ルイ・フランシス ⑪
十一
『レステンクール包囲戦争』
後世にて、そのように呼ばれる戦争は、開戦からたったの半年で一つの王国を滅ぼした。
ルイーズ王女の死は、カラマン帝国とレステンクール王国との間に取り返しのつかない状況を生んだ。
王女の死因を巡って、両国は揉めに揉めた。
王女の転落事故は多くの宮廷人が目撃しているのだが、その事故の現場にアリンダがいたことで、王女は殺されたのでは、との疑惑があがったのだ。
かつて、花嫁道具を担いでグルンステインに送り出され、国境を越えることさえ拒絶された王女の話は有名だ。エドゥアールを熱愛するアリンダが、嫉妬に駆られてルイーズを突き落としたとの噂が、事故の直後から拡がっていた。
噂の出所は判明していない。
だが、そんなことは関係無かった。
謝罪と賠償を求めて喰い下がるレステンクール王に、ジュール四世は辟易していた。
王女の夫であるメロヴィング公爵ですら事故の事実を受け入れ、妻と子の為に立派な葬儀を行なったというのに、父親であるレステンクール王は娘の冥福を祈るよりも何よりも、娘の代償を要求することに必死だった。
思えば、エドゥアールとアリンダの結婚に不平不満を垂れていたのは、この王だけだった。
カラマン帝国にとって、ルイーズの帝国公爵家への輿入れは、『グルンステイン継承戦争』でのレステンクールの身勝手な要求を見て、可愛い妹の婚姻生活に水を差させない為のジュール四世の気遣いだ。
ジュール四世はルイーズ自体には無関心だった。グルンステインに滅多打ちにされて縮小した王国の王女など、どのような価値があるのか。
しかし、そんな中で先の疑惑から放ったアリンダを侮辱するレステンクール王の暴言は、ジュール四世を激怒させた。
それはまるで『グルンステイン継承戦争』の再現だ。
最初からそのつもりだったのか、レステンクールは不意を突いてカラマンとの国境を越えた。
突然の侵攻に当初はカラマンが押されていたが、直ちに態勢を整えて送り出された正規軍が、レステンクール軍を国境線へと撤退させた。その後、今度はカラマン帝国が国境を破りレステンクール王国内へと踏み入ったが、先のグルンステインとの戦争で幾らか学習したのか、レステンクールは少数部隊を各地に配し、地の利を生かした撃って逃げる戦法を取った。
カラマン軍の進軍は鈍重化せざるを得ない。
まともに戦わないレステンクールに怒りが頂点に達したカラマンは、連邦国家各国に呼び掛けた。
「レステンクールの土地を公平に分配する。周辺国はレステンクールを殲滅せしめよ」
その宣言は『聖コルヴィヌス大帝国』の『大帝』の名で行われた。
即座に動いたのは南部のサウスゼン王国だ。サウスゼンはファンデンブルグ王国と戦争中であったが兵力にゆとりがあり、わざわざ占領地から戦力を割いて南部と東部から軍隊を送り込んだ。
次に動いたのは、北西を接するシュテインゲン王国だ。数年前にグルンステインへの領土拡大が失敗したシュテインゲンは嬉々として軍を整え進軍を開始した。
* *
周辺国が次々と参戦を決定する中、グルンステインも遅れて参戦を決めた。
グルンステイン北部のシュテインゲンと南部のサウスゼンの国力伸長を抑制する為だ。レステンクール王国への、国内の嫌感情による突き上げもあった。
グルンステインは各地の陸軍部隊から兵士を招集し、旧レステンクール領に新たに設けられた東部要塞から軍隊を送り出した。
この時、ルイは准将に昇進していた。北部要塞の司令官として、今度は部下達を東部に送り出す立場となったのだ。
この戦争に、王太子エドゥアールは出陣しなかった。
三月に第二子であるマリー王女を出産したばかりのアリンダが、自分の傍から夫が離れることを嫌がったからだ。王太子として先陣を切って戦いの場に赴きたかったエドゥアールは、周囲に説得されて自らの出陣を断念せざるを得なかった。
レステンクールの王都が陥落したとの情報が入った時、北部要塞は歓声で沸き上がった。グルンステインの国民にとって、正気からかけ離れた隣国の存在は厄病神そのものだったのだから。
レステンクール王都の惨状は、目を覆うばかりだったと言う。
常に重税を課せられ、その税は国王と極めて一部の貴族達の贅沢に消費された。交易活性化の為に古くなった道を整備する気もなく、畑は数世代前から農耕器具も技術も進歩していない。貴重な働き手である夫や息子は徴兵されて、そのような中で女手だけで畑を管理するには限界がある。どうにか採れた収穫物も、兵站として徴収された。周辺国の進軍に伴い、農民達も国の内へと避難する。
飢えた民が籠城する軍人を襲い貴族達を虐殺した後の宮殿は、床を覆い尽くす死体から発せられる腐臭で満たされていたそうだ。
当初、レステンクールの王族も、この醜悪な争いに巻き込まれて死亡したと思われていた。
しかし、王都の陥落から十日もした頃だろうか、カラマン軍によって捕えられたとの情報が参戦国に齎された。農民に化けてファンデンブルグ王国の国境を越えようとしたところを、本当の農民達に目撃・通報されたのだ。
地元民の見知らぬ顔、肌の白さ、何よりも服装そのものは農民の物であっても、恰幅と生地の仕立ての良さはレステンクールの農民には有り得ないものだった。
カラマン軍が到着するまで、殺されなかっただけでも幸運だったと言えよう。
彼等は辛うじて生きたままカラマン帝国のジュール四世の前に引き摺られ、絞首刑に処せられた。
レステンクール王国は解体された。
カラマン帝国は国土の中部から東部三州を、サウスゼンは南部二州を、シュテインゲンは北部二州を、そして、グルンステインは西部三州を、話し合いによって分割した。
グルンステインの割譲領に対してサウスゼンとシュテインゲンから不満が出たが、ジュール四世が妹の出産祝いに一州を分けたのだと主張すると、口を噤んで何も言わなくなった。
獲得したローヌ、シャモニー、アルデンヌの領土は、王太子家族に下賜されることになった。
その内の一つローヌは湖の上に建つ美しい古城があり、ジュール四世が「妹に」とグルンステインへと譲った土地だ。
五年後に起こる惨劇の舞台でもある。
* *
翌年の二八三年。度重なる戦争と獲得した領土の整備事業が原因で、グルンステインは財政難に陥っていた。その解決策の一つとして増税と、官職と爵位が売りに出された。
主に売りに出されたのは、領主を失った旧レステンクール領の官爵だ。
旧レステンクール領は、一度全ての領地を王国に納め財産とし、その後に『レステンクール包囲戦争』で功績を挙げた者を中心に下賜が行われた。
この時に平民から新たに貴族に叙された兵士もおり、先の王家の下で能力を認められずに燻っていたレステンクールの泡沫貴族達も加わって、グルンステインの貴族社会はより複雑化した。
この時、タンベイという遣り手の弁護士が法務省の官職を買い、モーパッサン伯爵を名乗ることになった。
二八四年、宰相職の交代が行われた。
老齢による隠居で、後任にはルイの父であるギュスターヴが就いた。
同じ年に、五人目の子供が生まれた。
亜麻色の髪とオリーブ色の瞳がマルティーヌに瓜二つの女の子だ。パトリシアと名付けたこの子に、三歳になったアリシアは家族の誰よりも夢中になった。
シュトルーヴェ家の子供達は一般的に言葉を覚えるのが早い気がしていたが、中でもアリシアは流暢に御喋りをした。語彙も多く、マティルダはともかく十歳のフランツも怒涛の御喋りに言い負かされることがあった。のんびりした性格のアンドレなどは、たじろぐばかりだ。
男の子だけが可愛いロザリーヌはアリシアを毛嫌いした。そこにいることが分かっていながら、わざと無視をする。それをどうとも思わずに我が道を行くアリシアの姿は、さらにロザリーヌを苛立たせた。
そんなアリシアは、一方で祖父ギュスターヴに複雑な思いを抱かせた。
ある日、シュトルーヴェ家にローフォーク家のカレルと、ドンフォン侯爵家の末息子ジョルジュが遊びに来ていた。アンドレも含め、遊びの延長で騎士ごっこをしていた四人に混ざって女騎士になりきったアリシアは、兄達をボコボコに叩きのめしたのである。
女の子だからと手加減されたのが気に入らなかったのだ。
気の優しいアンドレだけが無傷だったのは、アリシアが逆に手加減したからだろう。
折れた枝が散乱し、座り込んで泣く三人の少年。
それを見て呆然と立ち尽くす次男と、胸を張って踏ん反り返るアリシアの姿に、ギュスターヴは「どうしてあの子を男に生まなかった!」と初めてマルティーヌを叱った。
因みに、この男児三人は、同じ年の夏の暑い昼下がり、遊びに出かけた先で傷んだ菓子を食べて揃って腹痛に苦しみ、三歳のアリシアに冷めた目で溜息を吐かれたこともあった。
冬の社交のシーズンになると、十五歳になったマティルダは宮廷の夜会にてデビュタントを立派に果たした。
社交界への進出は結婚の準備が出来たという意味を持つ。
すぐに多くの申し込みがあり、二年後、望まれてとある侯爵家へと嫁ぐことになった。
その侯爵家は帯剣貴族でありながら、文官を多く輩出している家柄だ。
相手となる若者は侯爵家の次男で、穏やかで誠実な人柄はラピエール伯爵家の義父に似ていた。
跡継ぎではないことにロザリーヌは渋い顔をしたが、当人同士の気が合ったのだから反対する理由などない。娘が幸せになれるかなれないか、ルイにとってはそれが重要なのだ。
ただし、結婚式の当日ルイは花嫁衣装の娘を見て泣き、翌日には夫の赴任先に旅立つのが寂しくて泣いて、マティルダを一番に困らせていた。
* *
マティルダが嫁いでから数日後、ルイは王宮内の一室でめそめそ泣いていた。
向かいには、王宮近衛連隊長となったアンリが項垂れ、渋い顔で腕を組んでいる。
「兄さん、マティルダが、あんなに小さくて、泣き虫で、可愛らしかったマティルダが、嫁いでしまった……! 俺の傍から居なくなった。寂しいじゃないか!」
「まだアリシアもパティもいるだろう」
「アリシアはアリシア、パトリシアはパトリシアだ。マティルダは一人しかいない。それからアリシアもパティも嫁には出さない、婿をとるんだ!」
ワッと泣き出したルイにアンリは呆れて長息した。だが、弟とも呼ぶべき年下の幼馴染みの愛情深さに、つい笑みも溢れる。
「パトリシアなんて、まだ二歳だ。きっとマティルダの顔を忘れてしまう。姉妹なのに。やはり、結婚は断るべきだった。そうしたらマティルダは、きっとまだシュトルーヴェ家にいた」
「そんな事をしてみろ。マティルダに嫌われるぞ」
「そんなのは嫌だ!」
花嫁衣裳を着ることを、それは心待ちにしていた娘だ。きっと口をきいてもらえなくなるだろう。決して気の弱い子ではないのだ。
「では、諦めるしかないな。ほら、洟が出てるぞ」
差し出されたハンカチでルイは洟をかんだ。
「……グス。クレールはどうなんだ? もう二二だろう? 話は出てこないのか?」
「いやぁ。それが、今は忙しくてそれどころではないんだ」
ローフォーク家の嫡男クレールは、アンリから王太子付き親衛隊長の役職を引き継ぎ、エドゥアールの側近として働いている。結婚相手を探し始めれば、それこそ引く手数多のはずだ。
ルイが洟の付いたハンカチを返しながら訊くと、アンリは苦笑いで答えた。
この時、二人がいる応接室の扉が叩かれて、アンリの返事の後に近衛兵が顔を出す。近衛兵は敬礼をしアンリに寄ると、ルイを気にしながら耳打ちをした。途端、眉間に皺を寄せたアンリは、疲れた様子で溜息を吐く。
「急用か?」
アンリの職場で、あえて何があったかは聞かない。王宮近衛連隊はどの部隊より情報の統制が必要な部隊だ。ルイは、背凭れに掛けていた真朱色の軍服を手に取り立ち上がった。
「済まない、ルイ」
アンリは申し訳なさそうに言った。
「いや、俺が押し掛けたんだ」
「マティルダの事だが、離れていてもしてやれる事はある。孫でも出来たら思い切り可愛がってやれ」
「甘やかすなと、怒られそうだなぁ」
二人は笑い合うと、軽く抱き締め合い別れた。
その帰り道、王宮の廊下を歩いていたルイは、侍女官達の集団に出会した。
あまり記憶にない若い彼女達は王太子妃の侍女官だろう。数人で一人の侍女官を囲み、蒼い顔で足早にルイの目の前を通り過ぎて行った。その際、彼女達の一人がルイと目が合い会釈をし、囲まれていた侍女官の顔が見えた。
ルイからは見えない反対の頬を抑え、乱れた髪の中で涙を零していた。
振り向くと、彼女達がやってきた方向には近衛兵が二人、先の廊下への進入を塞ぐように立っている。その先は、王太子妃の宮殿だ。
一抹の不安が、ルイの胸中に湧き上がった。
十一、終わり
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます