元気に返事をする。


 若い娘達の笑い声が聞こえ、三人はそちらに視線を向けた。部屋の中心で、様々な色彩の布地が所狭しと広げられている。

 マリーは手が足りずに兄であるシャルルにまで織物を持たせ始め、アリシアが慌ててシャルルから布地を受け取るが、マリーはその空いた手にすかさず新たな織物を押し付けていた。

 マルティーヌは困ったようにくすくすと笑い、彼女達のもとへと向かう。エリザベスもブロンシュに促されて歩き出した。


 マリーにどのような思惑があってロイソンやローフォークの現在を訊ねて来たのか、エリザベスには分からない。だが、幼い頃に血に塗れた手土産を持たされて、唯一人ただひとり、外国に送り出された少女は、嫁ぎ先でも大人の都合に散々に振り回されてきたのは確かだ。

「負けられない」

 その一言が、カラマン帝国でのマリーの心の在り方や、生き方を示しているように思えた。


 強く持ち、強く在り、強く向かう。

 そうでなければ、すり潰されてしまいそうな場所だったのだと想像出来る。


 目の前の微笑ましい光景が、カラマン帝国内の政治的な混迷によって齎されたものであったとしても、今、マリーは兄達と歓びを共有し、笑っている。

 その笑顔を守れたら、とエリザベスは思う。

 それには、マルティーヌに言ったように、自分もあの夜のことを克服して、公爵と向かい合わなければならないのだ。


「負けられないわ」

 エリザベスは胸の前で拳を作り、自分自身に誓った。



     *   *



 翌日、グラッブベルグ公爵と夫人アデレードがやってきた。

 十二年振りに再会した伯母と姪は抱擁を交わし、アデレードは改めてアンがグルンステインへとやって来たことを歓迎した。


 公爵は持参した土産を、手ずから差し出した。

 離宮に出入りが許された人物は限られている。公爵自らの手で長卓に置かれたそれは、数種類のポプリと果実の砂糖漬けだ。ポプリはラベンダーや薔薇、クローバーの花弁を砕かずに瓶詰めにした見た目も華やかな物で、その日の気分によって皿に移し、砕いたり、他のポプリと併せたりも出来るようになっている。

 砂糖漬けは、フィサリス、オレンジ、ジンジャー等だ。赤い実はグロゼイユだろうか。


「帝国からいらしたばかりで、まだ落ち着きませんでしょう。心が安らぐ香りのものを持って参りました。砂糖漬けはマリー殿下が幼い頃によく食されていた物を選びました。アン殿下もお好きだと聞いております。ジャムにしても良いでしょう」

 マリーはラベンダーの瓶を開けさせて、手に一房の花を乗せた。鼻を近付けて香りを楽しむ。

「とっても良い香りだわ。ありがとう」

「砂糖漬けもとても美味しそう」

 王女二人は顔を見合わせて微笑んだ。


 早速、ポプリの香りを楽しみながらお茶をすることになった。

 ポプリはウジェニー達が香炉か皿を探して盛り付けることになり、エリザベスはアンの使用人とともに砂糖漬けの詰め合わせを持って厨房へと下がる。

 甘い砂糖漬けに合う紅茶と口休め用のさっぱりした口触りの菓子を選んでいる間、エリザベスは自分がグラッブベルグ公爵を間近にしても怯まずにいられたことに安堵していた。

 心の準備が出来ていたからだろうか。

 緊張はしていたが、国軍競技会の時のような動悸も無く、落ち着いて向かい合うことが出来ていた気がする。


 そんなことを考えていると、厨房にアデレードが現れた。

「グラッブベルグ公爵夫人。どうなさいましたか? 何か、粗相でもありましたでしょうか」

「い、いいえ。違います」

 エリザベスの問いに、アデレードは僅かに身構えたように見えた。


「この離宮は、父が母に出産の褒美として建てた離宮なのです。私も弟妹も、幼少期はここで育ったの。懐かしくて、つい一人歩きを」

「公爵夫人の思い出の場所なのですね」

 アデレードの言葉を素直に受け止めて、エリザベスは微笑む。アデレードもまた微笑み返すが、深い青い瞳の奥がどことなく揺れているように見えて、エリザベスは小首をかしげた。


「私が、お茶を用意しても良いかしら」

 唐突に言い出したアデレードは、驚くエリザベスと離宮の女中達が止めるのも構わず、すでに温めてあったワゴンの上のポットに茶葉を入れ、薬缶の熱湯を注いだ。蓋をして、跳ねた湯を布巾で手早く拭う。

「猫の模様の入ったティーコジーは、まだ残っているかしら」

 アデレードに問われて、戸惑っていた女中達は慌ててあちこちの戸棚を探し始めた。


「砂糖漬けは、花の形をした白磁の器があるはずだから、それに少しずつ盛り付けましょう」

「はい」

 アデレードの指示で、エリザベスと女中達は配膳室をくるくると回る。

 女中の一人が、花に顔を寄せる猫の刺繍のティーコジーを見付けた。それを受け取ったアデレードはティーコジーを広げる。

 その手が、ローブ下から何かを取り出すのを、離れた場所で砂糖漬けを取り分けていたエリザベスの瞳が捉えた。


 反射的に顔を上げたエリザベスは、蒸らしている途中のティーポットの蓋が開けられ、アデレードの手の中の何かが投じられるのを目撃する。

 再び蓋をされてティーコジーを被せられたポットは、なんの異変も感じさせずにワゴンの上に鎮座していた。


「グラッブベルグ公爵夫人?」

 エリザベスの静かな呟きに、アデレードは身を震わせた。

 アデレードの瞳は、今度こそ思い違いではなく大きく揺れている。

 僅かに覗く目元周りの肌の色は血の気を失い、顔の下半分を覆っているヴェールの色よりも白かった。

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